降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

報告 哲学カフェ 信頼から中動態へ

18日に哲学カフェをやりました。

当初「友人とは」をテーマにしていたのですが、場の状況に合わせて友人に関わる「信頼」とは何かでやりました。

人を信頼するという時の信頼とは具体的にどういうことなのか。自分を傷つけたり、危害を加えない状態が変わらずにずっと続くということなのか。

 

自力をあきらめること、つまりコントロールをかけようとしても意味のないことを知る、ということではないかと思いました。それはゆだねることであるとは思いますが、完全に受け身になるのとも違う感じです。

 

能動的でなければ必然的に受動しかないのか。能動か受動かという二者択一の軸は、意思であると思います。社会通念上、人は意識がある時、全ての行動には意思があるとされます。意識が混迷したり、喪失しているような状態で犯したことは罪がなくなったり軽くなったりします。つまるところ、現代社会で意思は、誰かが何かをやった時の責任(誰が悪いのか)の帰属のために必要とされます。

 


しかし、意思的主体という前提のもとに、意思的主体という前提のもとに、自分自身の思考にも当てはめられます。ぼーっとして一日を過ごしてしまった。やるべきことをやらなかった。これは私の責任だ。意思が弱かった。私が悪いためだ。こういう思考になります。

 

しかし、こういうふうに全ての行動は意思的なものであり、責任があると考えることは、現実には人を同じ状態にとどめ、延々と同じことの繰り返しを招くことが知られています。

 


アルコール依存者の自助グループ、アルコールアノニマスでは、回復へ向かうための12ステップが指標として確立されていますが、その最初のステップが自分が無力であることを認めるというものだそうです。

 


自分が無力と認めるならば、自暴自棄になるのではないかとも思われますが、実態はそうではなくアルコールを断てる人は、自分の意思で克服するということをやめた人であるそうです。

 


自分の意思の力ではないものでアルコールをやめることができるというのはどういうことなのか。そこででてくるのが能動でも受動でもない、中動態という概念です。

 


古代ギリシアでは意思という概念はなかったそうです。寝ること、死ぬこと、誰かを好きになることなどは、自分の意思で操作したり、ボリュームを調整したりすることはできません。そこには自律的な動きがあり、自分はそれに影響されます。

 

自分の状態を自分の意思が支配しているものととらえていると、自分はそれだけでいっぱいいっぱいになってしまいます。しかし、自分の状態は自律的な何かが動いている状態だととらえれば、そこには余裕が生まれ、その状態に対して、別の付き合い方ができるきっかけが生まれます。

 

アルコールをやめられないダメな自分とアルコールをやめられる意思の強い自分。こういった考えにのっとっている限りは、自分は失敗を帰属される強烈なプレッシャー下にあり、そのプレッシャーのせいでいい状態が持てなくなります。そのため、結果として失敗する。そして飲んでしまったのも、自分の責任。どこまでも責めが続きます。

 


そこからスライドしていく。自律的な働きを自分ではなく、第3者と認め、他者として付き合う。結果として、意思があるから何をしても自分の責任という思考のプレッシャーが軽減したほうが人は変われる。能動態と受動態しか認識のあり方がない世界から中動態的認識に移行していくことが当事者研究などにおいても重要になってくるわけです。

 

さて、話しは信頼に戻りますが、変わらないものにしがみつくことが信頼なのではなく、しがみつくことを手放すこと、結果としてゆだねることが信頼なのであると思います。自分自身の支配を諦め、自分の意思ではない、自律的なもの、中動態的なものの働きにゆだねる。それが信頼するということなのではないかと思いました。

稽古のレポート3

自転車で転んだあばらも3週間ぐらいするとくしゃみしても痛くなくなった。

 

今回は座法と臥法(がほう)をやった。座り方と寝方。

 

ただ座ってはいけないのか、何をしようとしているのかと思っていたのだけれど、やってみて思ったのは意識状態が変わるなということ。

 

正座なのだが、まずかかとをぴたっと揃えて、前傾になり、片方の足を平行に後ろに一足分下げる。膝の力を抜き、落とし、膝がついたら下がっている足を前ににじり寄せる。まだ立っている両足首を寝かせ、足首の間にお尻をねじり込むように入れる。

 

普段は正座しないし、正座するとしても座る時わざわざかかとを揃えたりしない。だがやってみると、独特の緊張、テンションが生まれることがわかる。だらっとした感じでなく、ツーっとある緊張。この緊張はもちろん意識状態とも連動している。

この緊張、この意識状態を維持しながら座るということをしているのだと思う。西海岸由来のフリー、リラックス、ナチュラル、みたいなこととは逆を行っているようだ。想像するに、自意識の自動統制状態は弛緩させ、放置したところで、同じことを繰り返す。身につけたものがあるので、そのままではいい状態は導かれない。感受性をあげ、あてにする感覚を更新することをする必要があるのだと思う。

 

リラックスというものがそもそも何なのかということがある。過緊張の反動としての過弛緩なのか。確かに、落としたものをもう一度元に戻すのには負担がかかると思う。電車で次の駅にいくのに座ると立ったり歩く時にかける頑張り、踏ん張りがあえて必要になる。エネルギーの運用効率なのか、立ったままの方がその頑張りや踏ん張りをブーストする必要がないので、むしろ楽だったりする。できるならば、過緊張をかけず反動のこない状態で、常に一定の緊張、テンションを維持するほうがいいのかもしれない。

また緩めることを強制停止機能、緊張機能である自意識でやることのちぐはぐさということもあるかもしれない。緩めるではなく、緩まるにする必要があるのではないかと思うのだけれど、緩めるとして自意識でやる時、身体の一部分の電源を切って、一時的な死体にして、無感覚にするようなことをしているのかもしれない。

過度の弛緩や暇は、依存症患者などの場合、過去のトラウマを引き起こすような自体をおこしたりする。そう考えると、過度の弛緩というのは現在の状態のバランスを崩す働きをするのでは。それがいい結果に働くこともあるだろうけれど、次の駅で降りるのに立ったり座ったりというエネルギー消費の大きさはいらないと考えるならば、緊張を維持する工夫もあっていいだろう。

自意識でやる「リラックス」、「フリー」、「ナチュラル」はあくまで擬似的なものであり、そこを自意識で狙っても仕方がないということなのかと思う。

 

そうではなく、むしろ不必要なもの、大敵とされている「緊張」の自覚的な使い方や設定こそ自由を導くものなんじゃないか、と。


臥法は、正座から両手を前につき、手に体重を乗せていきながら、押さえていた手をさっと放し、落ちてきた体を肘で受け止めながら同時に足を後ろに突き出して、つま先と肘で体重を支える。そして太ももを腰に近いほうからだんだんと地面につけていく。さらに足のつま先を丸める方向に曲げながらそれに釣られる働きで脚をあげ、その時に手は傘を閉じるように体の横に腰に持っていく。そして脱力する。

自然とは程遠い、ほっといて絶対しない寝方。なんでこうするのかというのも、一度作った身体の状態、意識状態を維持するためのものだった。この状態で相手に触れたり、触れられるとき、その感覚が変わる。死んだモノとして触るのではなく、生きているもの同士が同調した状態になるという。確かに手の表面に繊細な振動があるような感覚があり、その上で触れたり触れられたりすると、ボタっボタっと塊で感じられていた手が細かな解像度を持ったもののように感じられる。

ある特定の状態を「良い状態」とし、その状態に持っていくこと、その状態を維持すること、使えるようになることが稽古の趣旨なのだと思う。そして確かにその状態は、精神的にもすっとした感じがあって、僕個人もその状態は良いと思う。この意識状態で日常を送ると割とすっと次の行動に移れる感じがある。

稽古のレポート2

身体教育研究所の稽古、3回目に行ってきました。

 

野口晴哉さんはいわゆる天才で、できるのが当たり前で説明できない。息子である裕之さんはどうしたら晴哉さんに近づけるのかという問いのもとに設定したのが、明治の人の体≒晴哉さんというものだったようです。明治の人の体がどのようにできていて、そこにはどういうふうに近づけるのか。そう問題設定をスライドすることによって、探究の道筋を作ったようです。

 

裕之さんが、自意識の自動的統制(ひいては西洋的身体観・解剖学的な、死体としての身体観)を打ち消し、本来の状態を体感し、体の統制状態を更新するという工夫を重ねてできたのが身体教育研究所の稽古、型ということになるのかと思います。

 


要点になるのは、二つのことだと僕はとらえました。一つは既にある自動統制状態は自意識の直接操作では統制状態が強まるだけで意味がないので、自意識の統制が外れるように、指の間とか、腕と手首の実感の境界とか、意識をそこに集中させることによって、事実上の統制機能停止状態をつくること。自意識は境界に対して自動的な支配状態をつくることができません。

 

このことによって、体の内部の繊細な感覚、淡い感覚を感じる基盤ができます。さらに感受性をあげるために、両手を使うときは右肩の一点に目があると仮定して両手をみるつもりで感じるというようなことをします。

 


自動統制は外さないといつまでもそのままですが、このようにして自意識の統制状態を外しながら感じると、更新することができる。

 

明治以前の家や道具をみると、たとえば急須などは取っ手が短く、指で挟むように持つようになる。するとその緊張によって体や意識がある状態に導かれる。文化とは、ある一定の体や意識状態を導くように、一点にむかっていわばデザインされているものであり、自意識をその度に使わなくても委ねるだけで求める状態が導かれるものだということだと思います。

 


つまり急須をつくる当時の職人は、理屈を知らなくても、いいと感じる意識状態が作られるように急須をつくるわけです。何をしていても、何を使っていても、その意識状態に整えられるように周りの道具や環境がデザインされている。逆に言うなら、これがいいという感覚が自律的なものとなり、人はそこに導かれるということになっています。

 

人は自分からこれがいいという感覚を整えるために環境や道具をデザインし、次は使った環境がより人を導くという循環関係を生みます。これに委ねることが、自意識という過去が主体となり支配者となる疲弊的な生、閉塞的な生を越えて、自意識という遮断を入れない状態で自然や世界に触れ、そこから必要な取り込みができる状態になるというのがこちらの考えだと思いました。

自意識とは何か 自意識からの自由

心理学科に入った頃は心の構造を理解すれば自分がわかるかと思っていたが、どうもそうではないようだった。無意識とは意識できないものであり、そこに直接のアプローチはできない。考えてどうこうなるものは意識できるところしかない。

 

自意識とは何かが状況を変えていくための問いとなった。すると、「治らなければ」とか「成長しなければ」とか「適応しなければ」とか、そういう強迫となった価値観自体が変化をとどめ、停滞をおこしていることが見えてきた。むしろ変化はそういう強迫がどうでもよくなるような瞬間に間隙を縫っておこるようだ。

心理カウンセリングから演劇的手法に軸足を移していった橋本久仁彦さんなどの言っていることもそれを裏打ちしてくれているように思えた。自意識とは、防衛機制であり、強制停止機能であり、たとえるならばベルリンの壁をつくるような遮断がその機能の本質なのだ。だからやろうとすればするほど緊張は高まり、パフォーマンスは落ちる。むしろ余計な自意識が働かない状況の方がパフォーマンスは上がる。

状態を固定化しようとする自意識の圧力を打ち消したとき、自律的な運動、自律的なプロセスが動き出す。この状態がおこるように場面を設定することが重要だと思うようになった。つまりそれは境界を設定するということ。何かと何かの間の場所を設定する時、自意識はどちらに構えをとっていいかわからず、状態を同じままとどめようとする支配力が低下する。自意識の支配とは言葉の支配だ。よって意味と意味の間には影響力を押し通せない。

 

体の場合、自意識は自らのイメージによって身体を支配している。しかし、そのイメージ(解剖学的イメージ)は実際の体の動きとは乖離がある。例えば、実感をたしかめて行くと、肩と腕の境界はかなり腕よりであるし、手首の領域は思っているより腕よりだ。それを解剖学的なイメージのまま動かそうとすると動きに無理がでる。

そこから抜けていくのにもやはり境界を使う。意識を境界に向け、固定することによって、事実上の支配力を失わせ、もともとある内在的な動きの発現を導く。自分とはほぼ自意識であるのだが、自意識は言葉によって決定されていて、自分はピンボール台の中を跳ね回るボールのように、構造のまま動く。境界を設定することは、その決められた動きになる一部分を空白状態にするようなことだ。そこに新しい可能性が生まれる。

自意識である自分をさらに出し抜くような設定をして、自意識という過去のピンボール台から抜けていく。変わったとしても一部分だけだが、まあそれぐらいでも変わらないよりマシだろう。自意識からの自由はこのようにして得ていくことができると考えている。

 

 

充実の裏返しとしての根源的苦しみ 救い

先の投稿、一度に一通り書こうと思ったけれど、書けなかったところも多かったので補足。

 

自分が生きていくという時に、力が弱いように感じていた。社会に放り出されたところでまるで生きていける気はしなかった。根性も能力も何もないが、自分を動かすもの、世界と関わり状況を開いていける力は何かと探した。その結果、根源的苦しみに対する自律的な反発の力を使うのが妥当だという認識になった。

臨床心理学の学生の卒論を見ていると、どうやらだいたい自分の問題について書いているように見えた。自分が自分の問題を書いているとは思ってないようでも、他人としての僕からみればそうに見えた。ちゃんと選んでいる、と。

 

卒論は学部生にとって、学生生活のなかで最も作業量の多い課題で、ある程度のクオリティを求められる。そしてそれは自分の作品でもある。この課題を遂行するためには、最も関心のあること、追究したいことを書かざるをえなくなる。雑学を楽しむ程度の興味関心、一時的に刺激を受けるものぐらいでは続かないのだ。

 

すると、自分が根源的に苦しんでいるものを乗り越える方法やあり方に関わるところを選ぶ。まっすぐにその苦しみのコアに向かえなくても、その苦しみを乗り越える可能性を持つものに強く興味をひかれ、衛星のようにその周辺をぐるぐるまわる。

 

苦しみがあっても、それを解決するために自分の現在の秩序を壊す抵抗は強い。見たり聞いたりした範囲では、多くの場合、事故的なアクシデントがあり、もはや現在の秩序がどうにも成り立たないという状況になってからより根源的な苦しみへの向き合いをはじめる。今までのあり方は成り立たないというのは、状況的なこともあるし、自分として今まで与えられて我慢(と思ってないかもしれないが。)してきたものではまるで割に合わなくなる。それでは救われなくなる。

そこまで行かなくても、結局自分としての充実を感じるのは、自分ならではの苦しみの裏返しなのだ。もともと潜在的に苦しくなければ、さして深い充実や面白みも感じない。「やりたいこと」とは潜在的、根源的な苦しみを乗り越えるプロセスを与えてくれるもののことだ。

 

自己実現」などというと生きづらくもない平均的な人が意思を持ってステップアップしていくみたいなイメージがある。自己実現というピラミッドの頂点に向かうような。だが、人間は先に安定を与えられると生きものとしてそこから動けない。必要がないのにあえてリスクを冒す生きものはいない。たとえ底に苦しみをかかえ、歪つになっていたとしても。

 

むしろ既に生きづらい状況があること、変わらざるをえない状況にあること、たとえとしての「貧しき人」であるような状況でこそ、根源的な苦しみを発見しやすい。どのような状況にあっても、より根源的な苦しみを発見することによって、その状況を抜けていく力が得られる。なぜなら根源的な苦しみの方が、その場当たりの状況よりも苦しいからだ。体は無意識にその根源的な苦しみを乗り換えるための反発力を活性化させており、その力、動機を利用するのがサバイバルのあり方として妥当だ。

表面的に浮き上がってくる苦しみの下にそれらをそもそも苦しみとして感じさせるような苦しみがある。鶴見俊輔はそれを「親問題」と呼ぶそうだ。実在の親の話しではなく、自分が生きるにあたって受ける苦しみを派生させるそもそもの根源のようなもの。ただ、その根源的苦しみ自体を発見しようとするよりも、何が最も充実かと探究する方がやりやすいかもしれない。最も深い充実をもたらすものの裏に根源的な苦しみがあるので、同じことだ。根源的苦しみは生を圧倒しているにも関わらず、直接的には感じにくい。


根源的な苦しみに向き合う時、人間はその場の状況や安定を脱していく動機と力を持つ。状況に反逆し、世間的には「不遇」と言われるような状況に陥ったとしても、満足感は深く、力は減じない。生きる力の本質は、生体レベルから生まれる反発力だ。屋久島の巨大な杉は、多雨に支えられながら、根を張るのが難しい岩盤に対してそれでもなお生きようと根を伸ばす反発力によって生まれている。その巨大さは苦しみの大きさと危機の裏返しだ。一方、豊穣な土壌では杉は屋久島ほど大きくなれず、途中で腐るそうだ。このことは人において大きな成果や達成というようなものが、ただ手放しに賞賛されるようなものではないことも示唆する。そのような態度は欺瞞的で搾取そのものだ。

畑などでは、この反発力を使って収穫物を多くする。わざとトウ立ちが遅れるタイミングでタネを蒔いたり、シシトウ、キュウリなどは、実が成熟する前に収穫する。そうすることによって、株自体がより大きくなったり、長い期間収穫ができる。

人間以外のものに対しては搾取をやっているのに、人間に対してはやるなというのは手前勝手な理屈だが、これはサバイバルをやめたいという願いが強いことを示している。生きものなのにサバイバルをやめる。「合理性」が支配するサバイバルの世界には救いがない。そこでは人の心は自己更新していけない。

強くなければ生きていけない。しかし、優しくなければ、生は、生きるに見合うほどのものでもない。これが人間が文化をつくってきた実感なのだと思う。優しくあることは、サバイバルが支配するこの世界に反逆することだ。その反逆のなかに優しさと自由がある。

生きものでありながら、サバイバルに反逆する。これは生きる苦しみを終わらせるということだ。だから永続的な発展などは、そもそも人間否定なのだ。極言するなら、たとえ滅んだとしても、生の苦しみを生のなかで終わらせることより重要なことはない。それ以外のものが重要になるとき、誰かが抑圧されていく。生きるに見合わない状況にされていくのだ。サバイバルの理屈は、それを良しとする。

僕は自分が充実することをやっていく。それは達成や到達に向けたものではない。この過程にあることが、回復していくことであり、救われていることであると思う。救いのなかにいること、その上でサバイバルという演劇をやっていくこと。それ以外にできることはなく、やる必要もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでの経緯 このブログについて

このブログ、新しく読みはじめてくれる人もいるようなので、年に1度ぐらい、このブログで書いていることが何を問題にして、どこに焦点を持っているのかを書こうと思う。

このブログを描き始めた三年ぐらい前と同じく、僕は週に1度か2度夜勤のバイトをしながら、それ以外の時間は自給のための畑と当事者研究など、話しの会をしたり、学びの場を数人で巡っていくことをしている。

 

そうするのは、自分、あるいはこのような社会における自分のような人間がどう生きていけるのか、そのありようを考えているからだ。この社会で自分が生きていくサバイバルの方法を探り、見つけたことを実践して、充実して生きられる環境を作り出し、整えようとしている。

 

サバイバルは、二つある。一つは身体の維持としてのサバイバル。もう一つは自分が自分としてあるためのサバイバル。僕はこの二つをあわせてサバイバルだと思っている。自分がすり減っていくのなら意義は感じない。むしろこの世界の中で逆に回復し、生きていくあり方を探っている。

 

僕は、週に5日フルタイムで働いてやっていけるようなタイプではない。緊張もストレスも強いし、だいたい何をやらしても人より遅いし、周りと価値観も違う。僕は裕福になって結婚して家庭を持ってというようなイメージに希望や救いが感じられない。自分が充実と感じることは何なのか。何を動機に生きていけるのか。それを確かめ、近づいていくことを生きる軸にしている。

中二ぐらいの時にいじめを受け、そのうち特に執拗に絡んでくるクラスメートに強い軽蔑や嫌悪、憎しみを持っていたのだけれど、ある時、彼の性質を自分も持っているのではないかと気づいた。なぜかそれはもう否定することもできなかった。それから彼への軽蔑や嫌悪、憎しみは全て自分に向かってきた。フラッシュバックのように、電撃のように急にやってきた。自分が世界で最も最悪で気持ち悪い人間だというそのリアリティは、強い混乱と耐えきれなさがあった。

それからはそれをどう軽減するかが自分の関心事になった。そして結局それが自分の生きる軸を決定したと思う。フラッシュバック自体は7、8年も経てばそんなに圧倒的なものではなくなったけれど、何を軸にやっていけるかまるでわからない何でもないただ無能で弱く、どうしようもない自分が残っていただけだった。どう生きていけばいいのかまるでわからなかった。

 

東京の予備校に行っていた時、講師たちは面白かった。今まで見てきた学校の教師とは違い、本当に自分の専門が好きで、そしてそれを伝えることを喜びとしていると思った。だから塾の講師みたいになろうかと大学三回生ごろに就職活動もしてみたが、面接に落ちてもショックも受けず、結局やりたい気がないのだと気づき、就職活動もやめる。

 

大学は臨床心理学科に行っていて、心理カウンセリングの勉強をしていたが、自分が人を治療する気は全くなく、あくまで自分が回復していくヒントを得ようとしていた。学外のワークショップなどの情報があれば、参加できるものは全て参加しようとしていた。エンカウンターグループに行ったり、内観療法に行ったり、トランスパーソナル心理学のワークショップなどにも行ったりしていた。

大学の講師たちはだいたい臨床心理士だった。カウンセラーならどう考え、どう動いたり、話したりするのかを見ていたが、割と社会不適応そうな人とか緊張が強そうな人がいて、心理学を勉強したりカウンセラーになったからといって、自分の状態がそんなに変わるわけでもなさそうに思えた。

演劇部に所属していて、大学も私生活も同回生の部員と一緒の時間を過ごすことが多かった。自分の変化には、心理学の知識の蓄積よりも、そちらの方が効いていた。勝手に元気になり、さしたることではないけれども、今までできなかったことができるようになったりした。これは発見だった。

心理学科に属するうちに、カウンセリングに疑問を持ち始めた。カウンセリングは、いってしまえば社会の歯車に戻せばそれでいいわけだ。しかし、その人が病や不適応の状態になったのは、そもそも社会の歪みが問題ではないのか。また結局臨床心理学がカウンセリングという一技法以外のところにはそんなに目を向けてないと思うようになった。「心の専門家」とは害があるほど言い過ぎで、せめて心の病や心理要因の不適応の専門家ぐらいにとどめるのが妥当であり、病とカウンセリングのこと以外は本当に関心の外だ。

 

そのことを実感したのが映像作家の坂上香さんが大学に講師としてきた時だった。坂上さんは、臨床心理学科ではなく、文化人類学科か、現代社会学科の講師としてきていたが、犯罪被害者と加害者が対話によってお互いに人間として回復していく取り組みをリサーチされたり、終身刑の囚人がセルフグループを作り回復していく姿を映像作品にしていた。

 

 

癒しと和解への旅―犯罪被害者と死刑囚の家族たち

癒しと和解への旅―犯罪被害者と死刑囚の家族たち

 

 

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僕は、坂上さんのやっていることこそ、自分の知りたいことだと思ったし、重要なことであると思った。「心の専門家」やそれを目指す学生なら誰もが関心を持つようなことだろうと思った。ところが、坂上さんに関心を持ってそれをもっと学ぶ場を作ろうなどいう動きは大学内では感じられなかった。言われたら興味深いけれど、まるで別領域の話し、カウンセンリングとは違うよね、とでもいうような周りの関心の低さがあった。

 

結局一技法としてのカウンセリングしか関心がないのだなと思った。専門家と患者の枠組みで自分は当事者ではなく専門家、治療者だと。お互いただの人として回復し変化していくなんて関心を持っていないのだと思った。

臨床心理学、カウンセリングの世界にはもうそれほど期待せず、周辺領域を探るようになった。別の枠組みを探るようになった。臨床心理士のなかには、カウンセリングの限界性を感じ、プレイバックシアターのような「治療」ではない演劇に可能性を見出す人、キャンプのような自然を通した人と人の回復や関わりを実践し始める人もいた。しかし、それらの人はもはや傍流で、関心は払われてなかった。

 

僕は、むしろ傍流の人たちのほうに可能性をみた。「治療」という枠組み自体が、実は変化を停滞させていることにも意識を持つようになった。「治療」ではない枠組みとは何か。どのような枠組みであれば、人は自然に回復をおこしていくのか。

 

40日をかけて、四国八十八ヶ所を歩いてめぐった。40日をかけたこの旅が自分に与えた変化は大きかった。なぜそうなるのか。臨床心理学は出て、文化人類学として関わろうと思い、人類学の修士課程に入った。フィールドに赴き、インタビューを続けるなかで、人間は適切な環境があり、適切な媒体があれば、自律的に必要な変化に向かうことが実感された。必ず治療者が必要なわけでもない。「治そう」とする関わりには、それ自体に制限があり、副作用もある。


四国遍路にはそれがない。治療者と相対しているわけではなく、道中の人と同じ立場の人間として出会っていく。「治療者」や技法としての「カウンセリング」の制限や副作用抜きに人が自分に必要な変化をおこす。自分が重要視する部分において、カウンセリングが下の上ぐらいなら、四国遍路は中か上だと思った。

 

必要なのは、個人の専門的アプローチではなく、人が勝手に回復をおこす場の設定なのではないか。場づくりに関心をもち、米づくりを介した場づくりや、鹿肉を料理するワークショップなど、色々してみた。興味深いことはおこったが、自分に充実が薄かった。人と人を出会わせたけれど、自分はあまり変わっていってなかった。イベント疲れしていった。

 

行き詰まりを開いたのが、自給という考えだった。京大農学部の近くで、自分の田んぼと畑で採れたものを定食にしている人がいるときき、行ってみた。話しが面白かった。これだと思った。そのオーナー、糸川勉さんは市場や政治に支配される農業に絶望し、模索した結果、自給という地点にたどり着いた。必要なものを自分で満たすことは、サバイバルであり、自分をより力づけていくエンパワメントであるのだ。

糸川さんに学んだ。自分たちの企画を考え、糸川さんを講師に招き、糸川さんが考案した自給農法と自給の哲学を学んだ。自給的思想は現在の僕の中核としてある。自給とは、すり減っていくサバイバルではなく、生きることを自分でデザインし、力を得ていくエンパワメントである。金銭収入を全ての軸とする農業だから苦しい。自給というスタンス、自給という規模なら、自由と元気がやってくる。

 

 


【地域公共人材図鑑】糸川勉さん1

 

現在の自分に生業を成り立たせる能力が直ちになくても、ずっと自分をエンパワメントをしていくあり方を探る。達成するポイントに立ってから物事が始まるのではなく、初動から自分が充実することを選ぶ。またそれが成り立つ環境設定を整えていく。それをずっと続けていけばいい。

 

野菜(食)を自給することは、誰かの都合に合わせなければお金をもらえない=生きていけない世界から抜け出る大きな基盤になる。だがまだ必要なものがある。それは学び、自己更新の環境の自給だ。人間の変化とは、つまり感覚の変化、認識の変化、それによる行動の変化だ。

 

僕にとってかつて「治療」と呼ばれていたものは、「学び」という呼ばれかたに変わった。その本質は同じだというのが僕の今の認識だ。自己更新の停滞や機会を奪われることが病やさらなる不適応をおこす。しかし、自己更新が自律的におこる環境(僕はそれを文化がある環境と呼ぶが)があれば、人はエンパワメントされ、より自分を生きるようになる。自分の軸に従った活動は疲弊ではなく活力をもたらす。

学びという自己更新がもたらされる環境はどのように作り出され、育てていけるのか。それが自分の関心の焦点だ。それを探求し、実際に近づいていくことが、自分のサバイバルであり、エンパワメントであり、充実だ。

生きる力とは、反発し湧き出てくる力、押し返す力だと思う。アドラーは、過補償という概念を出しているが、目が見えなくなるとより音が聞こえるようになるように、生体には危機に対して強く補おうとする力が自意識を超えて働く。その力は、現状を維持させるだけに止まらず、現状を抜本的に変えるほどの大きな力をもつ。この力を使う。

 

些細な苦しみではなく、自分の最も根源的な苦しみは何かと探る。自分は無自覚であっても、この根源的な苦しみや弱さを乗り越えようと動機づけられている。この動機に従うことは充実と感じられる。この動機は例えばローザ・パークスが非難され迫害されながらもなおバス・ボイコットという反逆を貫き通したように、立ち向かう力にもなる。ただこの動機は自意識で選ぶことができない。すでにあるものに繋がることができるだけだ。

 

生きている限り、自分には尽きることなく与えられるエネルギーの源泉がある。それは根源的苦しみに対する生体としての反発の力だ。この力をサバイバルとエンパワメントに生かすことができる。

自意識には保守性がある。自意識とは過去の記憶だ。そして脅かされると北風と太陽の寓話のように、なおそこに留まろうとする。自意識が成長や変化を求めるというのは全くの誤りであり、勘違いだ。自意識は防衛機制であり、動こうとしているものを止めることが主な能力なのだ。能動的なものは自律的なものそれ自体であり、自意識は受動的で防衛的なものでしかありえない。

自意識が「治療されなければ」「回復しなければ」「もっと〜のようにあれねば」というようにコントロールしようとするほど、実際には抑圧は強まり、かえって求める状態は遠のく。変化は自律的なものによっておこる。自律的なものが動きだし、自分でも思いもしなかったことをついやってしまったり、いってしまったりする状態にするにはどういう設定や環境が必要だろうか。それが問うべき問いだ。

 

自意識の強制停止が弱まり、自律的なものが動き出しやすい環境とはどんなものだろうか。それは、人として尊厳が提供され、場に安心と信頼が満ちている場所だ。それは当然のように「治療」的な場所であり、学びに適した場所である。


学びは派生的にコミュニティを生む。そのコミュニティは人数とか地域とかいう物理的枠組みではなく、関係性の質のことだ。お互いが尊厳を提供しあい、お互いの自律性の自然な展開をサポートしたいという関係性がある時、そこは学びが促進される環境となる。学びは、生命のような自律的展開構造をもっている。学びに適した環境が人を変え、変えられた人がまた環境を育てるという循環がおきる状態を整え、維持する時、学びの空間は自律的に広がり、育っていく。

フラッシュバックは、その苦しみの軽減の求めから、変化とは何かを探究する軸になった。変化は、「治療」すらも意識しない場所で最もスムーズに、自律的に展開するという気づきをえたことで、場づくりや環境設定に向かいだした。自給の哲学にふれ、エンパワメントという考えをもった。エンパワメントを持続的にすすめることは、つまり自己更新を重ねることであり、それは学びの環境を整えることであると捉えるようになった。自意識の緊急停止的な傾向を弱め、自律的なものが自然と動き出す環境設定。

このブログで書かれていることの焦点はここにあって、今の現在の僕の活動もそれを探究し、確かめ、近づき、そのものになっていくことにある。しかし、「到達」を価値とすると途端に自意識の緊張と抑圧がかかってくる。「到達」や「達成」ではなく、過程を充実させればそれでいい。「結果」は派生的に生まれてくるものであり、自意識ではコントロールできない。死ぬときはどうやっても死ぬし、それはコントロールできない。だから1秒1秒いい状態であることの工夫を考える。それが派生的に次を導く。

自給ということ

昨日、畑にニンジンをまきに行った。
だが通路の草が伸びていたので気になり、そちらを先に刈った。

ニンジンをまかなければと思いながら、草結構あるな、やらねばと思って少し焦燥する心持ちになった。

 

その時ふと、自分の外部にある畑をやらなければいけないと思っているが、実際には自分の気持ちを整えているのだと思った。草が気になるから草を刈る。野菜が欲しいからタネをまく。畑をやるというと自分の外のことのようだが、自分の気持ちを整えているだけだ。

ニンジンをやらなければ、と焦燥するのは気持ちの整えとは逆方向だ。気持ちを整えるためにやっているのに、とんだ本末転倒だなと思った。少しでも整えることをやっていくだけだ。できないことはできないのだから、自分の外の条件を基準にするのではなく、気持ちの方を基準にしようと思った。

音楽家の野村誠さんの30センチ理論が一年前ぐらいの京都新聞に紹介されていた。部屋を全部片付けようとするとやる気がおきず、無理にやろうとしてできなかったら挫折感がある。そこでどんな時も30cm四方だけ綺麗にすると野村さんは設定した。

 

すると、どんなしんどい時でも30cmはできる。さらには30cmだけできたら、もうちょっとやりたくなる場合も多い。結果として部屋は綺麗に片付くようになっていった。


気持ちの運用だ。整えると満足感があり、やりたいことが出てきて弾みがつく。ここでまたやりすぎると燃え尽きるのだが、完璧にやろうとか、アタマの囁きにそそのかされず、気持ちと程よくつき合う。一口で食べれることをやる。タスクを一口サイズにまで細かくしてやる。するとできる。この繰り返しは有効だろう。

アタマはすぐ全部とか、完璧とか、一口サイズ以上のものを設定して高揚しようとする。その傾向に注意深く。色気を出さない。

アタマとの付き合いとは、言葉との付き合いだと思う。全部とか、1週間とか、そういう過剰な概念。それに負けてしまう。踏破は存在しなくて、一歩一歩だけがあるのだ。


大地の再生講座の考え方で日々をみたらどうなるだろうかとやってみている。大地の再生講座では、空気や水の流れなど自律的に動き循環するものを利用する。人間が全部やってしまわない。空気や水の流れは何度でも循環し、その循環がまた地形を変える。だから、人間はその循環がより進むように少し手助けする。すると循環が仕事をやってくれる。

 

空気の流れを作るために、移植ゴテで2cmの深さの溝を掘る。それだけでいい。2cmの溝でもそこに空気と水の流れがおきるので、1週間後のその溝の土は気の通りがよくなり柔らかくなっている。柔らかくなれば、また少し手助けする。この繰り返しにおいては、自然の力の方が多く仕事をしてくれる。楽しみでもある。

 

自意識が全部やるというのは、その見方をした瞬間に高揚するが、それで終わる。その高揚では持たない。ドラッグのように後でその高揚の代償として疲弊がくる。やる気がなくなる。エネルギーの浪費になる。エネルギーは運用するものであり、生きているとはそういうことだと思う。車にガソリンを入れるような感じではない。ガソリンの分だけ走って終わりというあり方では疲弊がやってくる。運用でなければ割に合わない。

 

気持ちの整えを自給しようと考える。食べ物の自給も結局は心持ちの整えだと思う。よって心持ちの整えをすすめていくことが自給の目的であるだろう。

現在は完治しているが、思春期にハンセン病を患った女性が施設の外のどら焼き屋で働こうしようとする河瀬直美監督の映画「あん」を友人にかしてもらってみた。

 

世間の無理解は、結局彼女を働けなくした。何かのマイノリティが自分の生存中に世間は変わらない場合も多いだろう。だから心持ちの整えを、社会変革の達成によって得ようとするのは妥当な設定ではないと思う。社会変革的なことも視野にいれるが、たとえ社会が変わらなくても心持ちの整えがすすむことをやっていく。僕はそれが心のサバイバルだと思っている。

今やっている当事者研究の集まりのようなお話し会やちいさな催しは、具体的に感じられる自分の周りの環境を変え、育てながら、心持ちの整えをすすめていく手段であり、同時にそれは目的でもある。

自分の外に目標を設定しても、外のものは結局自分の裁量の外にある。どんなに作物作りが上手くなっても、土地の所有やら天気やら、自分の体調やらが関わってくれば、できないものはできない。だが自分の心持ちの整えならいついかなる時にもやっていけるのだ。

 

それはマイナスになったものをその度にゼロに戻すようなことではない。心持ちの整えは、心の更新をおこす。その更新がおこるとき、世界はまた新しく体験される。その更新は、整えの作業に対して割に合うものなのだ。