降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

支援者当事者研究へ

京都で行われている支援者当事者研究へ。

 

まず自己紹介と来た動機を話し、その次にここで話された個人的な話しは外に持ち出さないことを確認、写真許可の確認をした後、べてるの家当事者研究の理念を一人一つ読み、その後そこで思ったこと、感じたことなどが話される。

 

次に当事者研究の理念集の一部を読む。理念は「弱さの情報公開」「自分自身で、ともに」「笑う力」「経験は宝」「病気は治すよりも活かせ」「自分の苦労をみんなの苦労に」「いつでもどこでもいつまでも」というもの。

 

理念の一つ一つの説明をあらためてみて、よくまとまっているし、輪郭がはっきりしてるなあと思う。理念を読んでみることで自然と自分の体験などがあらわれてくる感じもあり。理念提示にはルール提示の意味と、自分の体験を想起させる効果も重なってあるなあと思う。

 

「弱さ」ということが理念集でもまず一番目に提示され、意識されることの意味も大きいなと思う。

 

自分は「支援者」だけれど「支援者」としてではなく、その役割以前の「人」であり「自分」に着地できるとかたまっていたものがほぐれ、気づかれてなかった気持ちが意識にあがりやすくなってくるのかなと思う。

 

つい困難をどう解決したらいいのかというような「やり方」の話しとか、頑張ってこう解決している、現実はこうなんだからこうするしかないんじゃないみたいに、話しが「強さ」や「構造」のほうに向かうと、善悪みたいにもなって、むしろそこで感じられていたことには気づきにくくなってしまうように思う。

 

気持ちのほぐしがあって、そこで自律的に浮かび上がってくるものが場やそこにいる人を変えていくと思う。自律的なものを浮かび上がらせ、その流れ、場の磁気にゆだねることで、自分が背負っているものを手放し、疲弊のもとになっていたものが溶けていくのではと思う。

 

理念のあと、参加者からお題、事例を求めるという提示がある。「職場において弱さを出せるか」という感じのテーマ。参加者からお題や事例を提供してもらう場合、お題なら哲学対話的色合いに近づいていくかなと思う。やや事柄の話しにもなりやすいかもしれない。

 

初めての人もいる場合、事例提供はよっぽど喫緊でなければ、ぱっと思いついたり言い出したりしにくいかなとも思う。一方で主催側のほうとしても、限られた時間のなかでテーマ決定にそれほど時間をかけられないみたいなこともありそうだと思う。

 

事例は具体的なもの根づいていて、かつ個人としての人の内面の動きにも焦点があたって豊かなものがでてくる。たとえば、事前に主催者も自分が体験した事例で、必要なら適度な補正をかけたようなサンプルを幾つか載せたレジメを配布してそれをみんなで見てみて、そこで想起されてくるもので共感が多いものをピックアップするとかすると、ワンクッションおけて事例もでやすくなるんじゃないかなあと思う。

 

最後一言ずつ話しをまわす。場にはどうしても支配的な流れができてしまうので、思ったことが場の流れと違うと言いにくいことなどがおこると思う。そこを調整する意味でも最後に一言まわすのはいいかなと思う。

 

僕自身は、話しの場で、初めての人、知らない人が毎回くる場は、やりたいこととか、限られた自分で対応できる範囲を超えているのでなかなかやらないけれど、そのようなかたちで誰かがやってくれる場に出ると、自分の場では見えないことが見えたり、いい緊張感をもらえる。

話しの場を探究する集まり

話しの場について探究する場を幾つか持つことができた。何らかの意図を持ったうえで、場がどうなっているのかをつかもうとすることは、夜に電気のつかない知らない建物に入っていって、手探りでそこにあるものやその全体の構造を確かめていくようなことだと思う。

 

その建物では空中にモノが浮かんでいて、直ちにわからないにせよ、何がしかの法則のもとで動いている。暗いなかで手で触ってこれだと思ったものが、実際にも想像した通りのものであるかはわからない。違う場合もある。だがそれが本当に明らかになるまで、それが何であるかの判断を保留するわけにもいかない。

 

その建物には何度も入ることになる。とりあえずであったもの、触ったものが何であるのか、どういうものであるのかは仮説的に位置づける。その仮説がないといつまでたっても先のことを確かめることができないのだ。妥当か、それとも間違っているかを確かめるためにも作業仮説として、位置づけをしておく必要がある。その手探りの作業もそれぞれ見てきたものがある人たちと一緒にやれるとぐっと進む。

 

ラマ教育を実践する西田豊子さんは、人に表現が出てくる場とは安心・安全・信頼・尊厳が提供されている場だという。

 

僕はそれを強迫や恐怖・不安が打ち消された状態だと捉えている。大島弓子『ロストハウス』で主人公はたまたま発見した散らかった部屋に安心を感じる。散らかりが彼女にとってのあるべき姿への強迫を打ち消したからだと思う。それぞれの個人にとって、必要な打ち消しの要素は違う。それは逆に言えば、安心・安全・信頼・尊厳のために何もかもを全て用意する必要はなく、ある人にとって最低限必要な強迫や恐怖・不安の打ち消しだけあればいいということでもある。

 

「場の磁場」という言葉がでる。ここら辺も自分たちが先に進んでいくときには、それが実際何なのかみたいなことを科学的に証明されるの待っているわけにもいかないのだ。とりあえず感覚された限りのことでどういうものか位置づける。

 

場の磁場が生まれると、その磁場によって場にいる人は影響を受ける。そして思い出されること、話す内容が変わる。自分たちにとって必要な磁場はどのようなものか。その人の深部で自律的なもの浮かび上がり、表現され、その人を変えていくのを支持する磁場だ。

 

そのような磁場は「本当のこと」の表現、あるいは自分の根底的な「弱さ」の表現で生まれるようだ。自分の心の震えるところに接し、それを表現する。なるべくその震えに接していること、震えを深めることが重要だ。場の磁場、場の震えを深めていく。その時に生まれる表現は人を回復させ、変えていく。

 

知識や技術、方法などの話題に行くのは、震えとは逆方向になる。自意識は無自覚に震えから逃げたくなる。揺れ動かないところにしがみつこうとする。だがそれをすると場はどんどん磁場を失っていく。

 

自分の震えるところに降りていって話すこと。それが場を囲む他の人にとっても可能になりうるような場の状態にしておく。これは自分たちのなかで一つの指標となっている。悩みのようなことを話すにしても、あれがああなっていて、この人はこうなっているからこうだみたいな、構造の話しになると結局どこにもいかないのだ。それぞれの人が自分の震えとの接点をもちうる「自分ごと」に意識の焦点がむく場のあつらえ、設定が必要なのだと思う。

 

ファシリテーターをどのように考えたらいいのかという話しもあった。もちろん自分たちがイメージしているような少人数の場での話しだ。

 

場を囲む人それぞれが話しの場でおこることへの認識を持っているとき、ファシリテーターはいらない。よってファシリテーターは、場の状態、場の磁場の基調を維持する存在として必要であるものだと思う。その場に初めての人が来る場では、ファシリテーターは必要だし、オリエンテーション的なことも必要だろう。それがないと場が拡散したり、趣旨と違う方向へいったりする。

 

場を持とうとする時、とても多くのことは場を開く前から決まっている。場を持とうとする人の属性、意図、どんな場所でやるか、何人ぐらいでやるのか、部屋を使うなら椅子に座る洋室か畳に座る和室か、広報のやり方、等々。

 

誰かの場に何回もいくと、大体そこでは何となく同じ展開、同じ流れが繰り返されるのを経験すると思う。

 

やる側は、自分がどういう動機でやっているかに自分自身で気づいていなくても、実際にはその動機に基づいた動きをし、場を決定している。自分の知らない求め、知らない動機に動かされている。だからそれに自覚的になるために、なぜその場をやるのか、コンセプトを明確にする作業が大事だと思う。やってみてから確かめられることもあるのだけれど、まず既にある動機に自覚的になればその潜在する力をより生かすことができるし、気づいていない部分が多いと無駄が多くなって早く疲弊していく。

終末のリアリティのなかに 

本を読むのは基本しんどいのだが、藤沢周平だけは読める。

 

彼の描く世界における人々の生のかげりは、僕にとっては生きることへの共感であり、しみこんでくる。

 

藤沢周平は若くして妻を失い、そのことは深い絶望に陥れたようだ。
今まで知らなかったがそれまでも彼自身が長い療養生活を送っていたとのこと。山形新聞に記事があった。

 

 昭和32年11月、藤沢周平さんは長い療養生活を終えて東京都内の療養所(北多摩郡東村山町)を退院する。30歳は目前だった。郷里に戻って教職に復帰することは叶(かな)わず、10月、東京のさる業界新聞社に入社する。その先に束(つか)の間の幸せな日々があった。昭和34年、郷里の後輩三浦悦子さんと結婚する。狭いアパート暮らしの共稼ぎ夫婦だったが、仕事の終えた「夕方は池袋駅で待ち合わせて一緒に帰るようなこと」もある(「半生の記」)、満ち足りた日々だった。

 

 そのころ、妻の悦子さんは妊娠中だった。もともと創作の才能と意欲に恵まれていた藤沢さんが、一応の生活の安定とわが子の誕生の期待に励まされてこの時期に小説を書き出したことはよくわかる。また書き出された小説が忍者ふうの隠れ切支丹(きりしたん)の一団の「暗闘」を描く時代小説だったことも納得できる。それは、少年時代の濫読(らんどく)体験を遠い原点とする〈面白い小説〉の水脈に通じるものだっただろう。「本であれ映画であれ、かつてそれで胸を躍らせた記憶が、時代小説を書く衝動を呼び起こすのである」(「時代小説の状況」)という作者自身の言葉もある。-同じ版元発行の雑誌への寄稿は翌年に持ち越され、38年には9編の小説が「読切劇場」その他に掲載される。 

 

 問題はいかなる状況のもとにそれらの小説が書き継がれたかということである。昭和38年の2月には長女(一人娘)の展子さん誕生。しかしそれから間もない6月に思いがけない苛酷(かこく)な運命が藤沢さんに襲いかかる。妻の悦子さんが発病し、診断の結果治癒不能の癌(がん)を告知されたのである。病の進行は早く悦子さんはその年10月に死去する。生後8カ月になるやならずの幼子を遺(のこ)した28歳の若すぎる死であった。


 妻の命を救えなかった無念の思い、まだまだ死ぬはずのない妻の命を奪い去った運命の不条理に対する憤り-軽々しく人には言い難いその鬱屈(うつくつ)した思いが長く沈潜して、それを源泉とする藤沢文学の新たな誕生が記念されるのはまだしばらく先のことだが、さしあたって注目されるのは、大地が揺らぎ嵐になぎ倒されそうなこれらの日々の中で、藤沢さんが小説を書き続けていたことの意味である。37年11月以来断続的に発表されていた短編が、38年7月から12月にかけては1月の休載もなしに同じ雑誌に掲載される。原稿執筆と誌上掲載との間には1カ月-2カ月程度のずれがあることを考慮すれば、それらの執筆時期は悦子さんの発病から死に至る期間(38年6月-10月)とほぼ正確に重なる。

妻の発病と死 それでも書き続ける|山形新聞

 

暗い闇は、僕にとってリアルなものを呼びおこす。普段生きている世界は、嘘の明るさや欺瞞でカスカスだ。そこで自分も乾燥していく。乾燥が加速していく。自分には生きることの闇を感じられる接点がもっと必要なのだろうと思う。水を汲み上げられる井戸がいる。

 

藤田和日郎の『邪眼は月輪に飛ぶ』を紹介されている記事があって読んでみた。

 

mangadake.hatenablog.jp

 

僕は『うしおととら』も好きだったけれど、うしおなり登場人物なりのこれが「人間の素晴らしさ」「あったかさ」みたいな表現は固定的でむしろ抑圧的にすら感じる。

 

どんな凄惨な事件がおこったとしても、うしおたちの周辺は敵にまわらない限り死なないという安定がある。それは天皇制みたいなもので、それぞれの地域でどんなことがおこっていても天皇の日常が安定していれば、あたかも国全体としては安定している、滞りないというような錯覚をもたらす隠蔽の構造でもあるなと思う。

そういうところはお約束なのだと思ってスルーして読んでいるが、そういう部分があってなお「うしおととら」が読めたのはそれを凌駕する闇の深さが一方で描かれているからだと思う。妖怪に晒されている人たちは容赦無く蹂躙され、虫のように殺されてしまう。解放された純粋な狂気。そういうものの存在が、自分と自分のうちのリアルをつないでいる。

 

邪眼は月輪に飛ぶ』においても妻を犠牲にするまでの執念をもつ傲岸な男が娘には弱くて言うこときくみたいなお約束の可愛げをだす設定とか、対立する組織に所属する同士に生まれる友情みたいなのはどうでもよかったのだけれど、見るだけで人を殺すフクロウが東京をとび、街が壊滅するシーンは神話的な水準を感じるほど凄かった。

 

災厄それ自体が飛び、生きるもの、出来上がったものがなすすべもなく破壊されていく。そしてそれが静かに感じられた。車が衝突し、街のあちこちに爆発がおこっていても、まるで音もないかのように感じられた。世界が静けさに呑まれていく。

 

終末のリアリティ。それが自分にとってリアルなものだ。ところがそのリアリティのなかにいれない。どうでもいい、自分を乾燥させていく別のリアリティに囲まれていて、自分もそれを錯覚し生きている。この世界にありながら、終末のリアリティのなかにあることにどのようにして近づけるのかなと思う。


 

10/10星の王子様読書会

星の王子様読書会。
読書会の後に、講師の西川勝さんの話しを聞く。

 

西川さんは、かつて精神病棟で働かれていた。そして今でもたびたび精神病練の看護人になっている夢を見るという。そうか、そこにいるのだなと思った。

 

中井久夫さんは、精神病練をダムのように捉えていて、表層のものは変化するが、深く沈殿したものは全く変わらないようだと。表層の人たちは変化もしやすい。しかし、深層の人たちは30年40年とまるで変わらない。

 

西川さんも30年入院していた人がその後回復したというような事例は聞いたことがないと。世間やメディアは変化しやすい表層に光を当てるが、そのことで下に沈んでいるものはより見えなくなる。

 

生きるということはどういうことか。僕はその30年、40年変わらない人たちのあり方から考えたい。「よくなる」とかがないところから考えたい。

 

生きている間、回復は必ずしも保証されてない。

 

ノーベル平和賞をとったムクウェゲ医師が見てきた被害者たちの凄惨さ、救いのなさ。僕にとってリアルを感じられるのは生のそのような救いの無さだ。そこから見つけるのでなければ、自分も救われない。

「迷惑をかけない」は正しいか? 自己疎外を破綻させる存在としての他者 

整体の稽古で複数の人とやるとき、自分一人だけでは出てこない動きが出てくる。社会に戻って考えると、個人が急にアクシデントに見舞われたり、事がおこったりして、周りがそれに対応するとき、普段の行動の繰り返しでない行動がおこる。

 

そしてそれはそこにあった規範や秩序をいい意味で壊していく。それがいってみればそこに環境における関係性を更新する。逆に普段通りの行動は実は閉じていて、環境を更新しない。そればかりか、環境のなかにだんだんと固まった秩序をつくっていく。

 

人間は一人で表面上の安定ができるような環境にいると、どうしようもなく自分自身を疎外してしまう。閉じた環境で同じことを繰り返せるということ自体が自分自身とその環境にいる個々人の関係性を悪い意味で固定化し、閉塞的な秩序や序列をつくっていくようだ。

 

台風は様々なものに被害を与えながらも、自然環境を更新していく。壊されたあとに別の秩序が現れ、壊された既成秩序の隙間に抑圧されていた新しい可能性が生まれてくる。残念ながらというべきなのか、人間の環境もまた、壊されないとより根本的な環境の刷新はおこらないのではないかと思う。権力が必然的に腐敗するのもそういうことだろう。田舎で中学時代の上下関係がいつまでも続くとか、ある環境が安定的であるほど、その環境下で強いものがいつまでものさばり、抑圧も強くなっていく。

 

べてるの家の向谷地さんが、世間的にみて非常に問題を抱えた人に対して「君はべてるに必要なメンバーだ」とべてるにスカウトするとき、向谷地さんは、停滞状況を変えるためには、今の秩序が成り立たなくなることが有効だと認識していると思う。困りごとがやってくる。だがそれが今まで誰も壊せなかった固まった規範を壊す。

 

「迷惑をかけない」ということを鵜呑みにして正しいとするのが間違いなのは、一つはそれが結局は今強い人がのさばることに加担することになるためだ。熊本市議会に子どもを連れていった議員がバッシングされ、いじめられ、のど飴で糾弾されるような、抑圧的な規範が維持されているのがその典型的な事例だろうと思う。

 

新しい人や新しい動きは、古いものが壊れたときに活躍の場を与えられる。よそ者、馬鹿者、若者が固まった環境を変えるのは、様々な人と上手くやるからではない。固まってしまった古い規範を壊すからだ。他者、多様性の価値とは、それが現秩序を壊し、更新する働きをもつことだ。

 

あやまちや現秩序を破壊するものに、人は依存している。それがなければ、人も環境も刷新されることがなく、閉じ、抑圧的になっていく。自分で自分を壊すことは難しい。自分がいつもと違う行動をするのも難しい。だがそのことで自分が疎外され、ダメになっていく。人間は一人では自立していない。自分を壊すものと接点を持たなければ健全性を保てない。

 

もし「人に迷惑をかけない」を完全に実行すれば、まず自分がだんだんと抑圧的で排除的な、迷惑な存在になっていくだろう。精神は狭量になり、不安になり、自分が閉じているのに、周りは助けてくれないと感じ、怒りや恨みをもちはじめる。

 

「迷惑をかけない」ことはできないだけでなく、それを自分で実行したり、周りに強いたりすることで、よりタチの悪い状況が生まれる。迷惑をかけないことはできないけれど、それならどう迷惑をかけるのかというのが問うべき問いなのだと思う。

 

 

10/9南区DIY研究室読書会 里見実『「被抑圧者の教育学」を読む』と矢原隆行『リフレクティング』

里見実の『「被抑圧者の教育学」を読む』も今回で最終回。矢原隆行さんの『リフレクティング』も少し引用した。参加者8名。


<発表レジメ>
◆はじめに
 DIYの意義は、特定の分野に閉じることではなく、生活などを含め、生きることまるごとを自律的に自分(たち)に取り戻していく活動であるのかなと思います。活動が思考を問い、思考がまた生活や活動を問うという循環にあるとき、生きていく世界を開いていくことができると考えています。そのため、生活や活動も読書会発表の一部としてみます。

 

◆活動
9/20 境毅さんと「資本論」の価値形態第一〜第四の理解のための演劇づくり @キッチン・ハリーナ→位置づけ 人間が自分が投影したものを外にある現実と認識して支配される仕組みに関心。また学びにおける演劇手法の探究。月に1回。第三木曜日。
9/22、23芸術実践と人権 山田創平さんたちが企画した講座 被差別部落、性的マイノリティ、ジェンダー、など様々な分野の講師の講演と講演後のゼミに参加。→位置づけ 山田創平さんの企画は内容が濃い。芸術実践自体に関心があるわけではないが、刺激を受け、学べるところが多い。新しい人たちと出会う場にもなっている。2018年8月〜2019年9月
9/24 対話の場づくり当事者研究 日本臨床心理学会発表準備 →位置づけ 自分に必要な話しの場をつくるにはどうしたらいいだろうかということ当事者研究的に探究し、いずれ冊子などにまとめる。探究の場と冊子というかたちで外部世界に接触点をつくり、活動の展開や出会う場を拡げていく。
9/28 支援者当事者研究参加。→他の人の場に行って、場づくりを学ぶ。人と出会う。
9/29 日本臨床心理学会発表 当事者研究の実践者として3人で発表。→位置づけ 出会いの場、人間環境を拡げる。発表の場という舞台で話すことがどのような意味を持ち、体験をもたらすのかを確かめる。
10/1 当事者研究会「ずら研」で、関西当事者研究交流集会の抄録に載せた文章の発表と話しあい。→位置づけ 人間環境を拡げる。自分の特性と社会をつなげる接点づくり。不登校業界で何か活動できたり、人間環境を拡げていくことができるかも。
10/7 当事者研究全国交流集会 →位置づけ 当事者研究の動向を知りに。

 

◆読んだ本 里見実『「被抑圧者の教育学」を読む』 矢原隆行『リフレクティング』


◆里見実『「被抑圧者の教育学」を読む』 補章 p240〜

 

パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む

パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む

 

 

座談<伝えあい>の文化を創りだすために 里見実×『季刊 前夜』編集部(小野祥子
高和政・岡本有佳ほか)

 

季刊前夜・・・特定非営利活動法人 前夜(ぜんや)は、同名の文化・芸術・思想――領域を横断する批評としての季刊『前夜』を発行するNPO団体である[1]。政治的立場は左派、リベラルであり、憲法改定、有事法制植民地主義自由主義史観などに反対している。最近では嫌韓批判も多く行っている。(Wikipedia

 

里見→自分の教育問題への関わりの糸口は二つ。現場の教育実践、特に授業が持っている奥行きの深さに惹かれていた。一方、大学では教育社会学を学ぶ。教育社会学は、学校制度をとおして人間が選別されていく支配のメカニズムをとらえる学問。そこで人間は選別されるだけでなく、その社会体制のイデオロギーや行動様式が個人のなかに内面化される。里見はこの分裂を抱えたまま、70年代にフレイレに出会い、この教育の両面を相互に関連づけながら考えている理論に惹かれた。

 

 文字を持たなかった人々が文字を獲得していくとき、単なる道具の獲得ということを超えた底深い変化がおこる。世界の見え方、世界と自分の関わり方、時運の存在の根源にかかわる大きな出来事が起こってしまう(→(スコット『ゾミア』、グレーバー『負債論』を連想)。

 

一方、文字をただ道具として学んでいる時にはそういう出来事はおこらない。そればかりか、文字や文字で書かれたものは、生きた経験や文化を周縁化してしまい、独善的な教え込みは、支配の行為になっていく(=預金型教育)。どんな価値の高い知識も教えるものと教えられるものの一方的な関係のなかで伝達されると、たちまち硬直した死物になり、思考の糧になるどころか、批判的な思考力や共感的想像力は無残に麻痺していく。制度への適応だけを考えるようになる(→鶴見俊輔の「子問題」への没主体的投入)。預金型教育は人間の「愚民化」と「痴呆化」を招く。フレイレが『被抑圧者の教育学』第2章で行った分析は、いまの日本の社会と教育そのもの。

 

高:一年間韓国に研修に行っていて帰ってきたら教員の側が追い立てられていることに驚く。今までかなり自由にできていた教育が「預金型」に。日本の学校教育はフレイレと反対の方向を向いていると実感。

 

里見:フレイレは「世界を読むこと」が必要だと主張する。我々は世界のなかで、世界の一部として生きているが、読むというのは、読まれる対象である世界と読む自分とを意識的に分離する行為。世界のなかに生きている自分が世界をあえて読む対象としてとらえ返す。

 それは指向的に世界と向き合う行為で、自分が生きている世界を距離を置いて意識的に「注視する」行為、現実を異化し問題化する行為。フレイレのこの洞察は、読み書き行為の本質をつくもの。世界と向き合うという身の置き方がなければ、真の意味でのリテラシーは生まれてこない。

 フレイレの識字の集まりでは、生活の一場面を切り取った写真を目の前に置いてその映像をみんなで徹底的に読み込んで、えんえんと議論する。文字やテクストはあとまわしで、まずは映像を媒介にして、自分たちの現実体験を対象化(→当事者研究と通じるところでは。)する。

 

 世界と向き合い、その意味を解読する行為がリテラシーだとすれば、そこで用いられる記号媒体はかならずしも文字だけではない。儀礼は文字言語に匹敵する一種のエクリチュール

 

 儀礼は、日常の行為を日常から切り離し、ドラマとして象徴化したもの。日常の行為が異化されて、日常の時間のなかでは見えてこなかった様相や意味がそこに映し出される。儀礼がある種の発展を遂げると演劇になる。人間はラスコーの壁画以来、演劇的身振りとか、絵画とか造形とか、様々なコード表示を使って、世界と向き合い、それを「意味あるもの」として再構成してきた。人間が世界と向き合い、そこにみずからを再定位する過程をフレイレは「意識化」とよんだ。
 
 「意識化」という概念については、後年のフレイレはある種の自己批判を踏まえてかなり用心深くつかうようになった。主観性の領域を特権化してはならないと考えてのこと。無論、主観性を軽視する「客観主義」に対しては徹底的に否定的であり続けた。フレイレは、「意識化」を単なる個人的な行為でなく、場のなかの行為としてとらえてきた。リテラシーや意識化を常に「対話」と一対のものとして語るのが、フレイレ教育論の大きな特徴。

 

 文字文化とそれを核にした学校文化は、どうしても対話と逆である伝達に傾斜しがち。もともと文字は「帝国」の所産で文化支配と一体のもの。その文字文化を広い意味での場の文化のなかに囲い込んで、その性格を変えてしまうのが彼の識字戦略。文字の文化をオーラルな文化や身体性のなかに送り返していく。

 

 「人間化」は、フレイレの教育論の根幹。支配者たちは人間をものや機械に見立てる。そして受動化された人間はしばしば自動機械のような存在になる。教育はそのための手段となる。人間は人間になる可能性と自らを非人間化する可能性の両方に向かって開かれている。人間が人間になるのは容易でなく、生得の能力のように思われているような思考力も実際は非常に不安定な能力。人間の「人間化」は、「宿命」でなく「使命」なのだとフレイレはたびたび指摘する。人間存在の危うさと非人間化の危機は今日ほど深まっている時代はない。

 

 支配者も被支配者も非人間化の危機に巻き込まれているが、避けようもなくその事実と向き合い、それを自覚する機会をもたされているのは被支配者、被抑圧者である。抑圧者はカネや権力を後ろ盾にして、能天気に自分が「人間」だと思っている。抑圧者に自己投影した被抑圧者も、自分が抑圧者になりかわることで「人間」になれると思っている。だから抑圧的社会の構造を変えようなどとは思わない。

 

 フレイレは、しかし人間を非人間化する構造と闘わない限り、被抑圧者も抑圧者もみずからを人間化することができないと指摘する。人間の非人間化という実存状況を意識化することこそが、人間が人間化の可能性に向かってにじり寄る契機なのだという。その可能性に向かってより大きく開かれているのが被抑圧者である。この思想はキリスト教神学特に「貧しきものへの択(えら)び」という解放の神学の思想と繋がる。
 
 日本は、権力者や抑圧者への自己同一化が南米に比べてとても強く、みなが自分を小権力者だと思っているよう。それはつまり人々の無力感の表明でもあるだろう。子どもが強さに憧れるように、強者に憧れて、そこに自分を投影する。いじめについて、学生に意見を聞くと、自分をいじめる者の側に仮託して、いじめられる側の弱さをなじるという議論が最近は結構多い。それほど彼らの無力感が底深いものになっている。「弱さ」をどのように力として自覚し、「つよさ」に反転していくことができるか、フレイレが『被抑圧者の教育学』で追求したのはこの問題。(→鶴見俊輔の「親問題」と通底しているよう。)

 

 自分の傷ついた部分に根ざす能力が、追い詰められた状況で力をあらわす。自覚された自分の弱み(ヴァルネラビリティvulnerability)にうらうちされた力が、自分にとってたよりにできるものである。正しさの上に正しさをつみあげるという仕方で、人はどのように成長できるだろうか。生まれてから育ってくるあいだに、自分のうけた傷、自分のおかしたまちがいが、私にとってはこれまでの自分の道をきりひらく力になってきた。 鶴見俊輔『教育再定義への試み』

 

 

 被抑圧者からのし上がった抑圧者は、かつての仲間にたいして抑圧者以上に抑圧的になるとフレイレは指摘する。被抑圧者の精神の内部には抑圧者が宿っていて、しばしば彼を支配している。よって被抑圧者をただ良きものとして固定的に捉えてはならない。機械論的なマルクス主義本質主義、ある階級なり性なり民族なりに属する人間は、その帰属によって規定された限界のなかでしか行動し得ないという宿命論的還元主義にたいしてフレイレは激しく反対する。

 

 フレイレは90年代にそれまで一緒にやってきた政治的左翼の人たちが新自由主義に変わっていく様を目撃してきた。しかし、ラテンアメリカに限ると、厳しい軍政の試練の下で人々が培ってきた社会的・文化的土壌が90年代に入って次第に前面化し、社会運動としては再度の高揚期を迎えた。ブラジルでも98年に労働者党がサンパウロで勝利し、フレイレは91年の三年間、大サンパウロ行政区の教育長を務め、大胆な公立学校改革を実施し、教師たちの自由な教育実践を励ますと共に、学生や住民が学校運営とカリキュラムの決定に参加できる体制を作った。これは都市の学校改革の一つとして世界的な注目を集めた。

 

 70年代はフレイレは亡命中で、80年代のはじめもまだマイナーな存在であったが、亡くなる頃のフレイレは変革の大波の先端にいて、しゃかりきに動き回って命尽きた。その後、ブラジルではルーラが大統領になって、他の南米の国々と共に、北米主導のグローバリゼーションに抵抗している。80年代の抵抗が生きていて、その上で今日のブラジルがある。日本との違い、隔たりがある。

 

里見:70年代にフレイレが日本に紹介された時、一番熱心だったのは解放同盟の人たちだったと思う。教会のなかにも読んでいた人がいた。当時、里見たちは第三世界の民衆文化運動に学びながら、日本でも同じ思想とスタイルの運動を起こせないかと試みていたが、徹底的に少数派だった。紹介に対しても反応は冷たかった。輸入品というおきまりのレッテルがあった。日本を一歩外に出ると、南米の経験は大きな衝撃として受け止められている。「日本って、なんなんだろうと思いました。」日本でも南米小説のブームはあったが、それはヨーロッパ経由のもの。民衆レベルのベーシックな動きにたいしては、日本の知識人は非常に鈍感で閉鎖的だった。

 

 フレイレの思想が現在進行形で生きて動いていると感じ流のはベル・フックスの仕事や実践者たちの実践記録のたぐい。プエルトリコ出身の女性教育学者『パウロフレイレを再発明する』など。米国には批判教育学と名乗るエコール(派)があり、理論的にはフレイレジョン・デューイの強い影響を受けている。またヴィゴッツキィにつらなる社会構成主義バフチン的な対話の理論などとも相互浸透して、大きな流れになっている。

 

ベル・フックス(bell hooks、本名:Gloria Jean Watkins、1952年9月25日 - )は、アフリカ系アメリカ人の知識人であり社会活動家、フェミニストでもある女性である。現在、ニューヨーク市立大学シティカレッジ教授。

フックスは、人種、階級、ジェンダーの相互関連性、及びそれらが抑圧と支配のシステムをつくりだし、永続化させてしまう力を持っているということに焦点を当てて研究している。30冊以上の著書や多数の著名な学術論説やメインストリーム(mainstream、障害者にも健常者と同じ生活や暮らしのリズムをと訴えるノーマライゼーションアメリカでの呼び名。ちなみにアメリカでのノーマライゼーションは白人とアフリカ系アメリカ人の対等の権利や機会のこと)に関する記事を執筆している。また、数本のドキュメンタリー映画に出演し、多くの講演も行っている。黒人女性という観点を基底としながら、教育、芸術、歴史、セクシャリティ、マスメディア、フェミニズム等における人種、社会的階層、ジェンダー問題に取り組んでいる。(wikipedia

 

里見:北アメリカでのフレイレ受容を追いかける過程でフックスと出会う。ひとりの当事者として、大学での授業実践の可能性を追求する彼女のスタンスに非常に共鳴。単純に訳したくて彼女の『とびこえよ、その囲いを』を訳す。フレイレのプレサンスはこの本のなかで余すところなく示されている。一方、フレイレがあまり十分に展開していない論点の一つに、からだの問題がある。フックスはそこに大きなアクセントをかけているというのが初読の印象。自分がその問題に直面していたため。

 
 教師と生徒の関係は、お互いの体のあり方というかたちで非常に具体的なものとしてある。知識や学習内容もその時その人の声となって具体化される。それは楽譜でなく演奏。具体的にどういう演奏になっていくかは、演奏者がどういう仕方でその場に身を置いているか、どういう相手との関係を作り出しているかと切り離し難く結びついている。からだのあり方という次元で非常に強い制度的な「しばり」が働いていて、預金型教育というのは、一つにはそういう「しばり」の結果として生まれてくるものではないか。ベル・フックスの文章にはそこを考えるヒントがたくさんある。


 何を教えるか、どう教えるかとか、そんなことばかりでなく、もっと根本的な問題は、教室のなかでの自分のからだの「こわばり」をどうほどいていくのか、ではないか。先生はどうしても頑張ってしまう。頑張ると人の話しが聞けなくなり、「語る」からだが先走って、「聞く」体になって行かない。対話が大事というけれど、目の前に聞く耳があるからこそ、声と言葉が誘発される。(→中動態の話しとも通じる。意思がからだを閉じた、非応答的なものにしてしまう)

 

高:フレイレは「知っているものが知らぬものに教える」ためには「知っているものが決して全てを知っているわけではないこと、次に、知らぬものが何も知らぬわけではないことを知ることが必要なのだ」と言っている。フックスは「抵抗運動のなかでこそ、アイデンティティを確立しうるんだ」ということをフレイレから学んだと言っている。

 

里見:小さな場で何ができるかを考えていくほかはないと思う。自分が関わってきた学校の授業の問題に限って言えば、知識を単に記憶するもの、自分とは関わりのないものと考える傾向が年ごとに強くなっている。最近では小学生さえ「私はこう思う」と「一人称」で主語を立ち上げることがなくなってきたとある先生が嘆いていた。

 

 教科書にはこう書いているとか、答えはこうだとか、思考のなかから「私」が消えている。自動機械化が進む。ささやかなことかもしれないけれど、あなたはどう思うか、どうしてそう思うのかを丹念に問いかけ、教室を「自分の考え」をつくる共同の場にしていくこと、そんなところからやっていったらどうかと思う。
 
 ネガティブな現実をしっかりと見据えながら、反転の契機を見つけ出していくのがフレイレのやり方。非抑圧者が非人間化という極限状況をいわば跳ね板にして意識化と変革の実践に歩みでていくという『被抑圧者の教育学』の基本思想のなかにも支配と抑圧の装置として昨日している学校教育のなかにそれを反転する抵抗の契機を掴み取ろうとする対話の理論にしても、厚く塗り込められた黒々とした色調のなかから光を採り出すようにして議論をすすめていくのが彼の文章の特徴。そういう呼吸というか、行動の文体というか、言葉とからだを自分自身がどう獲得していくかが、問われているのだと思う。


(※『季刊 前夜』2007年夏号所収の「<伝えあい>の文化を創りだすために」を再録。この座談は里見実、小野祥子、高和政、高山智樹、岡本有佳、須永陽子、中條朝が参加して行われた。)


◆矢原隆行『リフレクティング』

 

リフレクティング: 会話についての会話という方法

リフレクティング: 会話についての会話という方法

 

 

ベイトソンが情報とは「差異を生む差異」であると指摘したことはよく知られていますが、アンデルセンは、それを踏まえてさらに「差異を差異化する」ことの重要性を指摘しました。そこで示されるのが、「小さすぎて気づかれないような差異」「気づかれるのに十分な差異」「システムを壊してしまうような大きすぎる差異」という三つのタイプの差異です。

 これらの差異のなかで「適度な差異」だけが次なる差異、すなわち「変化」を生み出すことができます。アンデルセンは「意味を創造する者たちが、お互いに他の者から丁度良いずれをともなった意味を生み出すなら、彼らは相手のアイデアを受け入れることができるだろう」と述べています

 

 

 ルーマン(注:システム論者)における観察概念は、「区別と指し示しの操作」というスペンサー=ブラウンに由来するきわめて形式的な定義を出発点としており、その概念としての汎用性は非常に高い。実際何かを観察する際には、その何かを指し示さねばならないし、何かを指し示すためには、それを他のものから区別しなければならない。(略)
 観察におけるこうした区別は、その区別をもって見ることができるものを見ることができるという意味では、世界へ何らかの接近可能性を開くものである一方で、この区別をもって見ることができないものは見ることができないという意味では拘束でもある。したがって、ある観察を遂行している観察者が自らの盲点、すなわち、自らが用いている区別自体を同時に観察することは不可能である。ある観察が何を観察することができないかについては、観察図式の転換(別の視点から観察すること)や、時間の助けを借りて(過去の観察について現時点から観察すること)のみ、観察することができる。それが観察の観察、すなわち二次的観察ということである。

 

◆ふりかえり
 フレイレの被抑圧者が抑圧者を内面化し、抑圧者になろうとするというあたりを別の分野のもので表現されていることがあれば見てみたい。9/22の上野千鶴子の講義で、性において女性が解放されれば女性は男性の身体の表象に向かうかと思われたが、そうではなく、内面化された男性の視線をもって女性を見る対象としたという歴史的流れが紹介されていた。抑圧者、支配者の視線は内在化されており、自分の欲望と思うものも、実は見え方を先に規定されているところから現れているのなら、どこに「自由」はあるのだろうか。それを解く方法はあるのだろうか。

 

 矢原さんの『リフレクティング』に観察とは何かという下りがあり、興味深かった。もう少し読んでみる。

 

 当事者研究民間学、在野学として位置づけるという文章を書いたところ、思ったより当事者研究界隈や普段反応しない界隈から反応があった。学ぶということが、学校やアカデミズムに独占されているように思わされている現状で、当事者研究は学びの個々人への取り戻しという大きな意義があると思う。ただべてるの家当事者研究は、精神病を患う人たちの当事者研究であり、かなり特異なものであり、またそれがどうしても心理・精神的な領域に偏りがちというところもある。当事者研究という一技法を盛り立てていくのではなく、個々人に学びを取り戻していく、民間学、在野学(もっといい括りがありそうな気もするが、とりあえず。)を盛り立てていくというあり方が結果として当事者研究の広がりにも寄与するのではないかと思える。

 

 大阪の二畳大学という学びの場で、留年論文と称して、在野で自分の興味のある研究をすすめ、発表する取り組みがある。そのような場を京都でつくったり、モデルとなるようなあり方がつくれないか。一つの領域におさまらない横断的な研究の発表、境界的な研究を発表する、アカデミズムにおさまらないジャンル難民のための学会などができないかと思う。

意思と反動 時間を止めることと震えとともにあること

あるグループで話しの場を持った。途中、「寛解」とは何か、「当事者」とは何かという頭の議論に走りそうな時があった。

 

自分の当事者性に目を向けそこに近づいていくとき、震えが感じられる。だが頭の議論はそこから遠ざかる。

 

知識やスキルは武器だ。頭は自動的に、無自覚に、震えへの近づきを拒否するために自分の獲得したものに駆け戻り、それを強化し、遠ざかろうとする。そこにしがみつき、自分の震えを消して「安心」したい。

 

だがその「安心」にもどってもどこにもいかない。その止まった時間の世界で、感じている違和はまた先送りにされる。強い自分へのしがみつき、それによる場の支配。

 

更新を拒否するオペレーション・システム。わずかにでも出ようとした震えを打ち消そうとする無自覚な衝動性は強い。だが本人は自分がそう言ったのは自己一致した素直な反応だと思っているだろう。自己一致とは震えとともにあることなのに。

 

支援者「なのに」なぜそれを感じないのかと当事者界隈ではよく言われるが、意思で強く自分の震えを止め、コントロールしているからこそ、意思でコントロールできない、意識の間隙をついた真逆の衝動性、反動がでるのだと思う。だからその現象は、支援者「なのに」ではなく支援者「だからこそ」そうなってしまうのだと捉えるのが妥当なのだと思う。

 

精神の時間は震えが感じられる状態で流れていく。感じられる世界はそのことで更新されていく。