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降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

高まり

→松本大洋 🔳マンガ

大学時代から話しの場がほしかった。


話しの場がなかったわけではないけれど、足りなかった。友人に頼めば、別にいくらでも話しは聞いてくれただろうけれど、聞いてもらうということがしたいわけではなかった。相手が自分と同じぐらい関心がないことを話してもむなしかった。

 

zeroという松本大洋のマンガがあって、そこで表現されていた主人公の飢えが自分の体験している感覚と一番近いと思った。zeroは、リングの上でしか人と関われる場所がない。しかし、物語ではzeroは強すぎるので、自分の渾身をぶつけられる相手がいなかった。幼いzeroが、虫を手で潰しながら「(みんな)すぐ壊れちゃうんだ」というシーンがある。

 

ZERO―The flower blooms on the ring………alone. (上) (Big spirits comics special)

ZERO―The flower blooms on the ring………alone. (上) (Big spirits comics special)

 

 

渾身をぶつけられないと終わらない。引退間際の年になった時に、若く自分と同じような狂気を持った南米の若いボクサー、トラビスに出会う。試合で、意識が混濁し、子どもに退行するほど手ひどいダメージを受けて、zeroはようやく自分の殻をかなぐり捨てた衝動そのものになる。

 

「もっと高くへ行こう もっと高く もっと高く」と狂気を高めていくzeroの内面のセリフが、自分の求めている感覚に強く一致した。そうだこういう感覚だと思った。トラビスは、zeroと同じような狂気を持っていたが、途中からzeroの狂気の高まりに耐えられなくなる。

 

「ここは高すぎる。息ができない。」

 

「人」に戻ったトラビスはzeroに潰される。

 

相手が自分と同じ求めを持っている時、そのことによって高まりが生まれる。その高まりによってしか、自分を終えていくことができない。死に切れぬものを終わらせることができない。

 

自分が話しに求めていたのは、その高まりだった。高まりそれ自体の自律性がこの牢獄を終わらせる。何を理解せずとも本能的に体はそれを知っていて、そこに行くように駆り立てていた。

 

誰かの凝縮されたリアリティに触れたい。それが高まりに該当する。そのことによって、自分のリアリティが動き出す。死んでいるように生きていても、その凝縮されたリアリティがこちらに反応をおこす。

 

誰かがその身、その生において凝縮させたリアリティを食べて自分は生きてきた。それによって体を更新してきた。そうでしかあれない。

<zeroについての過去記事> 

kurahate22.hatenablog.com

 

バッファゾーンを育てる

→アズワン・コミュニティ 畑・自給自足

今頃昨年を振り返りつつ。


1月〜2月は、アズワンネットワーク鈴鹿滞在。農場などで働かせてもらいながらコミュニティ内で、対話ができない状況を乗り越え、時間を経るごとに関係性の成熟がすすんでいくことを成功させた自己観察の手法を学ぶ。


鈴鹿の外から来て学びながら滞在する人は、留学生と位置付けられているが、僕は京都と鈴鹿を行ったり来たりの半留学生ということで、実験的にポジションをもらった。


他の留学生は半年とか、現地に身を浸しながら一年を通して体験的に学ぶのに比べ、僕の方は短期滞在であり、同じようにはいかない。それを補うために、滞在中コミュニティの人にインタビューを行うことにした。

 

インタビューは、日常でそんなにやりとりする場所にいない人でも話す機会を生み、関係性を少しつくれる。そして個人的な興味として、アズワン鈴鹿コミュニティで起こっていることとは何なのか、自分なりに理解したかった。

 

このインタビューがきっかけとなり、『幸せをはこぶ会社 おふくろさん弁当』の共同執筆に混ぜていただいた。個人としてamazonで買わないが、初のamazon本。個人で活動している時、自分の活動を人に知ってもらうと色々と話しが巡ってきたり、人に出会えたりする。活動の展開は、そういう関わりの中で生まれてきたので、加えていただいたことが大変ありがたい。

 

本町エスコーラの佐々木暁生さん、山口純さんがアズワンに興味を持ってくれてオープンデイに訪れたり、合宿に参加してくれたりする。鈴鹿と京都を行ったり来たりして、鈴鹿の人を京都によんでお話ししてもらったりもする。お金が出るわけでもないのに快く京都まで来てくれた鈴鹿の方々の厚意は感謝にたえない。おかげで展開の可能性を持った環境が育ってきた。

 

自分は探索し、媒介する人間だと思う。関心ある範囲は狭いが、ある場所でおこっていることが何なのか、知られていないが面白い可能性を持っているもの、そういうものを見つける。そして見つけたものを別のどこかに、反応がおこりそうなところに持っていく。媒介によって自分の活動や居場所を作っていく。

 

自給的活動のなかで重要なのは、周辺の環境を育てることだという実感を強めている。自分の中核となる活動はそれとしてやる。最低限の自力でそこを持続的にやる。すると、自分の環境と、自分と全く関係ない社会の間のバッファゾーン、境界がだんだんと生まれ育ってくる。この境界づくりが実は活動の展開を支えるものだ。新しいもの、環境を循環させるのに必要なものはここからやってくる。ここが自力では獲得に限界がある世界の多様性を程よく届けてくれる機能を果たす。

なやカフェへ

久しぶりになやカフェへ。

 

不思議な時間がながれる【なやカフェ】 - NAVER まとめ

 

明日明後日もやっているみたいだけれど、僕が行けるタイミングは今日だけだった。
なやカフェは入ると空間の質が外の世界と違って、時間が止まっているように感じる。店内には石臼があって、それで自分でひいた粉でそばを食べるということがこの3日間はできる。僕はひかず、見にいっただけだったけれど。

 

この世界の片隅に」の話題が出て、マスターのゆうきくんは友人に見て面白くなかったら私が返金するとまで言われたそうだ。僕は数年前に原作を立命の永橋為介さん(ためさん)に貸してもらって知った。

 

ためさんは、吉野川住民運動をやっていた姫野さんが京都に来てシンポジウムをやった時に出会った。僕はためさんの四回生ゼミになぜか参加させてもらって、林竹二を知って、西川勝さんのパッチング・ケアの概念に出会って、こうの史代も知った。

 

ためさんの四回生の卒論ゼミでは、ためさんと生徒の関係性にびっくりした。卒論ゼミで、ためさんからふって、恋愛相談していたと思うと、ぐっと研究に焦点を絞った高度な話しになる。ゼミ生は、これは先生の言ったことだからなどという余計な遠慮がない感じで、自分の感性をそのまま出す。そしてその感性が研究に鋭さを与えているのが感じられる。

 

こういう場を見たことがなかった。ゼミ生は、どこから来たかわからない僕のようなものもフランクに受け入れてくれた。

 

こういう雰囲気を含めて、これはためさんが作った場なんだと思った。ためさんはNPOなどで、ファシリテーターもされていた。ためさんのゼミに参加して、関係性のなかで人が生きるということがよくわかった。これは今の僕の学びの場のイメージの原型になったと思う。

 

たまにある出会い。振り返れば、それが一度に多くのことをもたらしてくれる。状況が動かないと思われるなかでも、何とかやれることを積んでいくと、そういう出会いにつながる感じがする。でも出会いを前提にすると疲弊する。なくてもやるつもりでやっているとくる感じだ。

 

ゆうきくんは、ある家づくりを仕方ない状況でやめたところに別の家づくりの話しが来たそうだ。世界と自分の状態は呼応していると思う。

 

自分が考え、見て、選択し、展開を生まなければいけないのではなくて、おこることは自律的。今この時も世界と自分の間には呼応があり、既に自意識ではとらえられない何かがおころうとしていると意識を変えると、自分が何かをおこさなければいけないという強迫は弱くなる。意識は目の前のもの状態に敏感になり、その動きをより捉えるようになる。意識による強制管理が弱まると、体や心が自律的に自己回復的な運動をはじめる。

 

だが同時にこの新しい動きに対する自意識の抵抗がある。だから何かがおころうとしていると感じる時、呼応を感じる時には踏み込む。自意識はいつでも安全なパターンに入ろうとするけれど、それが結局牢獄でもある。

 

ゆうきくんが石臼の話しをしてくれた。粒をたくさん入れすぎると、砕けてないまま粒が外にでてしまう。石臼を使っているお店などで観察すると、お店の電動のやつでも一粒一粒、ポロポロと臼に入っていくようになっていたそうだ。たくさんを一度にやると、何度もやり直しをしなければいけなくなる。回すのが早すぎても砕けない。

 

よって、粒はちょっとずつ入れ、回すのもある程度ゆっくりが一番効率的だということ。早く多くやるのが効率的ではなく、少しずつゆっくりやるのが効率的だというのが面白い。

 

僕はバイト先からいつも落ち葉をもらう。アスファルトの上では落ち葉は単にゴミだ。アスファルトに覆い尽くされた場所は、車輪には「効率的」でも他の面ではどうか。別に掃除しなくても違和感なく、そのまま土に戻り土を肥やすはずだったものがゴミとして大量にでて来て、その処理のために使う膨大なエネルギー。

 

硬いアスファルトの上を歩くことによる、足や腰へのダメージ。僕は四国遍路をやっていて、痛くなった足もアスファルトの横の側道の土の上なら痛みがやわらぐのを実感した。でも足腰に故障がくれば、それにまたお金を払うわけだから資本主義的にはいいのだろう。

 

資本主義の「効率化」は、そこに重なる様々な文脈を無視して成立している感じがする。周りのものの停滞とか故障を引き起こしているのなら、全体で見たとき、それは人にとっての効率化だろうか。

 

ちょっと年配のご夫婦が店に来られて、すっかりお腹をすかせていたそうだが、粉挽きに30分ぐらいかかると言われ、ええ、と言いながらも粉挽きにかかる。交代でどちらかが回し、どちらかがポロポロとそばの粒を入れる。同じリズムで、ずっと繰り返し回す。ゆうきくんは、歌が生まれるのがわかる、という。

 

何かの用に使える時間は、何かの用に使えるはずだからという理由で、邪魔してはならなくなる。だが、もう他の何の用にも使えない時間は、何を話してもやってもいいから、人はそこでようやくお互いに自由にならないだろうか。他のことがやれないという自由によって、役立ちや有用性から離れたやりとりが生まれ、実のところ、それが必要だったりはしないだろうか。

 

必要な自由は、既にあるもの、支配的なものを打ち消すことによって生まれる。既にあるもの、支配的なものによって、自分も生きているのだけれど、同時にそれによって支配され、新しい世界との関わりを奪われる。

 

だから、次の状態に行こうとするときは、外側のものであれ、内側のものであれ、支配的なものの統制が効かなくなるような状況を作りだす。日常を離れ、旅に出るのは、そういう意味がある。

 

話しの場の自由もそうだけれど、お互い自由にしゃべりましょうね、では自由にならない。結局それは、それまでと同じ規範が続いているだけで、しゃべりの場における強者が支配する。飲み会の場と同じなら、わざわざ話しの場をつくる意味が感じられない。
既に強いものは何か、支配的なものは何か、というところを打ち消す必要がある。

 

だけれど、それまで強者の人はそういう規範は当然嫌いなので、それは自由じゃないというだろうし、不当だとすら感じるだろう。オープンダイアローグで、途中で全体の話しの流れを一旦切り、リフレクティング・プロセスをするのは、支配的な流れを打ち消す意味もある。

 

そもそも話しの場というものが、全く自由ではない。それがスタートで、ならば支配的なものをどう部分的、限定的に打ち消せるか、という話しになってきて、ようやく生産的になっていくように思う。

 

つらつらと思いつくままに。

死んだように生きている

誠光社で、砂連尾さんと西川勝さんのトーク。

 

www.seikosha-books.com


楽天堂のむうさんとも久しぶりにお会いする。対話の場を作られようとして、なかなか難しかったとのこと。アズワンの話しを紹介する。

 

砂連尾さんのお話し、自分は幹のようにあって、枝葉が動くようにとか、感性でとらえられたことの表現がやっぱり面白かった。それはどういう感じだろうか、と聞きながら自分もその感覚をなぞってみている。


ある人が感性でとらえたものが面白いなと体感する時、僕はその表現されたことの論理的整合性とか、思想的一貫性とか置いておいて、コラージュを構成するパーツのようにとっておく。考える枠組みは、記憶に残っているパーツのコラージュでできている。

 

感性でとらえたことを表現する時、自分の説明が論理的に矛盾することを気にする人がいるけれど、僕はその人にそういう整合性を求めていなくて、整理はこちらがやるから言葉として矛盾していてものびのびと話して欲しいと思う。のびのびと話してもらう時、情報としても最も豊かになると思う。

 

西川さんと久しぶりに話した。西川さんは、欺瞞のあるもの、中途半端なものはバッサリ切る。哲学カフェも取り繕ったうわべのやりとりになるなら意味があるとも思えないと考えられているよう。

 

誰かに何かを教えたり、誰かを変化をさせたことではなく、関わりによって、自分がどう変わったかが重要であり、語るならそれを語れと言われる。正論。

 

砂連尾さんが、合気道で力を抜けといわれるけれど、意識的に抜くとそれは違うといわれるという例をだしていた。言葉による体の支配、動き方の支配をどう機能不全にさせ、動きを解放するか。「地球を動かす」ように歩いたり、鏡に映る動きよりちょっとだけ早く動こうとするとかいう指示で、言葉によって矛盾を作り出す。毒を持って毒を制するようなことでもあるのかなと思った。

 

西川さんは、釜ヶ崎のおっちゃん達と哲学の教室をしているらしい。権威などまるで認めないおっちゃん達とのぶつかり合いが、西川さんにとっては健康的なもののようだ。
僕はあまりワイルドな感じのところには行こうとしない。そういうところからは離れていようとする。

 

この世界の片隅に」をみたある人が、敗戦の際に絵を描く右手を失ったすずさんの、考えないでいいまま居られるところに居たかったという言葉を引用しながら、すずさんはそれまで「死んだように生きていた」という。自分が連れていた人の子どもごと右手が爆風で飛ばされるという現実の暴力に出会い、すずさんは生きていることに直面せざるを得なかった。自己完結した世界に修復できない亀裂を入れられたということなのかと思う。

 

 

生きものは、安定を求めるけれど、安定とは静的な状態であり、いわば死だ。生はいつも安定という死を求め、安定にあるならそこにとどまろうとする。安定したら、もう変わらないでいて欲しい。たとえそれが少し長いスパンで見れば不安定を引き起こすことであっても。

 

いや、やはり安定への固執は不安、恐怖の強さのせいなのか。安定しても退屈になり、ムズムズする。それは、その安定ではぬりつぶせない亀裂が人の心の底にあるからだ。一方で塗り潰そうとし、もう一方では根源的な向き合いを求める。魔女ランダと神獣バロンの永遠の闘い。

 

自分もまた死んだように生きていると思う。本当は保持できない変わらなさを維持しようとするのか、それとも踏み込み、出会い、自らの中にできたシステムを破綻させていくのか。西川さんのように、結局は、後者の方が割りがあうと思い出すものなのか。多分、そうなのだろう。

11月活動報告

10月からはじめて2回目の活動報告です。

 

5日

大村はまさんの教え子の苅谷夏子さんお話し会。はまさんの普段のふるまい、何かに対する対応や反応の話しが時々出る。

 

個人的にはそこが一番考えられて面白かったかもしれない。何をどのようにとらえ、どう対するのか。凝縮されたものを知っていくてがかりになるように思う。

 

8日

働きたいおんなたちのネットワークの吉田秀子さんに会いにいく。出会って11年ぐらいになる。

 

講演とワークショップの企画を宇治ではじめたころ、近隣へのチラシ置きで事務所にお伺いしたのがきっかけで関わりをいただくことになった。自分の話しが通じて手ごたえを持って聞いてもらえている感じがあり、別に何かを相談するわけでもないけれど関わりのなかのやりとりで支えられた。何が全うで何がおかしいかを瞬時に判別し、評価する感性が気持ちよく、吉田さんの話しはずっときける。今は介護事業の立ち上げに動かれている。何か面白い接点をつくれたら。

 

10日

自給農法を学ぶ場、京都のらびと学舎の打ち合わせ。自給農法の考案者の糸川さんが講師として来られなくなったここ2年。またそれ以外にも様々な変化を受けて、あり方を模索中。 

 

11日は

カフェパランのmorning zine circleに。今回はジンフェスの運営やお金集めなどの話し。ジンフェスはやりたい。クィア食堂の方などに話してみたら展開がおこるだろうか? マイノリティが自分たちをエンパワーする環境があればいいと思っている。

 

そことも関わるが、当事者研究大会が気になっている。(今年のは終わった。来年の実行委員を募集しているそうだ。)もし様々な当事者が自分たちの研究を発表する場が常時用意されるような環境になったら何がおこるだろうか?

 

研究ということが何か大学とか研究機関の専売特許みたいな見方もあるが、研究機関にいなくても、個人でも一点集中でそこに関しては時代の先端に行っている人はいる。

 

それを応援し、その実りがシェアされる場があると、情報も生き方の多様性も創造されるのではないか。ここはやったら面白いうねりになりうるのでは。

 

学びは既にできた施設や用意された媒体でしかできないものではない。学びの主体性を普通の人が取り戻すという意味でも意義が深いと思う。

 

12日

京都橘大学でオープンダイアローグのワークショップ。センテンスの赤阪さん夫妻からご紹介を受けた。

 

自分ではつながっていなかった場。ワークショップの内容に期待していたというよりは、オープンダイアローグをやっているところや人に関わり、何かにつなげられないかというのが動機として強かった。

 

主催者の滝野さんとは関われそうだ。またここでカフェコモンズで第二木曜に会をされている吉本さんと会う。友人の紹介で2週間後に会う予定だったのだが、この場で居合わせ、色々話しができた。

 

オープンダイアローグといい、吉本さんといい、自分だけではつながらないところからつながりをもらうのは本当にありがたい。

 

このワークショップ、しかし予想以上の体験ができた。自分がオープンであることで場と自分に何がおこるかを鮮やかに体験した。オープンであれば気がめぐる。

 

ちょっとした自分自身の抑圧がどれだけ気勢を削いでいるのかよくわかった。この体験は次につながるベースになるだろう。

 

14日

知り合いの田代順さんが来京し、本町エスコーラを紹介させてもらう。田代さんは武術家、臨床心理士で、オープンダイアローグのリフレクティング・プロセスを使ったワークを工夫されている。

 

田代さんは3年前、うちでやった「ナリワイをつくる」(著 伊藤洋志さん)読書会に渡邊あい子さんの紹介で来られた。

 

エスコーラの佐々木さんにライフレビューをしてもらって、それをリフレクティング・プロセスを使って対話すると何がおこるかをやった。

 

本人も気づいてなかったようなことが発見され、また周りの人も近くにいても知らなかったようなことが確認され、面白い場だった。次回の対話の場で、リフレクティング・プロセスをやってみようという流れに。

 

16日

栗原康さんお話し会。伊藤野枝という人からどんな視野がひらけてくるのかという話しだったかと思う。村上潔さんも来ていて、フェミニズムと野枝との距離の話しも興味深かった。

 

マイノリティが集まり、自身をエンパワーする。それはサバイバルとして何もおかしくないあり方だ。と同時に、団体を維持し、自分たちの取り分を確保しながら、拡大再生産していくということ自体をながめると、他のマイノリティでない団体と変わらないという様相があると思う。

 

どれだけ自分たちのところに外から持ってくるかをそれぞれがやってきるから生きにくい社会になっているということもあり、難しそうだ。個人的には、自由というのはその性質として、維持とか確保とかと折り合いが悪いように思う。

 

 

20日

2ヶ月ぶりにからだとことばのレッスンへ。野口体操と竹内レッスンをベースに、体を揺らしてほぐしたり、宮沢賢治を朗読したりする。

 

ただそこに書かれている言葉を発音するのではなく、そこにあるものとして出会いながら読むと体験が変わる。読んだあとに、物語の世界を本当に体験したような感じになっている。ここでも自分のあり方で体験が変わるというのは興味深い。

 

マルティン・ブーバーが神が実在することをどうしても感じとれず、本気で絶望の言葉を神になげかけたとき、その瞬間実在を確信したという話しを読んだ気がする。それを思い出した。

 

体験は外部にあるようで内在しており、特定のフィルターに光をあてるように、呼びかけ、動くならば、その体験をするのではないだろうか。

 

22日

井上老師の京都禅カフェ。自分で悟りを得たという人ははじめてみて、とりあえず行ってみた。言われていることは一貫性があった。認識が完全に脱落した状態は、観察者がいないので体験すらできないが、その状態があることを紛うことなくはっきりと知ることで、自分が属し、支配されていたリアリティの根拠が瓦解する。

 

それ自体は直接体験できないものを間接的に間違いなく知るという構造は何にたとえればいいのか。「もし自分がAであるならば、このときは必ずBになる」という式がどこからみても間違いないかたちで設定できるなら、「Aであれば必ずBになるはずであるのにBになっていない」→「自分はAではない」ということになるみたいな感じだろうか。

 

なろうとするとむしろ遠ざかるというところなど、自分がこれまで確かめてきた人間の変化のあり方と通じるところがあった。

 

24日

オープンダイアローグの会でお会いした吉本さんとお話しし、僕も年明けのカフェコモンズのお話し会で話しをするような流れに。

 

今後の予定としては、28日夜はちいさな学校で、29日昼間はみけねこ食堂で哲学カフェ。12/1は熊倉さんの三田の家のお話し。

 

オープンダイアローグ、観察する対話、当事者研究、インプロなどを位置づけ、人が更新していく場を作っていきたい。

報告 11/14 哲学カフェ 自立について第2弾

<11/14 ちいさなおはなし会(哲学カフェ)@本町エスコーラ>
先日10日に続いて、もう一回「自立」をテーマにやってみました。

「観察するための対話」をやりたいという思いで、ちいさな学校や本町エスコーラでここ何ヶ月か試行を続けてきました。


昨日は「自立」をテーマにやりましたが、拡散的にならず重要でありそうなポイントに焦点をあて深めていくことと、吟味のための様々な視点が豊かに出てくることのバランスがとれているかたちですすんだと感じられ、グループをつくることの有効性をあらためて実感しました。

 

ちいさな学校でも前回同じテーマでやりましたが、個人的にもさらに見たいことがはっきり見えてきたように思います。今回理解を深めたのは、ポジショニングとしての「自立」という見方でした。

 

「自立」という言葉は、外部からの干渉をとどめ、自分のやりたいことをやる、自分のありたいようにあろうとするときにも使われます。親(の干渉)からの自立、のための経済的自立などもそういう例かと思います。

 

一方で、他者から求められる自立があります。昔なら結婚して子どもをもって育てて自立(一人前?)みたいなことがあります。

 

外部の干渉や影響に対して自分がありたい状態をつくりだす。ほどよいバランスを自ら調整し、つくりだすための自立(=この場合は外部の影響の排除)がある。

 

そして既存の社会システムの維持のため、社会システムにとってのバランスをとるために、社会が個人に求める自立がある。

 

ここに共通することは、バランスの確保ということではないかなと思います。想定されるほどよいバランスを維持するために「自立」ということが関係してくる。

 

そして話しのなかで出てきたのが、相互作用をもたらす主体としての自立ということでした。相互作用が、自立にとって重要であるという視点です。
 
他者の干渉を排除するだけの「自立」は、あくまでどこかに向かうときの移行的な自立であり、自分が求める状態に対して十分ではないという感覚があるわけです。

 

たとえばドアをつくり、鍵をかけて自分のしたいことをするという自立だと、外部から得られるものも遮断している。ドアを開けたり閉めたり、あるいは出かけていって必要なものは得てくる、得られる状態にするということが自立ということになるのではないか。

 

自分が適切なバランスをとるためには、孤立するのではなく、外部とのほどよい関係性が必要である。影響されることをただ排除するだけでなく、必要な影響はされ、相互作用する主体としての「自立」です。

 

さらに面白い視点が出てきていました。たとえば「来年のために保存食を作らなければならない」となることは「依存」ではないか、というものです。世間的には、食えるものを用意しているんだから、むしろ自立的であろうと思われそうなところ、自分の感覚としては「依存」であると感じられるということなのです。

 

物質的に食料をためることは、独立性を維持することにつながるでしょう。ですが、心理的に「〜であれなければならない」というものが生まれて、そこに支配されることは「依存」をつくることではないか。物質的な依存と、心理的に支配される状況をつくるという二つのことがあって、後者は無視されがちであるけれど、その方にとっては、後者は自分の「情熱・パッション」「テンション」などを保つことに負の干渉してくるものだという感覚がある。何かの媒体に心が支配されず、「真ん中」にいることが重要である、というふうにも言われていたように記憶しています。

 

前回の哲学カフェでも、自立とは、自分の立ち位置を知ることではないかという指摘がでました。物質的なバランス関係が物質的な干渉関係をつくると同時に、心理的に支配し、干渉をもたらすものからもほどよい距離を保つ。

 

他者の干渉を全て排除するような緊急処置的な、あるいは移行的な「自立」から、ほどよく影響され、相互作用する主体同士としての「自立」があるという認識。後者は、自然と自分の更新がされていく自立であるといえるかと思います。

 

そして物質的な面だけでなく、心理的に支配されるものをつくらないという自立がでてきました。

 

物質的、心理的な他者との関係性、そして心理的な考え方や概念との距離がとれるとき、「自立」的であるといえるのではないか。つまり、「やるやらない」「できたできない」などではなく、ポジショニングとして「自立」ということがあると考えた時、「しなければいけない」というものを心につくることがもはや適切なポジショニングではなく、自立的ではないということがみえてきたように思います。

 

しかし、何かを「しなければいけない」という強迫はすでに内在化しているものであり、それにアプローチし、消していく必要はあると思います。だから観察するための対話をやっているのですが。

 

自立があるとかないとか、しているとかしていないとかいうのも、何か外側の価値に強迫されている状態です。自立という言葉にさらに心理的負の干渉をされるようになっては本末転倒ですが、自立「的」であるためにはどうなっていったらいいんだろうということは、吟味する価値があると考えます。

 

これまでの対話から、自立というのは、ポジショニングがほどよいこと、立ち位置のバランスがとれていることとと言い換えられるのではないかと思います。
次に、では何に対してのポジショニングがほどよいのか、バランスがあるのか、ということになってきます。

 

何に対してというのは、「自分の求め」に対してということになるのではないかと思います。孤立した「自立」ではなく、他者との相互作用を通して更新していけるとき、自立「的」である。社会的な関係性、自分のうちの概念に対する関係性において、必要な更新がはかどるということが、ひいては「自分の求め」ということになるのではないかと思います。

 

更新につながる相互作用がおこる過程のなかにいることが自立「的」である。探っていった結果、「自立」とは安定した地点、完成された地点にあるのではなく、変容のプロセスに入っていること自体のほうにあるようでした。完成地点ではなく、途中の状態をどうつくるか、途中の状態でどうあれるか、ということのほうに自立「的」であることの核があるのです。

 

違う言い方でいえば、どのような状態であっても「既に自立している」ということがスタート地点になるかと思います。更新を求める自律性、自分のなかにある自律性がある。それを否定して、外から押し付けられた「自立」に自分を失うところから、その自律性が働き出すような、展開しはじめるような環境を設定し、そこに立つことが、自立「的」なあり方といえると思います。

 

環境を設定し、必要なポジションを自分に提供するまでは、自意識の仕事ですが、必要なポジショニングができたとき、自分は主体となって、自意識の更新がおこっていく。主体とは、「変容していく運動性」であって、「私がこうする」という私としての自意識ではありません。

 

自意識が管理するものとしての「私」から「変容していく運動性」としての私へのアイデンティティの移行がすすんでいくとき、「私がこうしなければ!」という強迫はとれていき、更新はよりスムーズになっていきます。

 

完成は派生的な結果であり、文脈を区切った部分的なものに過ぎず、そこを本当の完成だと錯覚しとどまるならそれ自体が「自立」的ではないのかと思います。その時点の自分に必要な過程に気づいておらず、過程に入ろうとしていないからです。

 

逆説的ですが、自立「的」であるためには、私は「既に自立している」ということを知ることが重要になってくるだろうと思います。自分のなかに自律性がある。動こうとしているもの、展開しようとしているものがあると実感し、知っていくことがより自立「的」になっていくこととつながる。

 

より実感し、知っていくための環境を設定すること、設定した環境のなかで適切なポジショニングを見つけ、立つことは、生きている間、いつもいつまでも行われることであり、完成した地点にいない自分を否定することは、この自律的なプロセスを阻害するものであり、そのあり方が「自立」的ではないといえると思います。

 

次回は要望があったので、28日19時にちいさな学校鞍馬口で「親密さ」とはをやってみたいと思います。

シェルターとしての文化 王国をつくった先住少数民族の事例から

知り合いがFBでシェアしていたリンクをみて。

 

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

 

生存環境の変化に対して文化のかたちを変える。あらためて文化とは何だろうかと考えた。自然環境、社会環境に対して自律性をもつということかと思う。それによって、誰かが決めたルールが生きることを疎外するなら自律空間をつくる。

 

他者が律する空間でも楽ならいいじゃないか、という見方もあるけれど、生きることの重要な部分を他者が決めていると、自分自身をエンパワーしていくときに必要な自由や環境に働きかけ変えていく力が持てない。お金があったり、マジョリティ側で居続けられるなら苦痛はないかもしれないけれど、年をとったり(これはごく自然なことだ)、ちょっと事故にあったり、病気になれば、楽な場所からは否応なく外されてしまう。いざとなれば、自分たちで自分たちをエンパワーできる環境を奪われているということが問題、と僕はみる。他律でもいいけれど、その依存している誰かは、求めればその誰かにとってのコストパフォーマンスにあわなくなった自分にも機嫌よく必要なものをくれるのかな、という。

 


アイヌの人の、日本に奪われた自分たちの言葉を取り戻していく活動をみて、単に言語を話せるようになるということではなく、共に学んでいくということが重要な要素なんだなと思った。共に学ぶということが、すでに個々の自律性を高め、周りの人と関係性を新たに育てている。言語を学んだあとにようやく何かがおこると考えるのではなく、その過程に入ること、過程を共にすることが既に目的であり、喜びであり、意味をもっている。

 

いつも思い出すのは、松本哉さんの言葉だ。駅前の路上で鍋をするとき、それは単に狭められ、孤立化に押しやられていくことへの異議申し立てであるだけではなく、初対面であろうが、来るものを拒まない鍋の空間が既に「革命」後の人間関係の実現であって、人と人ということをお互いに取り戻せる場だと松本さんは言っていたように記憶している。その空間をつくったことが、既に目的達成であり、既に「勝ち」なのだ。

 

文化とは何かというところに戻る。世界の多くの家の構造を詳細に取材した本があったけれど、そこでは家とはシェルターであると指摘していたと思う。雨、風、寒暖、外敵の侵入など、何かから自分を遮断するためのものが家なのだと。そしてエピローグの部分に、もと建築の専門家?で、今は家を持たず放浪している人と出会ってやりとりした話しを紹介している。エピソードとしては、ピーナッツバターをくれとその人に言われ、あげたみたいな話しだったけれど、家の専門家が家を持たない話しを最後にもってくるその構成にびっくりする。シェルターが家の本質なのであれば、その遮断が必要なければ家は必要ないのだ。

 

色んな文化があるだろうけれど、文化もまたシェルターとして生まれているのではないだろうかと思った。人より自然の厳しさが圧倒的だった時代から、自然という、他者の支配する空間に対して圧倒的に依存する状態から、その依存を脱し、主体となるためのシェルター。

 

以前参加した陸奥賢さんの七墓巡りのとき、提供された資料のなかにジプシーの死者に対する態度が紹介されていた。ジプシーの文化では、死んだ人は最初から存在しなかったようにふるまうらしい。記憶がなくなるわけではないが、最初から存在しなかったようにみんなでそうする。

 

これはジプシーの生きる環境の厳しさを如実に表していると思った。一見冷たそうだけれど、何度も考えていくと、むしろやさしいとも思った。生きることの厳しさは、人がコントロールできることをこえているという認識がある。それを忘れず、踏まえられているということは、むしろやさしいんじゃないかと思う。コントロールできることの高揚に我を忘れ、傲慢になっているときの生きづらさは人の心をだんだんに蝕んでいく。
文化とは、個人が人として自律し、環境に好きなように振り回される存在から主体的に働きかける存在になるための自律空間をつくろうとする試みなのではないかと思った。気候風土の違う場所ごとにそれぞれの自律空間をつくる。

 

それは、しかし、もとからして対抗的なものでもあるだろう。この少数民族は昔は「王国」をつくる必要はなかったのだから。周りの負の干渉性を遮断し、自律性をもつための、シェルターとして文化があるのなら、家のように、また文化も人より上に立つような絶対的なものではないだろう。遮断が必要ないなら、つくる必要もない。そして、既成の「文化」がもし人を疎外していくなら、その「文化」の絶対性を認める必要もない。

 

ある地域、ある文化に育てば、よくも悪くも否応なくその影響を受けてしまう。そして影響を受けた結果できたものが「自分」であるとアイデンティファイしてしまう。だが、文化をシェルターとしてとらえたとき、自分が人型をしたものであるより、ピンボール台のなかのボールのような運動体であるようにイメージされてきた。ピンボール台を自分だと思っているのだが、そうではなく、そのなかの構造を跳ねているのが自分のように。

 

文化を違いを人の違いのようにとらえていたけれど、ピンボール台(文化)は違っても、ピンボールとしてはお互い変わらぬ運動体なのだなと思った。
ジプシーの文化の話しでもう一つ思ったことがある。それは、生きることを「通り過ぎていく」ことであると捉えているかどうか。

 

ある文化を身体化してしまい、時に(あるいは度々)そこに不本意に影響されながら生きること自体に苦しむということがあると思う。もっと(いい文化環境のもとで発現したであろう)「本当」の自分を生きたかったみたいな思いとか。

 

だが、通り過ぎていくという見方を得たとき、文化もまた一時的な雨風をよけるためのシェルターであり、通り過ぎていくときの助けとしてあるものにすぎないと感じられてきた。

 

ピンボール台ではなく、そのなかの運動体として生きているというのが実際だろう。ピンボール台は確かに歪つだったりするかもしれないが、ピンボールという運動体としては、誰も、何も変わるものではない。成長も完成も到達もない。