降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

4/21 自給農法を学ぶ 作業報告

4/21の日曜日に自給農法を学ぶ講座の1回目を行いました。

畑をはじめるときに気をつけること、自給農法流の畝の立て方などを学びました。

 

 

◆畑と排水について

 畑はまず排水がどうなっているかが重要です。排水が悪いと肥料をやったとしても病気になったり、育ちが悪いということがおこります。地球研そばの畑は、もともと田んぼで水がたまりやすいのはわかっていたのですが、畑の一番低い部分が川への排水口につながる南東角かと思っていたのですが、どちらかというと中央西の部分のほうが低く、水がしつこくたまることに最近気づきました。

 

 今日は、ネットの外の外堀をケアすることで排水状況の改善を試みました。川へと繋がる外堀は30cmぐらいの幅の溝です。今回は主に川に直接繋がる部分を中心に今ある深さをさらに掘り、川のほうも少し砂さらいをしました。また溝に5つほどの点穴を空けました。点穴とは文字通り穴なのですが、溝だけでなく、溝のところどころに点穴を掘り、一部分だけでも深くすることで、排水が改善されます。

https://www.instagram.com/p/Bwj9nmSgL13/

↑さらに溝を深くしました

 

https://www.instagram.com/p/Bwj-BNKglKJ/

↑畑の西中央部分にはかなりの水がたまります。70cmぐらいの深さの溝を掘っています。

 

 

 

◆タマネギのケアについて 

 タマネギは肥料っ気が必要な作物です。自給農法では空気入れ(※)や土寄せ(※)をこまめにやることで肥料分を補いますが、苗の植え付けの際に米ぬかをやったり、堆肥をいれたりということも有効です。今回、たくさん腐葉土を手に入れたので、土寄せは腐葉土を利用しています。畝にはセイタカアワダチソウやセリなど、強めの雑草が生えてきていましたので、のこ鎌で除去しました。手でも抜けますが、のこ鎌を使うと早く処理できます。備中ぐわで空気入れをして、草をとり、腐葉土で土寄せをしました。

https://www.instagram.com/p/Bwj9tUNAxcr/

↑玉ねぎに腐葉土をたっぷり土寄せしました。黒い土が腐葉土です。



◆畝立てとジャガイモ植え

 5mぐらいの畝を立てました。土地はイグサなど強力でしぶとい雑草が生えていますが、備中ぐわをうまく使ってそれらを掘り起こして、根についている土を落として畝を作ります。根についている土は栄養のあるいい土です。120cm幅の畝を作るとき、畝の左右それぞれ60cmから土をもってくるかたちで畝を立てます。畝は、まず高い山にして、山を備中ぐわで崩し、順々に高い部分の土の塊をくだいていくと自然に土が均されていきます。そしてまた山を作って砕くのを2、3度繰り返し、草を除去していくと畝ができます。ジャガイモは今回は芽を上にして植えました。早く芽を成長させ、それに土寄せしていくという戦略です。ジャガイモとジャガイモの間は一歩半ほどにしました。作った畝には、男爵(品種の名前)を14個植えられました。

https://www.instagram.com/p/Bwj95GPgDRf/

↑まず山にして高いところを備中ぐわを横振りして崩していきます。

 

https://www.instagram.com/p/Bwj9yqcgxs0/

↑ジャガイモを植えて土をかけたところです。14個植えられました。

 

◆用語

・空気入れ・・畝に対しては、備中鍬によって、作物の根があると思われるところの外側に鍬をいれ、ヒビを入れる。耕すのではなく、刃が土に刺さった状態で柄を下におろしてヒビを入れる。このことによって、微生物活動を活発化させる空気が入り、土の表面の栄養が入りやすくなる。通路に対しても同様にヒビを入れる。固くなったところも空気入れを重ねることによってケアされる。特に堆肥を大量に作らない自給農法においては作物を良い状態で育てるため日常的に行う作業。

 

・土寄せ・・・作物の株元あたりに土を寄せます。どのような作物にも行います。土寄せをすることによって作物に栄養分がいきます。土があまりに円錐状に積み上がるよりは、株元の外周りも含めて全体的な高さをあげる感じがいいかと思います。理由は、作物の細い根は横方向にもはろうとするのですが、土が円錐状だと十分に横にはっていけないためです。

 

なきがらの水たまり

社会と運動について友人と話していました。

 

社会はつまるところ「勝った」人たちが自分たちのためにつくった社会なのだろうと思います。

 

そしてそうであってもなお損と犠牲を引き受けてきた人たち、現状の社会の価値における「勝ち」を自分から他人に譲ってきた人たちによって、その後退はスピードを遅くされていたのだと思います。

 

社会が良い状態にあったということは、善意ある人同士の無傷の協働によって生まれたのではなく、得られるものを不意にした人の犠牲によっているようです。

 

そしてその犠牲を知らなかったといっても、いい状態だけ享受して当然だとすることは、他人によって作られたものに乗っかって果実だけ消費しているだけにとどまらず、必然的に社会の劣化をともなうのだと思います。

 

干上がりつつある川に残った、魚たちが息をつなぐ水たまりがあります。その水たまりはどうやってできたのでしょうか。

 

社会における人間性は、自ら傷つき、失いながら非人間的なものを押し返した分だけ作られるようです。水たまりは、自分の「勝ち」を譲った先人のなきがらによってできているのです。みなが享受されている「幸せ」を当たり前とし、「勝ち」を譲ることを拒否すると水たまりは更に干上がっていくのだと思います。

 

 

ウィンウィンなどないのだと思います。社会はもちろんそれがあると喧伝しますし、それを信じさせようとします。それは「勝った」自らを維持するためになのだと思います。そして強いものが強いままでいるために「時間」が止められ、腐敗がすすんでいきます。

 

腐敗に怒りを感じますが、自分の場合、その怒りは既に自分が享受しているものが奪われる怒りなのかと思います。しかしそれを誰が享受させてくれたのかと考えると、犠牲になった人たちがということになるだろうと思います。

 

腐敗への怒りは、犠牲が公平ではないという怒りであり、美味しい目をキープしながら弱いものの血をすするものへの怒りです。でも、自分が何かを享受し、美味しい目をみている時も、誰かのなきがらから栄養をえているのだと思います。

 

すると、人間として生きようとするなら、犠牲になり、負けるしかないということになるかなと思いました。誰かのために、犠牲になり負けてもいいかもしれない。しかし、権力者に美味しい目をみさせるよりは、自分が共鳴するような存在のために負けるというほうがやりがいがあるだろうなという感じがします。

 

自分というのは、映し絵なんだなと思います。ガラスに描かれた絵自体は自分を認識することができず、白い布に映ってはじめて意識に認識されます。他者として認識される時、自分として実感されるのです。

 

他者としてしか自分を見ることができない。だから逆に自分自身が「自己実現」しなくても、自分のような誰かに対して自分が本当にして欲しかったことを提供すると、自分が回復するのだろうと思います。後者は力を持たないもの、負けを引き受けるものの回復の方法です。

ジャンル難民ふりかえり 『制作へ』のパラダイムのほうへはどう行けるだろうか?

時間のワークショップ、ジャンル難民の集まりをはじめてみて4ヶ月。

 

活動をどう更新していくか。相変わらずの自分の考えなしをあらためていかないとなと思う。

 

去年のジャンル難民の集まりから派生した時間のワークショップは独立してやることになっていった。エスコーラでやっているジャンル難民の集まりは、1回目は多くの人が来たけれど、その後継続的に自分の研究をすすめて発表するというかたちにはなかなかなっていない。

 

そもそもジャンル難民で何をやりたかったのかというと、自分自身の研究や探究の発表の場を作ることプラス、同じように自分の研究や探究を持っている人が集まってお互いに刺激をうるような場を作りたかった。けれど後者はこのままでは現実化していく感じがない。

 

集まりの開催日は僕と会場の都合だけで決めていた。が、僕の都合ではあいにくいのかもしれない。一年間の予定を出すわけではなく、単発で僕の任意で日程を決め毎回やっていく感じでは来にくいだろうと思う。

 

研究をするというコアメンバーを先に集め、そのコアメンバーで日程を決めるのはどうだろうかと思う。たとえば10人ぐらいに直接声をかけ、その上で日程を決める。または月に1回の単発1年ぐらいの計画を立てて一緒にやる人を求める。

 

みたいな感じでやっていこうか・・。

 

火曜日のDIY読書会で、上妻世海(こうづませかい)さんのインタビューを取り扱った。ざっくり僕の言葉で言うならば、上妻さんはこれまでの学問が自分(主体)を変わらないものとして位置づけ、そして対象を扱ってきたのに対して、自分がその対象と関わり、主体と客体が未分化の状態になって、主体が変わっていくという考え方だと理解している。

 

『制作へ』解題インタビュー

http://ekrits.jp/2018/10/2776/

 

DIYの意義というのもまさにそこだ。結局、自分自身が変わっていくためには、普段の自分のモードと違う状態にはいり、そこでおこるプロセスに応答していくことが必要だと思う。出来上がったものを使うだけなのは消費者として便利だが、それでは自分がそこにかかわることによって変容するプロセスがおきない。

 

社会のなかで他者によって作り上げられた自分から抜け出ていくためには、変容のプロセスを自分に取り戻すことが必要だ。知識を得たり、頭を切り替え(たつもりにな)るだけでは自分は変わっていない。そこには実際のプロセスを経ることが必要だ。単に体験するということではなく、自分にある状態をひきおこしながら体験をするということで変容のプロセスがおこる。

 

当事者研究や上妻さんたちの活動など、主体を自分に取り戻していくことを基本とするムードはだんだんと出てきていると思う。この時代のムードとどうつながり、いかしていけるのか。自分の今までのやり方は今までのやり方。また別のやり方を見つけていく必要がある。

 

 

 

 

戻るところ

休みとは何かとふられて、自分が今は余生だと思うと言った。

そこに、のんびり気楽ですみたいな意味は全くなかった。

 

休みというのは、仕事に対するもの。主たる活動や目的があって、それがない時の時間が休みということになる。しかし、生きていてするべきことなどあるのだろうか。こう生きなければならないということがあるだろうか。

 

個々の人は、自分で生きたいとも思ってなかったのにこの世界に放り出されただけだ。その上でなお生きるべきこと、するべきことなどは何もない。

 

「(今考えるなら)生まれたときから余生なのだと思っています。生きることに目的などないのだから。」

 

そう言ったときに強い気持ちが湧いた。しかし、そう言ったことは場には拾われなかった。

 

世間は、当然のような顔をして人を騙す。自ら騙されているのかもしれないけれど。何かを当たり前のように思わされて言うとおりやった結果がひどいことになっても、何の責任もとるつもりもないのに、こうすべきだなんて、言うだけは言い、押し付ける。

 

その嘘や欺瞞に対する怒りの気持ちが高まったのは中学校のころぐらいからだろうか。いや、それまでもあった。中学校のフラッシュバックが全ての始まりと思っていたけれど、よく考えるとそれ以前に端を発するのだと最近気づくようになった。

 

親が留守の時に、同居のおばがやってきて無理やり組み敷かれて臭い口でキスされていた子ども時代。あの屈辱と親が子どもに正しいことを押し付けるのに自分はおばを正せない言行不一致の欺瞞への怒りと不信。そして自分はそんな扱いをされてそのままにされていていいような存在なのだ、と歪んだ。

 

もうその時から復讐するように世界と向き合っていた。欺瞞的なものを憎み、攻撃する。惨めさのなかにいた。そして欺瞞にみちた世間に攻撃する。そうやって復讐して惨めさをぶつけていた。そこでは強く出れるが、そうでなければ自分の素直な気持ちなどは出せなかった。自分の価値が低いと思いこみ、身体化しているので、被害者としての(つまり正当な理由がある)上からの立場でしか気持ちを表現することができなかったし、素直に出すという選択肢が思いつかなかった。

 

今もそれを続けているなと思う。世間や社会の欺瞞をみて怒り、間違いを断罪するようにただし、意趣返しをする。回復の理屈を探すことと、間違った世間をただすというかたちで断罪し復讐することは今まで同時にあった。

 

しかし、本来はどうありたいのかと考えるなら、そもそも惨めさと否定を抱え込み、歪んだ位置から復讐し続けるのが求めではない。そこに居続けることは、絶望のままにとどまることだ。

 

小学校のあの時、出発しそうなバスの扉の横にたち、自分の意思が通じて扉が開くことを少しも疑わず、まっすぐに顔をあげて運転手のいるほうをみていた女の子の衝撃を受けたように、ひねくれて攻撃的にしか関われない自分に対して、自分が否定されて傷つくこともいとわずに自分を人として相手をしてくれた同級生のように、そこにもどることが自分の底にある求めなのだと思う。

 

 

 

 

 

 

ここ5年

繰り返すフラッシュバックの直接的な苦痛はだんだんと弱まっていったけれど、この自分が生きていけないという未来に対する恐怖が自分を圧倒していた。

 

生きていけそうにないけれど、生きていかなければならない。その感じは今は以前ほどではないけれど、なぜそれはあれほど強い感覚だったのだろうか。

 

生きていけるようにならなければいけない。しかし、生きていけるような状況に自分をもっていけない。恐れがあるのにその恐れに駆り立てられて動くのではなく、かえって疲弊し、緊張し、動けない。

 

強迫的にゲームやネットと気をそらすことばかりに向かってしまう。そして計画していたり、やろうとしたことができず、また一日が過ぎていく。次こそはと思い、朝起きれば今日こそはこれをしてあれをしてとノルマで頭がいっぱいになるが、結局だらだらと時間をつぶすだけでとりかからない。

 

思い切った気晴らしをする余裕がない。あれをやらねばこれをやらねばに圧倒されていて、気晴らしの方法を思いつかないし、気晴らしするならその時間をやるべきことに使うべきだという思考になっている。

 

そんな時間を馬鹿げているなと思いながらその轍から抜けていくことが難しかった。

 

鈴鹿に行ったりして、日常から抜ける機会を得て、整える時間、自分がどうなっているのかを見ていく時間をもらって、その轍から少しずれていくことができた。

 

自分ができないことはできない。それで生きていけないのなら仕方がないという感覚が浮上してきた。同時に自分が話しの場を持つということにまるで自信がなかったけれど、やれるのではないかという気持ちが出てきた。

 

当事者研究というかたちで、三ヶ所でやりはじめた。自分にとって自分の内面を語る場が必要だった。そのことにより、自分の感覚や感じかたは変わっていった。

 

多少のうまくいかなさもあったけれど、何とか持ち直して必要なことはやれた。内面を語る場、探究の場をもつことで自分は整っていった。

 

割りとさっと畑にいけるようになったり、気持ちに余裕ができ、強迫的なサイクルを繰り返すときにはできなかったことに手をつけられはじめたりできた。

 

整いは、新しい状況をもたらす。新しいことをするために新しいことをするのではなく、整いの結果、次にやることが出てくる。そこには今やっていることがつまらなくなる、割りにあわなくなるということも含まれる。

 

そうしていい意味で成り立たなくなるから、抜本的に考え直したり、次に踏み出さざるを得なくなる。

 

1年半で当事者研究をやめたのもそのためだ。今は当事者研究は「時間」のワークショップになっている。それぞれの「時間」の話しは、参加者同士に響き、それがまた「時間」を動かす語りを誘発する。今のところは「時間」のワークショップは自分のやりたいことにフィットしている。

 

整いとは不満足感を浮上させるものであるように思う。底に沈んでいるものを浮上させ、そこに必要なプロセスを与える。

 

昔からずっと自分のなかにあるのは、あまり何にもこころが動かない感じであり、体験されることが、どれもかすかすの食べものを食べているような感じだ。

 

かすかすのものを食べ、食べた満足感よりそこに費やしたエネルギーのほうが多いような感じ。手ごたえがなく、生気が抜けていくような感じ。

 

以前より相対的にはマシになったが、この感覚はいつも僕の基底にある。生きていくなら、これを取り扱っていく。このむなしさ、空疎感のもとを探っていく。

 

 

 

上橋菜穂子『物語ること、生きること』

整体の稽古に通わせてもらっている角南さんのブログで、上橋菜穂子さんが自分自身のこれまでのことを語る『物語ること、生きること』が紹介されていたので、これはと思って図書館でかりる。

 

dohokids.blogspot.com

 

 

huyukiitoichi.hatenadiary.jp

 

お勧めされたり、第一印象で面白そうと思っても、読めない本は読めないなあと思うけれど、この本は読めた。

 

本のなかで上橋さんは、おばあさんから昔話をずっと聞いていたり、アボリジニの調査に行ったり、古武術を習ったりという実際の経験が物語を書くことの基盤となったというふうに基本的に述べていると思う。

 

その一方で、短く紹介される物語の文章をみるとき、同一人物とは思えないと感じる。何かとシンクロし、同調していて、そこで書いていると感じる。どこかにチューニングした状態で書いたものは自分をこえていると思う。物語は確かにその著者が書くのだけれど、その作家の基本的人格が書いているのではないと思った。

 

精霊の守り人のシーンの紹介がある。精霊の守り人では女用心棒のバルサが水の妖怪に狙われる皇太子チャグムの護衛をひきうける。チャグムは自分の数奇な運命を恨む。投げ込まれた容赦のない状況のなかでの行き場のなさの表現は、バルサにかつての自分自身の姿を思いおこさせたのだろう。

 

 

チャグムの口から、ふいに、堰をきったように悲鳴にも似た叫びがふきあがった。

「いやだ!いやだ!いやだ!」

涙がとびちった。

「くそったれ! なんで、おれなんだ! なんで、こんな目にあわなきゃ、ならないんだ! 死んじまえ、卵なんか! 勝手におれの身体にはいりやがって!」

 宙を蹴り、岩壁を蹴り、あばれくるうチャグムを、バルサが背後からかかえあげて、くるり、と投げた。草地に投げ飛ばされたチャグムは、受け身をとって起きあがると、わめきながらバルサにとびかかった。バルサの身体が沈んだ、とたん、チャグムはふたたび草地に投げられていた。とびかかる、投げられる・・・息がきれ、動けなくなるまで、チャグムはバルサにとびかかりつづけた。ついに起きあがれなくなって、チャグムは草地に仰向けになってたおれたまま、泣きつづけた。

 ひとしきり泣いたあと、のろのろと起きあがり、バルサを見て、チャグムはおどろいた。ーバルサが泣いていたのである。  上橋菜穂子精霊の守り人

 

 

凍った心。バルサが生き抜いてきた環境では、バルサの受けてきた過酷な経験をもう一度自分のものとして浮上させ、終わらせていくような機会はなかったのだろう。バルサは彼女自身の行き場のなさを凍らせたまま、持ちつづけたまま、生きてきたのだと思う。

 

チャグムを抱きしめるでもなく、投げとばしたバルサは、かつての自分自身がしてもらいたかったことをチャグムにしてあげたのだと思う。バルサは、行き場のない気持ちをぶつけるところを作ってあげたのだ。

 

どうしようもない絶望や怒りに駆られるまま、全力で、何の容赦もなくぶつかっていく相手はかつてのバルサにはいなかった。だが、今、自分の実力があれば、チャグムの攻撃を全て受け止めることができる。

 

弱く、脆く、何も頼るものもない、あの時の自分のようなチャグムに対して、その気持ちを受け止める場所を提供することは、バルサにとって、心のなかで凍ったまま存在し続けていた、かつての自分に対しての弔いだったのだろうと思う。

 

 

あと、いくつか抜き書きを。

 

 書いたところをくりかえし直していると、そこからまた新しい芽が出てきます。そして翌日になると、その新しいところをまた直すと、そこから新しい芽がまた出てくるので、それをまた直す・・・というのをくりかえしているのです。

 そうすると、あるとき、登場人物がなにかを言ったのがきっかけで、つぎの展開が開けたりする。その物語を生きている人間たちが、その物語のあるべき姿を生みだしていって、頭の中で最初に想定していたかたちじゃないところに、連れていってくれるのです。

 だから私は、直すことが嫌いではありません。

 毎朝、毎晩、何度も、何度も、くりかえし直しています。

 その作業は、考古学者がうずもれていた化石を見つけだすことに似ているかもしれません。

 たったひとつのシーンに、実は多くものが眠っているからです。

 そこにいる女の子の表情、着ているもの、窓から差し込んでくる光・・・生まれ落ちようとする世界がそこにすでにあるのです。それが見えるか同課に、物語が書けるかどうかがかかっているのだと思います。

 

 

人がそれまでの自分を終わらせようとするのをみるとき、心が動く。

本当に納得したとき、それまでの自分を終わらせようとしはじめる。しがみつき、とどまるのではなく、手放す。そうでないと、変われないから。

 

 

 

いつまでも「夢見る夢子さん」でいたくないのなら、物語の中で旅をするんじゃなくて、靴ふきマットの外に飛び出して、本当の旅に出るしかない。

 そのことが常に頭の中にあったからでしょう。私は、文化人類学に心惹かれ、やがてフィールドワークに出かけるようになりました。

 ちっぽけな自分を、物語ではなく、現実の広い世界に放りこもう。

 物語を読んで、わかった気になるんじゃなくて、異国に行き、異文化の日常を生きる人々と同じ状況に、自分を置いてみよう。

 現実の世界で、生身の人間と向かいあえば、傷つくこともあるでしょう。それはわかっていましたし、実際、それなりにつらい目にもあいましたが、それはまた別の話。

 それまで、私は、たくさんの物語を読むことで、いろんな可能性に、目を開かせてもらいました。世の中にはさまざまな立場で生きる、さまざまな人たちがいて、その物語をいっしょに生きることで、その人たちの人生を泣きながら、笑いながら、感動しながら、体験してきたのです。それは私にとって本当に宝物のような、大切な体験ではあったけれど、自分自身では何のリスクも負わずに、美しいもの、豊かなものを受けとるだけ受けとってきたのです。そういう自分のことを、ちょっとずるいな、と思っていました。

 ここから先は、物語の中で体験してきたことの大切な部分を、生身の自分で体験してみよう。だから、そう決めたのです。

 

 

 

 

 

孤独と心細さ まとまりなく

西川勝さんとの熾(おき)をかこむ会がもうすぐ。

 

 

kurahate22.hatenablog.com

 

 

どのような話しの場にするか。場の設定、最低限の枠組みを用意するけれど、僕は話しの場というのは誰かの「状態」が伝わってできるものだと考えているので、細かな技術のことではなく、乱暴だけれど、自分がどの「状態」になるかを考えればいいと思っている。

 

映画「インターステラー」で気づいたことがある。

 

jimmys-nooker.hatenablog.com

 

農作物が次々とだめになっていく疫病が止められず、将来的に人間が絶滅するのが確実な地球を救うために主人公たちは宇宙に向かう。

 

最初に着陸したのは、そこでの1時間が地球の7年に相当する惑星。先にその惑星に来てデータを集めていたミラーの船の残骸がみつかる。そこからデータを回収しようとするヒロイン。

 

そこで遠くに見えていた山だと思っていたものが巨大な津波だったことがわかる。津波が押し寄せてくるなかで、ヒロインは回収をあきらめきれず、逃げるのが遅れる。主人公たちの船は津波に呑み込まれ、2人だけは生き残ったものの、浸水した船のケアで時間が失われる。星の上空で待っていた仲間に再会した時は地球の時間で30年が経過していた。

 

仲間は30年歳をとっているし、地球に残してきた息子は父の生存をもはや信じていない。父に捨てられたと深く傷ついた娘はもう主人公と同じ歳になっていた。 

 

このシーンに心が強く動いた。フィクションでないと、あの圧倒的な津波との対峙のリアリティは出ないと思う。ありえない高さで視界全体から押し寄せてくる津波に対する主人公たちの絶望的な無力さ。

 

僕が反応したのはそのシーンの心細さだった。もちろんこれは僕の読み取りであって、ヒロインは回収できなかったら死んでもいいという気概で臨んでいると思う。同じ絶望感でも無力感や悔しさに対して自分を前に投げ捨てる感じで、心細さは前面には出ていないだろう。僕は作品解釈がしたいのではなくて、自分の反応を追っているので、反応が出れば、その反応を手がかりとしてそこにあるものをなぞっていく。

 

大学の時の記憶も思い出した。夜になって大学から帰っているとき、正面にちいさな女の子が歩いてきていた。女の子は不安でどうしようもなかった感じで、本当に助けを求めていた。夜に小さい子に声をかけるとか、自分が怪しまれるようなことをしなければならない状況などに入りこみたくないのだけれど、大丈夫かどうか声をかけた。

 

すると女の子は安心したようにそばに寄ってきた。あの時ははっとした。どこのものともしれない自分のようなものにまで縋らなければいけないほど女の子の心細さは強かったのかと思った。そして自分を信頼してくれたということに驚いた。

 

すぐに前方から家族団欒の声が聞こえてきた。女の子はただちょっと家族から離れてしまっただけだった。しかし家族がいないと思いこんでしまったのだろう。

 

あれは心に強く残った。そのずっと後に付き合った人がいたのだけれど、自分はその人にあの時のちいさな女の子のような感じを持っていた。普通の境遇に生きているけれど、同時にあの女の子みたいに、打ち捨てられて孤独な人だという感覚があった。

 

失礼な話しで、全く勝手な感覚だけれど、そのように感じていた。自分のなかでは持続的な深い感覚だった。しかし、だからといって当たり前だけれど、その感覚だけで相手の求めを受け入れることはできなかった。関係性を続けることは無理だった。

 

お互い、相手自身を喜ぶという関係性になれなければ、僕には持続的な関係性は難しいだろうなと思う。相手をプロセスとしてとらえ、そのプロセス自体に本当に感嘆し、喜べるという感じにならないと、相手にとって僕は益がないだろう。それは自分が虚しくなる。

 

僕は自分として本当に役に立ちたいと願っているようだ。北海道時代に子供たちと関わったときに感じたように、本当の役に立ちたい。そうでないと虚しい。自分が本当に役にたつその世界との接点を求めてきた。

 

本当に役に立つときというのは、自分の閉じた既知の世界をこえた応答がかえってくるということであり、変化がかえってくるということだと思う。自分はそのことによって、世界と自分の関係を更新していこうとしているのだろう。

 

あるいは、役に立っていると感じられるときは、自分の否定性を忘れられるだけなのかもしれない。

 

お互いの深い応答ということかもしれない。自分の核から遠いところで応答しても(それがそもそも応答といえるのかどうかわからないけれど)自分は充たされないし、世界の感じられ方は変わらない。

 

自分のやってきたことが何かと思うと、僕は考えを凝縮してきたと思う。 同じことを何度も確かめながら、短い言葉に全てが凝縮されるように。通りすがりの、一瞬だけのかかわりでも、そうすれば同じことを同じ強さで考えてきた人が自分を見つけてもらえるのではないかと思って。何の根拠もないけれど、ただそれをやってきた。

 

一方で、それは迂回だったかもしれないと思う。見つけてもらうのを待っているというのはどういうことだっただろうか。出会いに行けばいいのに。

 

まだ知らない人に会いに行かないわけではないけれど、深く関われたという実感をほとんどもてたことがない。相手を前にすると話すことが思い浮かばない。

 

ルパン3世の古い映画でルパンV.S複製人間というのがあって、最後に複製人間のオリジナルである脳が地球を脱しようとするとき、ルパンが爆弾を仕掛けようとする。しかしオリジナルは念能力という力を使う。ルパンは近づこうとするが暴風に吹かれるように弾き飛ばされてなかなか近づけない。

 


ルパン三世vs複製人間 予告編(海外ver

 

思うに自分はそういう感じになるような気がする。強い向かい風が吹いていて、それに飛ばされて、あるいは踏みとどまるぐらいが精一杯で何も思いつかない。実際には極限的な緊張のなかにあるわけではないのだけれど、何も思いつかない程度には緊張しているのだろう。何も思いつかないで相手といる状態はいたたまれない。

 

考えのような、構築物を持たないと関わりたいように関われないようだ。しかもその構築物も向かい風の影響を受けるので、即興的なやりとりよりマシというだけで、呼び水のようなものがないと出ない。

 

松本大洋『ZERO』の五島雅がボクシングを通してしか人と出会えないように、僕も自分のつくってきた構築物を通してしか、人と出会うことができないのではないかと思う。出会うとは、自分が変容のプロセスに入ることを意味している。そのプロセスが呼びおこされなければ、世界はただ苦痛と退屈として続く。「時間」は止まっている。

 

言葉の世界に入った人に見えるもの、認識されるものは、止まった時間としての世界だ。認識される世界は止まった「時間」としての言葉でできている。

 

パッチワークのように継ぎはぎされたステンドグラスに囲まれたスポットライトがある。スポットライトが照らす部分のステンドグラスが認識される。それぞれのステンドグラスには物語が描かれている。

 

継ぎはぎされたステンドグラスが世界であり、世界は記憶だと思う。記憶は過去であり、意味が固定化されたもの。変容更新がなければ世界は過去の牢獄だ。既知の世界は既に結論が決まった世界であり、そこに救いはない。

 

つまり、延々と1人で考えて悩むということは、考えているようで、結論の決まった世界をぐるぐるとまわっているだけだと思う。ピンボール台やパチンコ台の釘の向きが決まっていれば、球は同じ動きをする。多少弱く打ってみても、強く打ってみても、釘が決まっているのだから至らないところには至らない。しかし自由に考えていると本人は錯覚している。

 

釘を変えなければ変わらない。ステンドグラスの絵を変えないと感じられることも思考の経路も変わらない。

 

僕にとって自分を変容していく状態にいれるために、自分の確かめたリアリティで構築してきたものに対して応答してくれる他者が必要だった。自分が活動してきたこと、考えてきてことは、その他者と出会うためのものだといえる。

 

一方で、そのように自分の考えとしての構築物をつくっていくことで、みていなかったものがある。自分は自分の核心に向かっているつもりで、実は迂回している。そのようなことをやってきたとも思う。

 

誰に聞かれなくても、社会に流通する虚偽を自分なりに一つずつ明らかにして、棄却していくようなことをしてきた。それは欺瞞の犠牲になって、こんなふうになっている自分からの「間違った社会」への復讐であり、意趣晴らしだった。気持ちをぶつける対象としての欺瞞的な社会があった。

 

しかし、アプローチすべきは、インタステラーをみたときに感じたような、心細さであり、孤独の感覚であったように思う。なぜ心細さと自分と繋がっているのか、核心がわからない。色々推測してみても、まだこれだというところに繋がっていない。

 

構築物づくりは一旦脇におき、直接に自分が反応するところに向かっていくということが必要なのだと思う。

 

最近夢をみるときに、小学校の頃に好きだった女の子が出てくるときがある。自分は嫌われていると思い込んでいて、相手にたとえどんな態度を取られたとしても傷つかないでいれるようにしようと常時構えているのだけれど、相手はそれをこえて隣に座り、キスしてくれたりする。

 

フラッシュバックが始まる前の子どもの頃から、僕は自分が人から異和感をもたれる存在であり、自分の行動の以前に、生理的な忌避感や抵抗を他人にもたらす存在であるというような烙印が押されているような感じがあった。

 

かなりはやい時期から、素直な自分が傷つけられる前に、むしろ積極的に嫌われるような行動、敵対する行動をとって自分を守ろうとしていた。また自分の領域や殻を作って、その外で何を言われようが知ったことかという守り方も加わった。この領域だけで自分に意味があればいいというような「綺麗さ」で、自分の醜さを感じないようにしようとしていた。

 

だけれど、そもそもその小学校時代の女の子が好きだったのも、自分がひねくれて、人をそねんだあり方をしていても、なお普通に声をかけてくれて、人として扱ってくれる人だったからだと思う。

 

人の反応を通して自分が忌避されていることを確認したくない自分としては、彼女のあり方は眩しかったし、それは自分は絶対できないような感じを持っていた。

 

5年生か6年生だったころ、小学校の帰り道で、低学年の女の子をみた。その子は発車しようと扉を閉めたバスの扉の前に行って、扉があくことを何も疑わないように、顔をあげて扉があくのを待った。その姿に僕は衝撃を受けた。あのようにまっすぐに人を信じることができるのかと思った。

 

傷つきに対して何重にも防衛を張り巡らすのではなく、ただ素直に人に関われるようになることが単純に自分の求めであるかもしれないと最近は思えてきた。