降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

個人の変容と社会環境の更新は同時的ではないのか

話しあいの場があり、あらためて考えたことを。

 

個人の内面が変わっても社会の仕組みが変わらなければ何も変わらないのではという意見がでる。あるグループや組織のなかで、マイノリティの占める割合を多めに固定するといったような海外のアファーマティブ・アクションの事例が紹介される。そう考えるならば次の発想としてはとにかく仕組みを変えるために社会システムに働きかけていく力をため、運動をやっていくということになるだろう。

 

その考えにはもちろん一理あると思う。しかし、その社会システムに働きかけるに足る力を獲得していこうとするとき、結局は大きな力が重要なのだという結論に行き着かないだろうかと思う。

 

社会を変える大きな力はどのように得られるか。個人の並外れた努力や才能、あるいは組織のマンパワーや凝集性というところに着地するとき、組織におけるマイノリティの抑圧がおこる。

 

 

飯野由里子さんはインタビューのなかで日本のフェミニズム運動がバックラッシュに対抗し、フェミニズム内の凝集性を確保するために、性別二元論を肯定するスタンスをとったことを認めている。

 

よく覚えているのは、当時大学院生だった私に、あるベテラン研究者が二者択一的な議論を持ちかけてきたことです。

バックラッシュ側は『フェミニズムは男らしさや女らしさを否定している』『文化を壊そうとしている』『中性人間を作ろうとしている』と攻撃してきています。

そこで、『フェミニズムは男らしさや女らしさを否定しているわけではありません。性差別を問題にしているんです』と言いたい。飯野さんはどう思いますか」と。

私は「フェミニズムは男らしさや女らしさの作られ方を問題にしていると思います」と答えました。男らしさや女らしさは社会的に構築されるものですが、それが非常に固定的であったり可能性の幅が狭かったりすることで、多くの人の生きづらさや、差別につながっている。

フェミニズムはそのことも問題にしている、と。フェミニズムはそのことも問題にしている。つまり、性差別を問題にしているだけではなく、ジェンダーの自由も求めてきたはずだ、と。

しかし、03年の女性学会幹事会有志による『Q&A男女共同参画をめぐる現在の論点』には、ジェンダーフリーは「男らしさや女らしさを否定するものではない」という旨が記載されました。

「中性人間を……」という攻撃にしても「中性人間なんているわけないじゃないか」「右派が作り上げたイメージに過ぎない」と言うにとどまってしまった。現実には中性人間と呼ばれ、いじめられたり職を失ったりしている人たちがいるというのに。


マイノリティ女性は声をあげてきた、でも…2021年に考えたい「日本のフェミニズム」の問題点【フェミニズム研究・飯野由里子】 

 

sisterleemag.medium.com

 

僕は結局大きな力での闘いで勝つことを自身の方向性にしているとき、運動は運動内のマイノリティ抑圧に向かうだろうと思う。凝集性のためにマイノリティは犠牲になり、わかりやすさで力を集めるためにそれに都合の悪い多様な立場は排除されるだろうと思う。

 

今の運動や活動に希望を見出そうとする人のあり方を否定する気はないが、僕個人は表面的にはそう言ってなくても結局は力の理屈に帰着する活動や運動ではないあり方をとりたいと思う。結局は力が重要なのであってというふうに力の理屈に帰着してしまうところでは、実際には結果のために個人は並外れた努力や能力を要求されるだろうし、「正義の勝利」のために実態上の抑圧体制がしかれると思う。「社会が変わるために」という「正しさ」は非常に危険で抑圧的になりうる。

 

おそらく多くの人と違う僕の立場は、たとえ大きな社会の環境が「改善」されなくても一人の人が一人の人として救いを生きることが重要だというものだ。社会環境の改善のために抑圧や我慢を引き受けた結果、それでも堅牢な社会環境が改善されなかったとき、誰かを憎んだり恨まずにそれを受けいれることができるだろうか。

 

社会とはいわば勝ったものの社会なのであり、その構成を変えるためには働きかける側も勝っていかなければならない。だが勝つことに希望を見いだすことは結果的に自分自身や他者を抑圧したり動けなくしてしまうことにつながらないだろうか。これこれがないと変わらない、意味がないと個人が絶望し、動きをとめてしまうこと自体が最も個人を停滞させ、可能性を奪うものであるのではないかと僕は考える。

 

また、まずアファーマティブ・アクションのような仕組みを実現し、それによってようやく社会が変わる、そうしないと社会は変わらないととらえているとき、逆境のなかでよりよい仕組みを作りだす人たちと、力や考えがなく、与えられた仕組みに従うことでようやくあるべき姿に近づける人たちという二種類の人が想定されていないだろうか。そして多くの人は後者であるととらえられていないだろうか。その考えには人間に対する、ひいては自分自身に対する深い絶望がないだろうか。

 

ではどのように考えたらいいのか。「むしろフェミにとって大事なのは」とツイートしている菊地夏野さんのツイートを糸口に考えてみる。

 

僕は人の変容はどのようにおこるのかということを自分なりに探ってきた。そして教育哲学者林竹二と被差別部落の学生たちが通う定時制湊川高校の出会いを知り、今の認識にいたっている。それは強く抑圧され、傷つき、行き場を失っている人こそが大きく変容する人たちだという認識だ。

 

林竹二は、自分は湊川高校の学生たち以外にも同じ授業を行ってきたが、湊川高校の学生ほど大きく変化したケースはなかったという。そのあまりの変わりぶりは教育に絶望していた林を回生させたほどだった。僕が読んだ対談のなかでは林はそれがなぜなのかまでは言わなかったが、傷つき、強く抑圧された人が最も変容を必要とし、また大きく変容しうるのだということは僕の確信となった。

 

糸口はここにあると思う。第一にあるのは、いかにすでにマジョリティである人に理解してもらえるように訴えるか、働きかけるかではなく、切実に変容を必要としている人に応答することなのだと思う。それはちいさくとも実際の社会環境を質的に、また不可逆的に変容させていると思う。社会制度を変えることを第一にしている人から見ればそれは善行ではあっても社会に影響を及ぼすにはちいさすぎる行為かもしれない。しかし、個人の救いという観点からみたときには、実質的なのはこのあり方しかない。

 

大勢を救い大勢を導くリーダー的視点から物事をみることと、一人の生きている当事者として物事をみることは、そこから導き出される結論が違う。僕は後者の視点に立つことによって、個人は時代の閉塞に閉じ込められることから抜け出ていけると思う。リーダーの視点からみるならば、自分というちっぽけな能力も何もない存在、役に立たない存在を受け入れることは難しいだろう。

 

僕は何が生の実質なのかを考えてきた結果、「社会」が変わらなかったら自分も不幸だというような「社会」の改善と自分の幸福を同一視した考え方にされていること自体がおかしいのだと考えるに至った。なぜなら一人一人はたまたま明日に事故にあって死ぬかもしれないし、今まで通りの生活がほとんどできなくなってしまう可能性を持っているし、社会がいいように変わったあとまで生きているとは限らない。そして社会環境が大きく改善したというような時には必ず誰かがその成果の代わりに犠牲になり死んだり大きな不遇を引き受けているのだ。

 

その犠牲者に自分がならないとは限らない。いや、その犠牲者になることを前提にしないと生きることは肯定できない。「たまたま運が悪かった人」こそ、むしろ生の本質を表しているのだ。パートナーを驚かせようとして深い落とし穴を掘り、自分も共に落ちてなくなった人がいた。あるいは寮の塀を乗り越えて外に出ようとした看護学生だったかが太ももを鉄条網で深く傷つけてしまい、翌日死んでいるのが発見された事件があった。そのような死を一体どのように受け入れられるのか。不条理と意味のなさを引き受けることは、逆にがんじがらめに社会から規定されていた自分のあり方を破綻させ、解放する。意味はない。ならば救いを生きることができる。

 

「救いというのを社会を変革することというふうに考えないほうがいい。俺が多数ということに関心がないのはそのせいです。「人」が救われればそれでよかですたい、俺は。社会変革とか多数とかへ向かうと、コントロールしようという意志が働く。ひとりでも救われればいいという気持ちに徹することだ。そしてほんのひとりとでも出会えたらいいという思いが、俺をコントロールとは逆の方向へと運んでくれるだろう。ひとりひとりに出会う。結局これしかないんです。これがあればこそ、たとえ世界の終末が来ても、あの人がいる、この人がいる、と心に思い浮かべることもできるというもんです」 緒方正人『常世の舟を漕ぎて』

 

 

一般的には、個人と社会は別々のものと考えられている。「社会参加」、「社会進出」などという言葉があるように、「社会」は承認された営みに関わってはじめて参加できるものとされている。だがそれは間違いだ。自分自身が既に社会であるという認識へ転換したとき、動きだせるようになる。

 

「社会」に関わっていないから「社会」にかかわろう、何らかの「社会」的活動を自分はしていないからまず「社会」的活動をはじめないといけないけれど、でもできないというように、まず超えなければいけないものを設定する考え方が自動的に停滞を生んでいる。既に自分は社会であり、動いている。必要なのは今の自分におこっている動きに対する応答なのであって、テンプレート的な「社会参加」や「社会的活動」なのではない。

 

自分におこっている動きに応答を続けることで、自分のいる社会環境の実質は変化していく。

 

心理カウンセリングにおいては、社会自体の問題は不問にされる。問題はそこに適応できない個人の内面の問題なのだとされる。社会と個人の内面は別々のものとして孤立させられている。だがその近代の個人や社会の定義自体が実態と乖離しているのだ。個人は自己完結した存在ではなく、環境に応答し、自身と環境を共に変化させ続けていく動的な存在だ。私というもの自体が変化していく動的な社会現象であるのだ。

 

そのことを実感し、奪われていた認識を取り戻していくことが社会主体としての本来の個人を取り戻していくことになるだろう。そこでは私の回復は社会環境の回復であり、環境に応答し、環境とともに変化していくことは終わりなく続いていくものとなる。個人と社会環境は全く別々のものではなく、同じものだ。

 

そこでは力がなければ社会は変わらず自分の救いもないという絶望は回避される。もともと自分とともに社会環境は変わり続けるものであり、ただその営みを続けていくだけであるからだ。大きな力は必要がない。自分の力でできる世界への応答を続けていくことが自分を回復させることであり、同時に社会環境が更新されていく一致にもどるのだ。

意味と無意味

SNSで下記のブログが紹介されていた。

siusiu.hatenablog.jp

 

筆者は「天国のゲーム」の条件として「忙しさを感じること」と「受動的であること」を挙げている。

 

「天国のゲーム」には条件があります。
それはプレイ中に「忙しさを感じること」。忙しいときは時間が早く経過するでしょう?
ここ天国では退屈を感じないように忙しいゲームが推奨されています。それに「忙しさを感じるゲームは良いゲームの証である」と誰かが言っていたのを聞いたことはないですか?
 
求められる条件の2つ目は、「受動的であること」です。
もうウンザリでしょう? 何かをやりなさい 何を? それは自分で考えてください、みたいな話は。
何をやるかは指示される方が楽ですし、さらには主体性を必要としないとなお良いものです。人間は案外考えたいようで考えたくない生物なのですよ。

 

 

以前このブログで書いた「時間論」では、括弧つきではない日常的な意味の時間と括弧つきの「時間」の二つを分けた。そこで括弧付きの「時間」はそれ自体には実体が伴わない空虚な間隔としての時間ではなく、実際の変化を伴ったプロセスそのものを表すものとした。

そこでは、そもそも時計ができる前は時間とは海の満ち引きや太陽の移動、生物の変化などいわば実体をもつものの変化のプロセスそのものであったはずだと考えた。プロセスであったものがやがて1秒1分という、それ自体には何のプロセスも伴わない、意味のない間隔の積み重なりとしての時間となったことは、本来的なものが偽のものに取って代わられたということだと考えた。

 

実体をもち変化のプロセスそのものであったもののほうが本来であれば時間とよばれるはずであるが、その使われ方をするときの方が例外的で特別な場合に限られてしまっている。特別な場合とはたとえば「私の時間が止まってしまった」「私の時間が動きはじめた」とよばれるような場合だ。時間という言葉の例外的な使い方だ。(ネットの無料の広辞苑ではこちらの意味はそもそも存在しなかった。)

 

1秒1秒という空虚な間隔としての時間と変化のプロセスそのものである括弧つきの「時間」を分け、このように煩雑にすることに何の意味があるのかと思うかもしれないが、こう分けることではっきりしてくること、見えてくることがある。特に人間の回復や変化に関心がある人にとっては、括弧つきの「時間」を考えに取り入れることで具体的にすすめられる次の手が見えてきやすくなると思う。

 

時間と「時間」はさまざまに相反する性質をもつ。上で述べたように広辞苑に載っているのは前者であり、後者の「時間」は前者をもとにした比喩でしかない。しかし、僕はもともと変化のプロセスそのものであった後者の「時間」こそが時間の本来の意味であると考える。これが時間と「時間」が相反するという一つ。

 

(前置きが長くなりようやく紹介した記事との関連になるが)相反することのもう一つは、日常的な意味での時間がより意識されているときはプロセスである「時間」は動かないということ。逆にプロセスである「時間」が動いているときは、日常的な時間感覚が失われてしまう。どちらかが優先になったときは、もう一方がなくなってしまう関係が時間と「時間」の関係だ。

 

忙しさはよく心が亡くなるというふうにもいわれるが、「時間」が動いているときは心はむしろ動いていて、苦しさや焦りなどは後ろにひいている状態なので、僕は忙しさという言葉はプロセスとしての「時間」について書くときには使わないけれど、引用で言わんとしているところはわかるように思う。

 

僕の言葉でいえば、自意識としての私とは止まった時間そのものであり、私という意識が前面に出ているときは、プロセスとしての「時間」は後ろにひいている。その時、自意識は常に自分は何であるかとか、どういう序列やステータスにあるのであるかとか、どうしなければいけないかなどが問われている状態にある。自意識はぎりぎりとした緊張状態にある。

 

ところが身体性を伴わせて集注状態になるとき、自分が何であるかというような認識が追いつかなくなる。止まった時間としての私とはいわばアイドリング状態が確保されている時にある私であって、アイドリング状態がなくなってしまうと存在できなくなる。すると普段の止まった時間としての私である自意識の支配がなくなり、そこで動こうとしているプロセスが解放され、動きだす。

 

「年甲斐もなく」とか「我を忘れて」熱中してしまったなどと前置きするとき、自分が何であるかといったような意識が後ろにひいていることが表現されている。熱中して集注しているときの自分と「我にかえった」自分、どちらが本当の自分かと問われるなら、多くの人が後者だとこたえるだろうと思う。自分とはコントロールする主体、認識する主体であると考えるのは近代的な人間観にならったものであるけれど、今も多くの人が何の疑問もなくそれを受け入れている。

 

ところが長期にわたって自分の「時間」が止まってしまうような出来事に見舞われてしまうと、その前提ではうまくいかない。止まった時間である私がコントロールして私の「時間」を動かそうとするというのは、これまでも述べたように、そもそも矛盾であるからだ。止まった時間である私が後ろにひいた時に変化のプロセスである「時間」が動きはじめるのだから。それは実感としては主体的に感じられるが、実際には自意識は後ろにひいていてそこにあるプロセスと一体化しているので、能動と受動という二元論で分けるなら受動ともいえる。(「主体」が何らかの意思的行為をきっかけとしてある状態に入ることを単純に能動か受動かと分けることには無理があり中動態的な認識が必要だろう。)

 

世間一般の認識とは逆に考えるとき、私の「時間」は動きはじめる。「我を忘れて」いるとき、変化のプロセスと一体化しているときの自分こそが本来の自分で「我にかえった」ときの自分はいわば自分でない自分なのだ。コントロールする主体としての自分、認識し序列づけするような自分は自分として「確認」できる。ところがプロセスとしての自分はそこにおこっているプロセスしかないので自分が何であるか「確認」できない。それはコントロールする主体としての自分からは不安に感じられる。止まった時間としての私は確かなものを掴みたいのだ。しかし確かなものとはコントロールできる止まったものであり、死んだものだ。

 

エーリッヒ・フロムにいわせるならばそれは死んだものへの愛、ネクロフィリアであるだろう。自意識が自分を何であるかと確認して満足するようなことは、死んだもの、止まったものとしての自分を愛している倒錯的な行為なのだ。そして自意識は自分を満足できる状態に常にもっていこうとして自分におこっているプロセスを無視し、厳しい矯正教育を自分自身に行おうとする。その教育の結果、何かのステイタスを獲得できたとしても、そのステイタスは常に可変性をもつ。不安は続き、不安要素を潰していくことが延々と繰り返される。そしてその終わりのない獲得の結果として誰かが抑圧され、搾取される。

 

言葉の世界に入ってしまった人は、常に意味の強迫を受ける。意味とはつまるところ未来を前提にした有用性であるだろう。言葉が作る認識構造のもとでは、自分はどれほど有用な存在であるかという強迫にさらされる。だから意味の求めとは、あらかじめ低められ、限定されてしまった不本意な状態を脱したいという求めなのだ。それはギリシア神話で火を人にもたらせたために岩にはりつけられ、毎日内臓を猛禽類に食べられることとなったプロメテウスの苦痛や屈辱と重なるように思える。

 

そしてここでまた間違いがあるのだが、これまで述べてきたように止まった時間としての私、認識する主体としての私がこの限定された不本意な状態を脱しようとするとき、より高い意味を求めようとする。競争に勝った、より上位にある意味を獲得しようとする。だがそれが根本的な勘違いなのであって、止まった時間である私がいくら何かを獲得しても止まった時間としての私は救われない。

 

止まった時間としての私が救われるのは、私が何であるかというような位置づけが後ろにひいて感じられなくなったときだ。止まった時間であること自体が実存の苦しみなのであるから。しかし止まった時間としての私が自分の本体だという近代的人間観を前提にしていると、そこで捉え方の転倒がおこってしまう。偽の自分のために、本来のかたちのないプロセスとしての自分を抑圧してしまい、余計に動けなくなってしまったり、自分や周りのものに対して抑圧的、支配的な振る舞いを強めるようになってしまう。

 

ゲームに時間を費やすことは無駄なことで依存的な行為であるというのは、これからも生き続けることを前提にした見方だ。だがプロセスとしての「時間」という観点から見るならば意味の強迫に苛まれるこの言葉の世界から本来の無意味(つまり明日から見た有用性という強迫から解放される)の世界を取り戻しているといえる。

 

僕は人間を自動的な自己疎外を止められない存在としてとらえている。どれだけ人口が増えても、科学技術的なものが発達しても、人間の不安はおさまることがないし、自分の安定(単なる維持だけでなく「発展」も安定への欲求だろう。)をいつまでも確保しようとする。もっともっとコントロールして思うままにできるようになろうとする。それが死んだものへの愛であって、生きている自他のプロセスをどんどん殺していっていることであっても止めることができない。

 

その終わることのない不安とは言葉の世界に入ってしまったことによる明日への不安なのだ。明日の不安を確かになくしたい。しかしどんなに競争に勝ち、あらゆるものを獲得したとしても不安をなくすことはできない。それを助長しているのが、止まった私、認識しコントロールする私を人間の本体だとする近代の人間観だろう。

 

( 明日について追記。プロメテウスは「毎日」ワシについばまれる責め苦を負っている。この「毎日」とは何かと考える。それは閉じた繰り返しのことだ。過去、現在、未来とまるで線が伸びていくように「明日」というものが語られるが、精神にとって「明日」とは同じことの繰り返しがまたおこることであり、その繰り返しの空間に閉じこめられていると考えることができるだろう。言葉の世界に入って、「明日」を獲得したことは、実際には知っていることが繰り返される既知の世界に閉じこめられるということであるだろう。言葉の獲得は、火によって暗闇のなかでものが「見える」ようになるこであるが、その一方で既知に閉じた世界を実際の世界と認識するようになることであり、「見えなくなる」ことでもある。)

 

 

救いは自意識がコントロールできるものを獲得することからはおこらない。自意識が後ろにひいて、自分が何であるかなどと認識していない集注状態に入った時にもうおこっている。そして「我」にかえった時にまた失われている。

 

あるいはこう考えてもいいかもしれない。世界や自分を認識したり分析するときに立ち上がる見え方がある。その見え方を通して考えたり分析したりすることはできる。しかしその見え方は世界と自分を死んだもの、利用対象としてしかとらえることができない。その見え方においては、世界や自分を利用対象、操作対象としてしか見ることができない。その見え方は「現実」に思えるし影響を受けるが、あくまでそれはあるメガネを通した見え方にすぎない。見え方とは別に実際が存在している。

 

  

kurahate22.hatenablog.com

 

 

 

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「見捨てられた」個々人ができること

テレメンタリー「私がやらない限り〜性暴力を止める〜」の感想を『「観客席」から降りて』ブログに寄稿させてもらいました。


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ドキュメンタリー番組 テレメンタリー2020【土曜放送】 - 本編 - 私がやらない限り〜性暴力を止める〜 | 【ABEMAビデオ】見逃した番組や話題のニュースが無料で視聴可能

 

べてぶくろ性暴力事件は告発後、半年以上がたった今もまともな向き合いがされていません。べてぶくろは「当事者研究」を使って、事件を被害者の心のうちにおさめさせ、そのまま済ませようとしました。そして告発後も時間が経って世間がこの事件をこのまま忘れるのを待つ姿勢でいます。

 

当事者研究に関わり、そこに少しでも明るい気持ちを持った人の少なからずが絶望を感じたのは、事件のうちうちでの「火消し」に当事者研究が使われたことだけでなく、当事者研究界隈や福祉や医療など人を救う立場にある人たちの沈黙のためではなかったでしょうか。斎藤環氏、伊藤絵美氏、信田さよ子氏など限られた人たちをのぞき、べてぶくろに直接の改善や向き合いを求める人はあまり見当たりません。べてぶくろがこのままほおかむりを決めこむ姿勢を見せていてもです。

 

たとえ事件に関わる詳細な事実を知らなくても対応の経緯を見れば、良心的な職業者であれば批判すべき点はあるでしょう。綺麗なことを日頃言っていても、所詮業界人ということなのでしょうか。

 

安易な発言はできないとか、言葉がないなどというように、自らの考えにおいて具体的な意見は述べず、良心的な姿勢を見せながら巧妙に言及を避けることが、被害者を見捨てることであることは知っていないわけはないでしょう。保身と利益保持を重視する業界人としてではなく、自律した職業人として個人の考え発言する気はないのでしょうか。

また人権侵害を行う組織が声をあげる個人の小さな力を抑圧し自らの責任をなかったことにしようとする問題は、べてぶくろや当事者研究界隈に限らず、東京シューレアップリンクDAYS JAPAN、カオスラ、グローなど枚挙にいとまがありません。社会において人間がどのようにあったらいいのかを今まで提示してきた業界がいざ自分たちの問題になるとだんまりを決めこむ姿勢を見て「これが現実だ」と深く絶望する人たちに投げかける声はないのでしょうか。

 

業界の責任は果たされる必要があります。しかし一方で、業界が変わらなくても弱い個人が自分たちで問題を小さくとも考えつづけてくことができると思います。大きな力を持つところ、組織や専門家が何かやってくれないと何もできない飼われたうさぎのような存在にされていた個々人が、業界が取り扱わない問題、向き合わない問題を自分ごととして関心をもつ人とともに考えていくことができるのではないかと思います。

 

社会の問題を自分ごととして受け取った人が、ちいさな学びの場を続けていくことができると思うのです。世渡り上手が社会で高い地位を確保するかもしれませんが、そのようなステイタスはなくとも学び、精神が閉じこめられた日々を変えていくことは弱いものたちであってもできると思うのです。

 

業界人たちは広い間口を用意して、面倒をみてあげるから、希望をあげるからおいでおいでと呼びかけます。しかし、いざ問題がおき、弱い個人が一人だけになった大事な時には自分たちの保身の優先します。そんな時に少しだけでも自力があったらと思うのではないでしょうか。

 

カリスマ的な誰かがいないと学びはできないのでしょうか。誰かが考えた枠組みに沿わないと自分も回復できないし、必要なものを得ていくことはできないのでしょうか。自分たちなりの学びというものを取り戻せるのではないかと思うのです。

 

必要なものを自分たちで考えていく。いきなり高度なものができなくても試行錯誤するうちに、自分たちなりの必要は充たせるものになるかもしれません。何よりその自分で考えて試行錯誤することが、業界や専門家に奪われた思考の主体性を個々人が取り戻していくリハビリとなり、また同じ問題意識を持つ人たちに出会っていくためのものになると思うのです。

 

学びとは回復であり、エンパワメントであると思います。孤立させられ弱くされた個々人が問題意識をもって学び、必要な人たちとであっていくことがちいさな自分たちなりの学びの場を続けていくことが暗い社会にそれぞれのちいさな光を灯すことになるのだと思うのです。

 

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オンライン読書会 パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』を終えて

パウロフレイレ『被抑圧者の教育学』のオンライン読書会が一段落する。


自分自身は里見実さんを通してフレイレに出会った。まず感じたことはフレイレの言っていることが現在の社会の状況にそのままあてはまること、そして現状を変えていくために環境を分析するにあたって使えることだった。無論、50年前の南米の状況を主な背景として書かれたことは換骨奪胎しなければいけない。

 

フレイレの革命リーダー論などに関してはやはり前時代のものと思われ、幾分「人々寄り」であれ結局リーダーが導くという前提から逃れられなかったと思う。昨今、「良きこと」の実践を看板にしている団体のリーダーたちの人権侵害やハラスメントが相次ぐ。

 

リーダーとは何なのか。もっと真剣に根源的なところから問われなければいけない。リーダーは自律的に自身を正しいところに維持できるものなのか。周りの人がリーダーを作って彼に色々な問題を放り投げることで周りの人は自ら考える主体であること、応答する主体であることを放棄していないか。そしてその周りの放棄によって、リーダー自身もその人間性が疎外されていくのではないか。当事者研究界隈においては、リーダーが当事者たちの場で生まれた文化を私物化し、企業に販売するようなことまでおこってしまった。

 

フレイレをあらためて読んで、フレイレが述べているのは「対話とは何か」ということに集約できるように思えた。預金型教育への批判、非人間化されたものが人間化すること、そして先ほど批判したリーダー論においてでさえそうで、フレイレがあらゆるところで繰り返し提示していたのは「対話」についてであったと思う。

 

「対話」はしかし現状歪められた言葉になっている。権力が強い側が弱者に対して変容を求める時に使われる言葉になっていたり、(フレイレ自身もそう使っていたのではあるが)対話を「する」もの、「しよう」として意図的にできるものだとされてしまっている。対話という変容のプロセスは「おこる」ことであって、「する」ものでも「できる」ものでもない。できることとは変容のプロセスがおこりうる環境設定であり、それはたとえば一つはお互いの主体性と尊厳を認めあうということだ。

 

なぜ自分が対話を「する」ものではなく「おこる」ものだとこだわるのかといえば、「する」ものととらえている時の傲慢さが話の場で実際に影響するからだ。自分は対話をしていると自分で思うことに恥ずかしさがないとき、それは自分がいかに相手のことを知らないか、無視しているのかを実感した経験がないということでもあると思うけれど、その態度自体が場をもはや終わった場にしてしまう。

 

重要なことは、変容のプロセスがおこることだ。場におけるそれぞれの個人は変容のプロセスに対して謙虚である必要がある。変容のプロセスを主としなければ場は抑圧的になる。香害の話をしていてより症状が深刻な人が自分のような症状でない人に対して「あなたの症状など症状ではない」ということがあったと聞く。どれだけ自分が重い苦労を抱えていたとしても、それは自分が誰に対しても命令をくだせたり人を規定する存在になることを許すものではない。

 

わざわざいうことでもないが、個々人は誰でも抑圧的な価値観をもっている。そのことに対して自覚的になり、お互いに変容のプロセスがおこることを大切にするという踏まえが必要だ。そのことによってお互いが自分に内在する抑圧的な価値観やまなざしから解放されていくのだから。

 

無前提に「正しい人」などいない。そして自分が他者に出会い、内在させていた抑圧的な価値観に気づき、そこから解放されていくということが続かない限り、その人は「正しい人」と思われていてもやがて周りからそう思われる環境自体に疎外され、そうあってはならないありようになってしまうだろう。

 

変容のプロセスを媒介にして、他者との遭遇によって、固まった自身が解体されていってはじめて人は人らしさを維持できると思う。一度出来上がったら腐らない「人格」などないのだ。生きものなのだから。常に循環更新がされているものが生きものとして生きている。プロセスとして生きている。

 

フレイレはいわば「自分」というものが「成長」していくと考える近代主義者であると思ったけれども、同時に近代をこえているところは人を固定的で静的なものとみず、プロセスそのものであるとみたところだろう。そしてそのプロセスは個人内に完結せず、かならず自分の外の世界を媒介させる必要があるとフレイレは指摘した。

 

そこで現実におこっている現象をなぞろうとするとき、自分の認識の枠組みでは矛盾をもったかたちでしかとらえられない時がある。だがそこで矛盾を自分の認識にあわせてなおすなら、むしろそれは後退になってしまうと思う。フレイレの矛盾は誠実さの現れであると思う。フレイレがそこにあることを完全にまとめきれなくても、正確になぞり表現しようとしてくれたことに感謝がある。

言葉を求めて 歩録:Exhibition/Performance

12時に古書店カライモブックス さんでのチラシづくりワーキンググループが終わり、帰途につく。何か食べていこうと思い、ソーシャルキッチンへ。

烏丸通ではマラソンが行われていて人が多い。人と人の間を自転車で抜けていく。ソーシャルキッチンはもしかしたら満席かなと思ったけれど、幸い座れる席があった。

1Fカフェの上では、古川友紀さんの歩 録:Exhibition/Performanceが開催されている。古川さんのやっていることは見てみたいと思っていたのだが、予約をしようとした時にはとっくに埋まっており、諦めていた。

 

古川さんが来られ、挨拶する。水無瀬でされていた穴場以来だ。あの時は気になっていた近くの長谷川書店にも行って珍しく長いこと色々と本を眺めていた。

 

・・・期せずして当日席で入れていただくことになった。砂連尾理さんも来られている。マスクがあると一瞬どなたかわからなかった。

 

予約は一番最初に情報を知ったときにそのまますぐに入れていれば間に合っていたかもしれない。躊躇したのは、自分の大雑把な感覚に対して、古川さんがとても「こまごましたこと」を大事にされていると思ったからだった。受け取れないまま意識が別のことに飛ぶ、という状態になりそうに思えた。

 

ダンスに関わる方たちに関心を持ったのは、プレイバックシアターやエンカウンターグループなどをされている橋本久仁彦さんとダンサーの野村香子さんが一緒にやっているワークショップだった。心理学系のワークショップにはよく行っていたので橋本さんのことは知っていて関心を持っていた。しかしワークショップでは全然知らなかった野村さんのほうにびっくりしてしまった。

野村さんのリードで次々に指し示されるモノと自分との距離を一瞬で「計測」(もちろん本当の距離などわからないからでっちあげるしかないのだが。)するワーク。部屋のなかから外に出て、琵琶湖と空が見える場所で「雲との距離を!」と浮かんでいる雲がさされた。鮮烈な言葉だった。わかるわけがない。しかし一瞬で自分で決めるのだ。様々なものとの距離を一瞬で決めるのを繰り返していくと意識状態が変わってくる。WSが終わり、帰りの電車に乗った時、電車の奥が見通せるような状態になっていて驚いた。

 

一体ダンサーの人たちは何をつかんでいるのか。砂連尾理さんの介護とダンスのWSににいくつも通ったり、双子の未亡人の佐伯有香さんにWSやってもらったり、伴戸千雅子さんやニイユミコさんたちが各所でやっていた即興の集い「土星の会」を当時住んでいたシェアハウスでやってもらったりした。古川さんも確か土星の会の時に初めてお会いしたのかと思う。

当時はコンタクトインプロの定期レッスンやダンスのワークショップなどに結構行っていた。が、そこから自分の感じ取れることはわずかだった。よくわからない。自分の身体的な感性は貧困で溝のなくなったタイヤみたいなものだと思った。ただダンサーの人たちの言葉は自分に入ってきて、世界がどうなっているのかを探っていく手がかりになった。

 

言葉は自分にとって機械的に増設した神経のようなものだ。直接に身体的な感性とやりとりができないが、代替的に言葉を蜘蛛の巣のようにはりめぐらせて、糸に当たるものの場所や状態を知る。だからダンサーの方々のなかでも言葉でも表現する人のところに行って言葉を聞いていた。

 

歩録の展示は13時からやっており、14時からは古川さんによる展示の紹介がそのままパフォーマンスとなるかたちではじまった。壁面に貼られた川の地図の東西南北が古川さんの声と動きのリードで会場の東西南北にスライドされる。すると地図にあったものが急に立体になったように感じた。止まっていたものがもわっと変化し、うまくとらえられない何かに変わる。

 

その時に感じる抵抗。わからないもの、とらえにくいもの、自分がどう立ち合ったらいいのか定まらないために自分も不定になる不安。はっきり決まる世界に戻りたい、自分が揺れずに対応できるところにいたい。そういう求めが浮かぶ。結局自分はその止まった世界にいたいのだなと思う。不安すぎて身体の世界にいてられない。

ぼんやりしていてうまく捉えられないものばかりの不安な世界をはっきりと見られるようになりたい。それが自分が言葉をはりめぐらせていく理由なのではと思う。

 

パフォーマンスで窓を開ける場面があった。葉っぱが全て落ちた木が見える。外の世界は沈黙しているように見えた。その沈黙に安らぎを感じる。沈黙は言葉が捨てられた状態だろう。より言葉をはりめぐらせたいし、そもそも言葉がなくてもよいところにかえりたい。

 

パフォーマンスで古川さんの身体がモノとかかわる。
自分が普段かかわるそれぞれのモノに対して自分は固定的に関わる。コップに耳でかかわろうとしない。いつも同じように同じところを使ってコップと関わる。それはコップを既知のコップとして安定させる。だが古川さんの身体は、そのような日常の固定的な関わりでない関わりをする。どんどんと固まったものが壊れていく。そこにあるものが何であるかわからなくなる。意味が終わらされていく。

 

パフォーマンスの後に、砂連尾さんと古川さんのトークがある。砂連尾さんは古川さんたちが歩いた道の近くに以前の自分の家があり、また終着点はお父様の亡くなった病院の近くだったことに後の映像記録から気づかれたとのこと。以前、家族模様替えプロジェクトでお会いしたお父様、亡くなったのかと衝撃を受ける。時間は過ぎている。砂連尾さんは、その時の体験を確か生まれ直しのようだと語っていたように思う。

 

歩くことは、まるで線香の燃えている点がだんだんと下に移動していくようなことだなと感じた。燃えている場所では、そこで出会ったリアリティによって、自分の止まった時間が更新されている。燃えている場所で止まったもの、固まったものが動きだして、そして灰になって消えていく。その燃えている点だけが生きているのかもしれない。記憶である世界は、後は静かに止まったままでいる。歩き移動する分だけ出会うリアリティがあり、線香の火の移動のように小さく更新されていく世界がある。


古川さんが子どもの時に積んだ石が大人になってそこに戻った時に残っていたという話をされる。過去、現在、未来と言葉は時間をそれぞれ別のものとして分けてしまう。だが本当はそれらは同時的にあるのだ。過ぎ去ったはずのものへの遭遇は、その同時性を思い起こさせるから心を動かすのだと思う。


追記:
あとで気づいたが、ここでダンサーの人たちと自分自身の出会いとその経過の記憶をいま一度たどることも「歩くこと」であり、自分と世界の関わりを小さく変えていく更新の作業だった。古川さんの歩録に自分の「歩録」が触発された。

 

そして古川さんが語られていた「持続感」について考えてみたかったのだった。

 

最近は、体の内へと向かう意識だけでなく、体の外にある物事へも興味が増してきました。内と外が共にあるような「運動の持続感」は踊りの要ですが、私がそれをより自然に感じるのは、歩くという素朴な行為のさなかです。                 ーー歩録パンフレットより

 

意識で認識するということは、言葉で認識することだと思う。言葉によって分けられる前は内も外もない一体のはずだ。図と地を分けるように、意味あるものとして認識する際には背景に沈む地が必要だ。また言葉によって区別しているときに、図と地を分ける区別の基準自体は観察できない。

ルーマン(注:システム論者)における観察概念は、「区別と指し示しの操作」というスペンサー=ブラウンに由来するきわめて形式的な定義を出発点としており、その概念としての汎用性は非常に高い。実際何かを観察する際には、その何かを指し示さねばならないし、何かを指し示すためには、それを他のものから区別しなければならない。(略)
 観察におけるこうした区別は、その区別をもって見ることができるものを見ることができるという意味では、世界へ何らかの接近可能性を開くものである一方で、この区別をもって見ることができないものは見ることができないという意味では拘束でもある。したがって、ある観察を遂行している観察者が自らの盲点、すなわち、自らが用いている区別自体を同時に観察することは不可能である。ある観察が何を観察することができないかについては、観察図式の転換(別の視点から観察すること)や、時間の助けを借りて(過去の観察について現時点から観察すること)のみ、観察することができる。それが観察の観察、すなわち二次的観察ということである。 矢原隆行『リフレクティング』

 

僕は人間の根本的な疎外は、言葉によって世界との一体性から切り離され、言葉によって作り出された止まった世界に閉じこめられることだと思う。止まった世界には「持続感」は存在しない。過去と現在と未来が一体になった同時性も存在しない。見えるもの、認識できるものは止まったものだけだ。言葉による認識が立ち上がり、自分というOSが起動する前の本来の状態、動きそのもの、変化そのものの感触が「持続感」として感じられるのではないかと思う。


ミヒャエル・エンデが確かファンタジーに対して科学的・客観的な「現実」としての世界とはなんであるかと科学批判をするときに、子どもが月にたどり着いたとき、そこにあったのは月ではなくただの干からびたサンダルでした的な(だいぶ間違っているかもしれないが。)寓話を書いていた。言葉によって失われた現実として、ファンタジーがあるように思う。

うつらうつらと意識状態が落ちるとき、ファンタジーの世界は現れ、そして意識が戻ったときにはその現実は忘れられ、失われてしまう。そこでの現実は持ち帰ることができないし、現実だったということも許されていない。それを体験したのは自分がおかしかったのだということになる。

 

干からびたサンダルとして自身を認識することが言葉をもったものの宿命なのだ。しかし、全てが同時にあり、何とも切り離されていない状態、意識が失われた状態のときに本来の自身、意味から解放された全体が体験されている。


自意識というOSが立ち上がったとき、意識されるのは既に終わったもの、止まったものだ。だが歩くという繰り返しの動作のなかで反応する機序を飽和させられた自意識は瞬間瞬間に落ちているのかもしれないと思った。意識の支配性のあまりの大きさに絶望してしまうのだが、そこここで意識は抜け落ちていて、「持続感」の名残がどこか感触として感じられる。止まった世界は瞬間瞬間に動いて少しだけ更新されている。そういうことなのかもしれないと思った。



 

 

12/13(日)ワーキンググループを終えて 罪 主体 マジョリティ WGの枠組み

今回のワーキンググループでは、今までネット上での発言を読むだけだった方たちとオンラインでお会いし、テレメンタリー「わたしがやらない限り」の視聴を媒介にお話しをする。医療や福祉、組織におけるハラスメント対策などそれぞれの現場からのお話しから今まで知らなかった文脈を知ると様々な問題に対する自分の距離感が変わる。浦河べてるの家に対する自分のイメージも、本やネットなどの世間に向けられた顔からできていたことをあらためて実感する。

べてぶくろ性暴力問題の被害者であるpirosmanihanacoさんの呼びかけがなければ、この場はそもそも存在しない。これまでも社会のひずみによって傷を受けた人がそれでもなおシェアを続けることで環境は更新されてきたのだろうと思える。だから生み出された環境を享受することは避けようのない罪を背負うことなのだと思う。そしてそれが応答する必然でもある。誰もニュートラルな場所などにはいない。


最近は罪の取り戻しについてよく考える。

罪を背負うことは重荷だと受け取られることのほうが多そうだが、実際には罪を背負うことで自動的な自己疎外に邁進する自意識がようやく干渉される。結局は罪を認め、背負うことでようやくで救われるのだと感じる。罪を背負えないとき、自分に本当に必要なアクションをとることもできなくなる。なぜなら社会環境と抑圧は一体であり、抑圧だけを取り除いたりはできないからだ。

 

罪の取り戻しとは、主体性の取り戻しでもあるだろう。ハックルベリーフィンが黒人の男の子を守ることに「罪悪感」を感じながらそれでも友達であること選んだように、抑圧となった決まりごとの外に出ることでようやく主体が取り戻される。決まりごとが閉じた抑圧になっているとき、人間として解放されるためには罪を引き受けなければならなくなる。決められたものの内に完全に埋没するなら自分とはつまり規範であるということになる。

 

マジョリティは自身の罪を否定して透明な存在であろうとするものだ。マジョリティにとっては汚れのついたものとついていないものの二つがある。そしてうすうすとは自分が罪を背負っていて、綺麗なものではないという感覚があり、うっすら感じられる自分の汚れに苛まれている。そして思考は自動的にそれを糊塗しようとする。自身の欺瞞を認めず、その欺瞞を意識の下に押しこめるためには払えるものは何でも払おうとする。

マジョリティとは「名誉人間」であり、逆からみれば名誉を得られる条件から外れて「人間」から堕ちる不安を常に感じている存在だ。たとえばその名誉を得られる条件は「普通であること」であったり「経済的自立」であったり、「正社員であること」であったり、「結婚していること」などであったりする。

マジョリティは、自分が依拠している名誉を揺るがすものを許さず自動的に否定し、名誉が名誉であるための理由を常に補完し続けなければ出来上がった自分が破綻してしまう。穴が空いたコップに穴は空いていないと信じこむために減った分の水を注ぎ続ける。マジョリティがマイノリティを持っている価値を事あるごとに吸う吸血鬼のようにも感じられるのもこのためだろう。穴の空いたコップにたたえられた水がマジョリティに必要な名誉であり実存であり、水を失うことは自分の死に等しいと思っている。

マジョリティは自分を「名誉人間」たらせる強迫に苛まれており、減衰する価値をあてがうために自分が奪われている。マジョリティとして自分を保っている人は自分がまだない「自分以前」なのだ。

しかしあるマジョリティ性を自分の力で抜けられる人はおらず、自分のコントロールをこえた他者と出会って否応無くレールから外されるという契機がまず必要なのだと思う。既に掲げられている価値に自分を捧げてしまう奴隷であるところから放り出され、さまよいながらそこで出会うものに応答し、以前は見つけられなかった意味を見いだしていくことでマジョリティの残存物としての自分が終わっていくのではないかと思う。

 


・ワーキンググループについて

ワーキンググループ(WG)をどのように位置づけていけばいいか、引き続き考えている。名前がWGだと学びを趣旨としないグループもWGに入ってしまい、そうなると自分以前だったものが自分に戻るところ、社会から乖離させられた個々人が社会主体であることを取り戻していく場とならない。学びを趣旨とするのは、外の権力関係をグループに持ち込まないこと、既知の自分の感覚や正しさを絶対化して相手に押しつけず、相互尊重に立つことを成り立たせるため。わざと普通の名前にしているところもあるのだが、(ソーシャル)ワーキンググループとでもすればいいだろうか?

今回のグループのやりとりで、公的なケアがシステムとしてあまりに整っていない、既存の支援グループにお金がなく世代交代ができない、院長がハラッサーだとスタッフもハラッサーになるなど現場の話しを聞くに、WGで何でも解決するわけではないが、地域の医者や支援機関情報の共有、自分が持っていない情報を持っている他分野の人との出会い、日常生活と専門機関の間にケアのグラデシーションを生むことなどは、WGの直接的効果、派生的効果として期待できるのではないかと思う。WGの意義は単体としての機能以上に、個々人が自分の必要をみたす場として複数の場所で同時多発的にWGが行われる文化的環境の派生させること、学びの民主化を成り立たせるところにおいている。ここには「当事者研究」がリーダーたちに占有され、支配と管理の道具として使われるものとなってしまった状況をこえることも念頭にある。



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ワーキンググループ
・1人でやるより複数人でやるほうがはかどる作業をやったり、一緒に何かの具体的なテーマや問題についてがある場合などに集まって作業をしたり考えやアイデアなどをまとめるためにつくる即興的なグループ。必要が満たされれば解散する。

 

ソーシャルワーキンググループ(仮) 寄り合い学び(日本語版)
→学びを趣旨としたグループ
・作業をしたり考えなどをまとめるためのグループであることに加え、学びを趣旨として集まるグループ。趣旨が学びであるため、作業を行うにしても効率最優先を求められたり、誰かが一方的に指導するようなことは控えられる。


ワーキンググループの特長

→脱単一コミュニティ依存
学びを趣旨とすることで相互に尊厳が提供されるという体験が定着し、そこここで個々人が自由にWGをもてるようになれば、個々のWGは分散した居場所となりうる。単一のコミュニティに依存する必要性が薄くなり、グループ内に権力関係の固定化などがおこってきそうな場合でも違うグループに移動できる。

 

→学びの民主化、社会主体としての個人の回復
学びを知識や技術の獲得ではなく、自身が閉じこめられている出来上がった既知の世界を更新するものと定義するならば、WGにおいて自分に必要な学びは各自ですすめていくことができる。この定義において学びと回復は同じものであり、マイノリティが自らをエンパワーしていく場であり、自分の必要にあわせて社会環境に働きかける主体として回復していくリハビリの場ともなる。


→必要な多様性を自ら確保するためのWG
同じ問題を共有するように思える社会運動間においても、複合的なマイノリティ性を持つ場合は疎外される場合があり、必要な多様性は十分であるとは言えない。自分も香害のチラシづくりのWGをやる予定だが、自然志向とスピリチュアル志向が近い傾向なども往往にしてあるので、スピリチュアルではなく、自然原理主義にも回収されないグループでやりたい。単発性のWGを複数回やることによって、グラデーションを同じくする人たちと出会い、そのうえで協働することができる。


→尊重の考え方について
・グループでは、1人1人の人がそれぞれに自分自身のプロセス(時間)を生きている存在だと位置づけられる。グループとしては具体的な作業をやりつつも、それぞれの人のプロセスや歴史の固有性が重視され、尊重される。誰もが無自覚な差別をもっていることを踏まえ、少なくともグループ中においては「自分の常識」や「正しさ」にあぐらをかかず、学びの趣旨に照らし、人を変えたり教えたりするのでなく相手の存在によって自分自分が新しい価値を発見し変わっていくという姿勢をベースにおく。


→現在の自分の状況から
二週間に一回行なっている読書会は、読書会と銘打ちながらも本ではなく普段自分が考えていることや経験したことを発表できる場になっている。自分におこっているプロセスを各自がすすめる場という位置づけ。本を読んで発表する場合も一冊読む必要はなく、一章でも一行でもよい。自分のペースを確認しチューニングするリハビリのほうが重要だと考えている。定期的に行なっているこの読書会のなかでこういうことがやりたいなというアイデアや提案が出ればこの指とまれで有志がWGをする。WGを派生させる仕組みとしての定期的な読書会の場という側面もある。個々のWGを派生させるハブのような効果を持つWGの存在も重要だと思う。自分の周りでは、個々人が自分の必要にあわせて話しの場をもつことはだんだんと自然なこととして定着している感じがある。

 

 

気づかない絶望 社会と個人の乖離

新しい問題がおこれば新しい専門家がそれにあたるというかたちで、専門家制度が整えられ、より万全になっていくことで社会の問題は解決していくのでしょうか。

 


専門家には専門家ならではのできることがあると思います。しかし、だからといって専門家でない人がその分何かを考えなくなり、それまで自分で調整できたことができなくなることは深刻な結果を招いていると思います。

 

社会福祉のことは社会福祉の専門家に任せ、保育のことは保育の専門家に任した結果、薬物依存回復施設や保育園建設に反対運動がおこるようなことは、社会と個人の生活が全く乖離したものになっていることの現れではないかと思います。

 

今は問題がなくても、いざ自分や周りに問題がおこったとき、自分が反対運動をした施設のお世話になるかもしれないという想像力は、学校教育で型通りに教えられたりするぐらいではうまく育たないのではないかと思います。

 

社会で何がおこっていてもそれと全く無関係に送れる個人の生活。「余計なこと」に首を突っ込まなければ安泰に送れる生活といったリアリティは実のところは全く現実とは違うわけですが、個々人としてはそのように問題と無関係で自分の生活は送れるものであると信じており、それだからこそ無関係でいられるはずの自分の場所の近くに社会が必要とする施設などが建設されては困るのでしょう。

 

仕事が免除された休日のように、日々の生活とは、社会から贈られた、社会と無関係でいられる時間であり空間なのです。「無関係であること」を与えられて喜ぶのは、奴隷の喜びであると思えます。

 

いつも監視されてプライバシーがないような地域に長く閉じこめられていれば、隔絶された「無関係」を得られることはそれはもちろん解放感のあることでしょう。しかし、そもそも無関係ということは苦痛が前提にされていない限り、何の価値もないものです。

 

強制であり、義務であり、苦痛であることからひととき解放される一時的な解放感をもし価値とするならば、その「無関係」は消極的な価値とでもいうものでしょう。息をするだけで毒を吸い込んでしまうとき、空気に毒がないことは価値があります。しかし毒がないことを喜ぶのは一時的です。消極的価値が価値と感じられるのは苦しみに対応する分だけであり、やがてその価値は無くなります。

 

消極的価値を頼りに生きていくところに生きる喜びなどはありません。苦痛の軽減がもし積極的な価値になるならば、そもそも生まれないことがあらゆる苦痛がない最高の状態になります。一度生まれてしまったものが消極的価値を価値だとするならば、生きることはそもそもの不幸をどうマシにするかということになります。それは絶望を生きることともいえるでしょう。消極的価値を頼りに生きようとしているとき、それは無自覚であっても絶望を前提にして生きようとしているのです。

 

絶望は自分の知っている世界を変わらないものと認識しているときにあります。自分の知っている世界、既知の世界とは、すでにそこでおこることが決まっている世界です。よって、その既知の世界は更新されていく必要があります。希望は、世界は自分がやりとりすることによって変わりうるという感覚がより確かになっていくときに生まれます。それは閉じた既知の世界に入った亀裂から漏れる光のようなものです。

 

問いを持ちながら、既知の世界の外の世界に触れ、自分で世界のありようを確かめることは、まるで一般的な認識にはなっていませんが、どのような個人にとっても必要なことであると思います。個人は自分の限定的な専門を除けば、あとは何も知らず、何も考えなくていいお金を持った消費者であればよいと社会は暗黙のメッセージを投げてきますが、自分自身で既知の世界の外を確かめることは、誰もが浸っている絶望から抜け出していく方法であり、支配されない人間であるための権利であると認識してもいいと思います。

 

 

回復施設や保育園など自分には必要ないと思いこめるまで社会と個人の生活が乖離させられた現社会環境において、自分に必要なこと(それは多分サービスになっていないものとしてあるでしょう)を既知の世界の外に出て、世界の実際を自分で確かめながらみたしていくことが必要でしょう。それを実行するための教育などは必要なく、二人でも三人でも集まって自分の必要において世界を確かめていく場をつくって試行錯誤していくこと自体が、自分をして世界と直接やりとりする体に変えていくための必要なリハビリだと思います。