降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

畑と鹿

岩倉の畑にまた鹿が入ったと日曜日の夜に連絡がくる。

今日は9時に畑に集合して16時半まで柵を補強する作業をする。

 

今まではネットだけでカバーしようとしてきた。しかし、年々鹿のやることはエスカレートしてきて、前年はやらなかったことをやってくる。今回はとうとう金属製のメッシュの1m×2mの柵を購入し、畑の周りに張り巡らせ、その上にさらにネットをするかたちにした。

 

途中、畑の近所の方が話しかけてこられた。何でも猟友会の方で、引っかかって死んだ鹿をネットから切り離して処分してくれたという。鹿が倒れている写真も見せてくれた。

 

9日土曜の夜10時に鹿の暴れる声、死ぬ声が聞こえたという。鹿はネットに首を突っ込んだ状態で抜けなくなり、暴れ、3回転して首にネットが強く締まり、死んだそうだ。その方はまだあまり人のいない朝4時に鹿を持っていってくれたそうだ。

 

この辺りには10頭の鹿がいるとその方が言っていた。さすが猟友会の人は把握しているのだなと思った。銃はこの地域では使えないが、罠などは仕掛けているそうだ。

 


鹿には何度も何度も入られている。ひどくやられると惨めな気持ちになるものだ。やられるときは本当に容赦がない。鹿が死んで、可哀想だと思う気持ちもそんなにはない。

 

雨も2度ぐらい降ってくるなか、鹿が入らなければしなくていい作業をずっとしていた。この作業がなければ、午後から行きたいところもあったけれど、こっちの作業をやらないわけにはいかなかった。だが損したという気持ちもない。3、4人でずっと作業して、その時間はその時間でいい時間だったように思った。鹿に愛着もないが、別に怒りも湧かないなと思った。

 

金属メッシュの網とネットはきれいに張れた。ちょっと表面の葉の何枚が腐りかけていたキャベツを収穫し、腐った部分を取り除いた。思った以上に順調に育ったダイコンを1本もらい、勝手にいっぱい生えているツユクサを収穫した。ツユクサは味噌汁にも入れられるし、お浸しにして胡麻油をかけても美味しい。

 

今、やっぱり死ということが自分に影響していたと思う。鹿の死によって、自分の状態がまた移行している。唐突な死。人間ならネットを外せただろうが、首が入った鹿にはもうそういうことは無理なのだろう。生きものは遺伝子の前提にないものには一方的にやられる。

 

生の軽さ、脆さ。

 

柵づくりは死んだ鹿の弔いのようなものだったなと思う。

 

やっている時は別にそう思ってなかったが、ネットなんかにもう絡む鹿が出ないようにやっていたのだった。