降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

オールマイティ

オールマイティなモデルになろうとしてかかるコストの高さ。効率の悪さ。そしてなお矯正しきれない癖。歪み。 コストと時間をかけて作ったオールマイティさをもって、多人数に一斉にアプローチしてコストを回収するのが経済の理屈。 だが物ならともかく、人…

寝る前

寝る前にわりと毎度親のことが頭に浮かぶ。 両親とも一応元気だが、年はとっていくし、父は脳梗塞以来歩きにくくなっていて、熱など出ると自分でトイレに行けないらしい。 らしい、というのは姉から聞いた話しだから。 正月は帰るし、別に話さないわけではな…

リアリティをひっつける

話しの場では何がおこっているのか。 言葉を使うので、言葉が作用することをやっているんだろうと思うけど、言葉を使う以前に表現するということでもある。 表現一般とは何なのか、そういうことはわからないけれど、自分が自分に関心に基づいて確かめてきた…

話しの場

何かが始まるということは、何かが終わったということだ。始まりはその派生的、必然的な結果にすぎない。 何かが本当に終わる。 そのことをみたい。 話しの場での気づき。 言葉を一つ一つ、そのリアリティをなぞるように置いていく。 リアリティに少しでもか…

終わりない学びの場はつくれるか

話しの場の可能性、当事者研究、リフレクティングプロセスの場などを通して共に探りたい。 話しの場、エンカウンターグループにしても、傾聴やカウンセリングみたいなものにしても、治療者、聴き手、ファシリという役割がある。 その役割抜きに話しの場は成…

死を避ける生と死によって生きる生

誰かの描いた物語を生きる。 そこに寄る一体感と高揚、安心感は大きく、自分の望みとそれが同じであると信じたい気持ちは、小さく発信されている違和感を圧倒するには十分なのだろう。 ウィニコットは、幼児は母親を見ているのではなく、母親の瞳に映る自分…

生きること学ぶこと

なぜ今のようなことに関心を持ち、今のようなことをやっているのか。 書いたこともあったけど、2年半前なのでまたあらためて。 kurahate22.hatenablog.com そもそもは中学時代に始まったフラッシュバックがことのおこり。 いじめや嫌がらせをしてくる同級生…

聞いた話し 学びの場としての大地の再生講座

知識や技術の蓄積は副次的におこるもの、あるいは学びがおこる過程を整えるものとしてあると思う。 学びとは自己更新であり、その更新は認識や世界の体験の仕方自体を変えるものだ。学びとは出会いであり、それがおこったとき、人の感じ方、行動の仕方は変化…

当事者研究3/4 状況→反応→工夫→結果→では問題とは何か、のサイクル

土曜日の当事者研究の集まり。 大事にしたいことはまずは実用的なこと。なので、気のめぐりの改善ということをまず考える。 あることを困ったことと感じ、その困ったことが心中で不本意に大きくなってくると生きることに滞りや支障が出てくる。その際、いき…

エンパワメント 内在化したものを取り除く

学びは、まず生きものが持っている自律的な更新の働きに基づくものであると思う。自律的な更新の結果としておこることは、エンパワメントだ。だから学びの結果、エンパワメントがおこる。 それは試験後は忘れる丸暗記のような辛い作業をしていい結果が得られ…

身をひたす

人に直接働きかけることによって、直接的な効果を得るのではなくて、働きかけたり調整するものは場の設定だと思う。 豊かなものとは派生的なものだ。そして派生的なものは自律的であり、自己展開する。派生的なものが持続的であり、派生的なものを発生させ、…

手をつけてなかった自由

いかにも春という感じの草が庭にも生えてくる。 庭のミツバは去年の夏の干ばつで全滅したのか、芽は見当たらない。ミツバかと思った発芽はセロリだった。セロリも一旦タネが落ちれば野良生えを繰り返すタイプ。コリアンダーも出てきた。 畑では腹にたまるも…

話しの場 自給的学びの場

なぜ今の形の話しの場をやるのかと訊かれて、話しができる環境をつくっているからとこたえた。長いスパンで見たら環境を育てていく、つくっていくということが伴わないと結局自分の状態も停滞するのは個人的な感覚では明らかだから。 一般的には6人ぐらいの…