降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

最近は割と散歩をしはじめた。

 

自転車で行っていたところでも歩いていいかなと思う。「時間」という言葉をもって、感じ方が変わってきている。四国遍路をやって高知ぐらいまで行ったとき、歩くのは飽きたと思った。そのせいなのかどうかわからないが、四国遍路後はそんなに散歩をしなくなっていた。

 

自転車に乗ることが、自分を緊張を高めた状態にもっていく感じがある。といっても、ほんのわずかな感覚の違いなのだけれど。しかし、それが重要なのだということだろう。

 

てれてれと歩く。それで「時間」がめざましく進んでいるという感覚があるわけではないが、自転車にのって、用事を済まし、帰ったときと比べるならば、自転車のほうは自分の「時間」が止まったままで、移動して変わらないまま戻ったという感じがあるかもしれない。

 

道路など歩くと、際から出ている雑草がもう春の雑草だ。今一番寒いけれど、明るい色の雑草がもう春に向けて出てきている。

 

河原など、ぱっと見には枯れた草ばかりだけれど、西洋カラシナマスタード)などは外来種だからか、前からずっと青々としている。鴨川の菜の花は、ほぼカラシナだ。だから別に昔からの日本の風景でもないのだろう。

 

あと外来種といえば、クレソンがあちこちの川で大きくなっている。クレソンも青々としている。クレソンは原産はヨーロッパ、カラシナ南ヨーロッパとか地中海原産らしい。寒さに強いということなのか。この時期に周りのものよりぐっと大きくなるのが目につく。