降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

文化人類学研究科がなくなる

出身大学から文化人類学科と研究科がなくなる。僕も修士の時は文化人類学研究科にいた。

 

先週の土曜日はその18年を振り返る催しがあり、かつての教職員も含めて30人ほどの人がこじんまりと集まっていた。

 

文化人類学研究科では四国遍路における旅人のインタビュー調査をした。自分の探究したいことが探究できたと思っている。のびのびと好きなようにやらせてもらった。四国遍路とは変化を求める旅人にとってどういう媒体なのか、人はどういうふうに変化していくのか。ここで体験したことは現在の自分の基礎になっている。

 

そこを修了して15年ほどになる。自分は偏狭で、あの当時、ある人の指導の姿勢は間違っているのではと思って内心は腹を立てていた。院生の共同研究室でそのゼミ生の混乱ぶりをみて、生徒に動機や能力以上のことをさせて圧迫したところで、別にその人は研究の道に進むわけでもないのにと思っていた。ところがその人は10年働いた後で博士過程に入学したそうだ。

 

会場で、人類学の参与観察、調査は、「認識論だ」、「役に立たなければならないかと思っていたけれど、調査至上主義でいいのだと思うようになった」という言葉が一番印象に残った。

 

僕は、人の変化とは何か、それはどのようにおこるのかを探ってきて、やがて学びとは何かを問うようになった。当たり前になってしまった日常そして抑圧が、違う文化との出会いによって壊れ、新しい世界の見え方がやってくる。自分を壊すその出会い抜きに学びは語れないのではないだろうか。

 

未だにそういう出会い抜きに情報を蓄積してお作法通りで整理したようなことに自分の解釈を加えたことが「客観的」な事実で妥当なやり方、それ以外は全部認めない、みたいなことが幅をきかしている。

 

参与観察において調査者は、自分が外部の文化のものでありながら、内部の文化と関わりながら見えてくる世界を記述する。調査者が関わっているからそれは客観的でもないし、科学でもないというのは馬鹿馬鹿しい話しだ。むしろ厳密に考えるなら、調査の結果出てきたことというのは、繰り返し再現されることではなく、一回性のものなのだ。繰り返し再現されるというのが、厳密に考えたらありえないのに、それが「ある」とするほうが、頑なな信仰ではないだろうか。

 

どのように調査したかにより意識的であり、その調査のあり方によってこのような結果が出たというほうがむしろ信頼できる。人間に関して、完全に客観的な方法でやりましたから、出た結果もブレのない客観的真実です的なものの方が無視しているものが多すぎる。

 

調査とは「認識論だ」「調査至上主義でいいのだ」という言葉は、暴論ではなく、吟味に吟味を重ねられた上での言葉だと思う。調査者がもし自分が壊され変化するということを伴わずに調査して結果を整理していく時、そのまとめられたものは調査者の古い世界観をいつまでも底に敷いていると思う。

 

調査されたものは限定的なものであって、その限定性においてブレを持っている。そうでしかない。その時、調査することにより真摯に向き合うなら、出会いによって、古い自分を壊し、更新しながら関わりを深めていくしかない。出会い、そして応答していくということだ。

 

「役に立つこと」に閉じることは、既に知っているものの、当たり前にされて見えなくなっているものはそのままで、そこに従わされるということだ。