降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

常野雄次郎さんの追悼ブログ

常野雄次郎さんの追悼ブログに投稿させてもらった。

 

tsunelovelove.hatenablog.com

 

出会ったことがない人だったけれど、年も近い人で知って一週間で亡くなった人というのはいなかった。自分の状態が変わった。

 

自分が自分をどうこうするではなく、こういう外からの事態が自分の状態を移行させるなと思った。

 

 

 

偽のリアリティとしての左右対称

整体の稽古。

 

体の右と左は対称ではない。
対称とするのは、言ってみれば頭が作ったイメージであって、偽りのリアリティなのだろう。それに倣うことによって、流れている動きが止まる。

 

生きることは体を歪めることだと聞く。力の発揮は、どこかを歪めることによって生まれる。歪みという言葉がそもそもネガティブすぎるのだが、生きる力は、生きものの内部で設定されているバランスが崩れることに対する反発力なのであって、それは矯正して弱めるものではなく、生かすものなのだ。

 

自分のなかで確かめてきて、これはこういうことになっているはずと考えている仮説が、違う分野の人がその分野で確かめ吟味されてきたことと重なるのは嬉しい。

 

相手と手を合わしてその手を押したり引いたりするワークをする。動きが膠着すると、体を内観し、「左右が揃ってしまっているところ」を見つけ、その「揃い」をずらす。

 

「揃い」は頭のイメージによる統制であり、そこで力の流れが止まっている。僕の感覚では、割り箸が一本右と左を繋げているようなイメージだ。内観でそれに気づき、崩す。

 

左右の「揃い」を崩し、とることによって、「時間が流れる」とも表現されていて興味深かった。また「反対を作らない」とも言っていた。左右は別々のものだが、対称になる時、一方とその反対がある。

 

一方とその反対として物事を捉え、アプローチするとき、そこで起こることは膠着状態になりやすい。力と力がぶつかり合い、動きがとまる。

 

徳島県吉野川の人口ダム建設が動き出した時、姫野雅義さんたち市民は「反対派」になるのではなく、「疑問派」となり、正面からぶつかるのではなく、淡々と事実を確かめ、それを公表していき、その上で市民がダムを必要と認めるなら自分たちもそれに従うというスタンスを守った。

 

7人の釣り人から始まった運動は市民全体に広がり、国の公共工事が初めて市民によって止められた事例になった。

 

整体の稽古が面白いのは、力の流れというものがどのようになっているのか、それを自意識の干渉がどのように止めているのかを知ることができるところだなと思う。それは単に体だけのことにとどまらない。内観によって、膠着しているところを見つけ、捉え方を変えることによって、体も場も時間の流れを取り戻し、孤立を抜け出す。

健全な「殻」はあるか レオ・レオニ『せかいいちおおきなうち』

フリースクールわく星学校で殻をつくるという言葉を聞いた。僕は殻という言葉を今まで割と悪い文脈で使っていたが、自意識とそれが学習してきたものが殻なのであって、殻がないというのはあり得ないし、殻がないならそれは人格でもないだろう。

 

家というものは、シェルターであることがその核心であって、雨風だったり、近寄らせたくない生きものとか、安全が確認されてない人とか、そういうものを遮断する。遮断は重要な要素だが、それはバランスが崩れれば牢獄にもなりうるものだ。

 

レオ・レオニの絵本で世界一大きな家(殻)を手に入れたかたつむりが自滅する話しがある。大きく立派にした殻はコストも高く、もはや手に負えない。自分のコントロールの外に行ってしまう。その状態はあたかも殻それ自体が主体となり、自律的に自分を厚くしていくようだ。

 

 

  

せかいいちおおきなうち―りこうになったかたつむりのはなし

せかいいちおおきなうち―りこうになったかたつむりのはなし

 

 

では、殻はどのように位置づけたらいいのか。

 

物語において、心のないロボットが人間に関わりやりとりをしていくことによって、ある現実に入り組む多数の文脈を無視した機械的切り捨てを抑えるようになり、他者に対する配慮や優しさをみせるようになる話しがよくある。

 

自意識、殻とはロボットなのだと思う。そして物語における人間に該当するのが、体の感覚、他者と関わりあう自然なのではないかと思う。自分の内の自然(それは結局外に繋がっているけれど。)ともいえるかもしれない。自分の内なる感覚に自意識が応答していくことによって、自意識は自己疎外を補い、更新されていくことができる。

 

自分のうちの自然は、大抵求めることが自意識にとって面倒臭く、リスクが高いのだが、抑圧せず、応答していくことによって、自意識という殻は「呼吸する家」みたいに世界との関係の健全性を維持するのではないかと思う。自分の内の感覚に対して、応答性を持つことで、殻は不必要なものを適切に遮断し、自分を守りながら、世界に対して健全な関わりをもち、更新の機会を得ることができるのではと思う。

対話について 間接的に現れる第三者

対話ということは、単に言葉で話すことではなくて、むしろ言葉で話すというところだけに意識が向けられることによって技術とかコミュニケーション力みたいなところばかりイメージされるなら誤解や理解の後退が進んでいる場合さえあるように思える。

 

話しの場合の対話でも、そこで何がおこっているのかをみると、言葉やお互いの意図や意識からはみ出ている第三者というか、感じていなかった異質なものが人に入ってきて、それによって感じ方や考え方までが性質を変えられてしまい、影響を受けるように思える。

 

そういう意味では、対話という言葉の一般的な使い方はさておき、対話は「おこる」ことであって、対話自体を「する」ことはできないと思う。ただ対話という変容がおこりうる場を整えることはできる。

 

オープン・ダイアローグにおけるリフレクティング・プロセスは、場にいる人が一斉に話すのではなく、あるペアやグループが話しているときは、周りは口を挟まず、注視やうなずきなどを含めて干渉をしないという作法にのっとる。

 

規則で決められていて、自由じゃないじゃないかと思われるかもしれないが、放ったらかしの自由なんていうものに意義はないのだ。それはその場で一番強いものが周りを抑えて好き勝手するというだけの話し。それなら普段の状態があるだけで、わざわざ場をつくっている意味はない。

 

公平な場、自由な場というのは、事実上は放っておいたら好き放題して弱いものの動きを抑えてしまう強いものの好き勝手を「させない」ということによって成り立っている。だから強いものは普段通りできない。もし普段を当たり前と思っているならその場は不満だらけの堅苦しい場だ。

 

アットホーム感を大事にする喫茶店があえて入りにくい感じの入り口にしていたり、夜だけ営業するときにそうなってしまう客層を変えるために昼営業もして、昼の客層を夜の客層の干渉要素として使うというのも、求める自由さや「いい感じ」を維持するためだ。

 

大事にしたいことを大事にしない強いものが場を壊しながら好き勝手振る舞う蹂躙に対して、周到に工夫してなるべくこちらも直接的な強権を発動させずそれを抑える。それができるとき、人は尊厳や信頼が保証されている状態にいられる。

 

安心安全信頼尊厳が保証されたときに、いつもは牽制されていて出てこないもの、意識や意図からはみ出たもの、異質なものが現れ出てきて(それはときに「本当の気持ち」と表現されたりするかもしれないが)、場を変える。使う手法、場の持ち方は、あくまで作法に属するのであって、変容という出来事は主体同士ではなく、第三のものがおこすのだと思う。

 

ある作法にのっとったからといって、いつも人に必要なプロセスがおきる場を提供できるわけではない。あるプロセスがおこるには、それに必要な環境と適切なタイミング、度合い、かける時間がある。だからこそ様々な媒体や場所という多様性が必要だ。

 

もし人や自分に対して、必要なプロセスをおこす「対話」を提供できればと考えるなら、普段そのプロセスに対して抑圧的に働いていると思われる要素を取り除いたり抑えたりできる場をデザインする。普段その人を支配している抑圧的な秩序を抑え、それを打ち消す場を。逆にもし多くの場で、人が安心安全信頼尊厳を感じられるなら、話しの場に限らず、そこはどこでも「対話」がおこる場となるのだと思う。

不登校50年プロジェクト 駒崎亮太さんのインタビュー

不登校50年プロジェクト。駒崎さんのインタビュー。

 

futoko50.sblo.jp

 

日曜にフリースクールわく星学校に8人でいってお話しをうかがい、共に学びについて考える時間を持った。そこで聞いたことや思ったこととつながることが多かった。

 

教えるとは何だろうか? 僕も正直教育という言葉には疑念を持っていた。「学び」ならわかるが、教育・・?と。

 

会社で働く人は1年半行けば、少なくとも建前上は21日の有給休暇がもらえることが法で定められている。一方、大人に比べて未成熟な子どもは年間で30日以上学校を休むともう不登校扱いになり「問題のある人」になる。大人に比べ未成熟な子どもがたった年間30日休むことを異常とみなすのは人権侵害ではないかという指摘があった。僕もそれは真っ当な指摘だと思う。

 

この時代におけるフリースクールオルタナティブスクールの存在意義は、「教育する」ことのずっと以前に、不登校の定義の一例が示すように、暴力的な環境に晒されている子どもたちをまず「守っている」ことなのではと思う。

 

「自分で考えるのが大事だ」というときも、他人の考えを自分の考えとして使っていては仕方がない。その考えは自分なのか。

 

「自分はどう感じているのか」に意識を持ち、その感覚との応答関係を確立していくこと。それが自分を自分として育てられる基盤になる。その基盤がないところでは、表面上適応していても、自分というほどのものはできていない。自分の感覚に応答していくことは、大人になっていたとしてもできてなければ、本当に一から始めなければ育っていかないと思う。

 

駒崎さんのインタビューのなかで、「こんなこと許せない」「これはひどい」という感覚がなくなってきて、感覚的なところで投げやりというか、70年代半ばから80年代以降、倫理や価値観が劣化しているんじゃないかと思います。正義なんか関係ない。人々が、やさしさとか自由を追求しなくなった。」というところがあった。

 

これがどういうことなのか。また考えてみたい。

 

駒﨑 そうなんだよ。教えるというのが教育ですよね。でも、通信制は学ぶ場で、こちらが教えられないという感じがしたんです。でも、それがよかった。

栗田 それで、「先生、教えないで、私、学びたいの」という文章を書くことになるわけですね(『世界』1989年5月号/岩波書店)。

駒﨑 そう、そうなんだよね。レポートを書いてくるなかで、「教えられないで自分で学ぶチャンスができてよかった」とか、「何も与えられなくて、教えられないなかで、学ぶことに気づいた」とか、そういう声をもらってね。そうだったのか、と。「なんだよレポートぐらいで気づいてくれるのかよ」って思ったけど、それはうれしかったね。

山下 上から教え込まれなくなること自体が、子どもにとって大事なことだったわけですね。

駒﨑 もつれた釣り糸を引っぱっても、かえって絡まるじゃない。ほぐすにはゆるめないといけない。そういう感じかな。
 通信制での経験は、2回目の生まれ直しだったかもしれないですね。1回目は洲本高校での経験。僕自身は、自分の中学高校で、勉強が苦痛だとかイヤだということはなかったんですよね。教えられることそのものがイヤだというのは、通信制に来て、わかったことでした。

駒﨑 だんだんね。80年代前半までは、学校の管理がイヤだとか、権力に反発するとか、そういう問題の延長で考えていたんだよね。管理教育が問題だと思ってたわけです。それが、だんだん教育そのものを問うようになっていったんです。80年代後半からかな。教育のあり方を、通信制の学びのあり方とあわせて考え直していったんです。

山下 教えることが成り立たないという感覚と、不登校の子どもと接する感覚は、通じるものがありますでしょうか。

駒﨑 そうだね。それまでは、ツッパッているヤツと、生徒会やっているヤツは、すごい仲良かったの。誰かが教員と対立したら、わっと立ち上がって、処分や体罰に対してみんなで守るという感じがあった。それが70年代前半ごろまでの雰囲気でした。僕は、自分で言うのも何だけど、両方の生徒から受けていたからね。いっしょになって、学校の管理とか権力に抵抗していた。それが74~75年ごろから、だんだん変わっていくんだよね。ツッパッている子と、生徒会をしてたり進学する子とが分断して、交流がなくなっていく。

駒﨑 あのころは、おもしろかったんだよな。通信制の子も4~5人、活動してました。でも、そういう感じじゃない子が来始めたわけです。学校でひどい目に遭ったからとか、そういう感じじゃない子が集まりだした。

山下 ハッキリと敵が見えていて、それに対して運動する、連帯するというのではなくて、自分でもよくわからない苦しさがあって、どうしていいかわからない。もやっとした苦しさがある。そういう「よくわからない感じ」が、だんだん広がっていった……。
 そういうなかで、先ほどおっしゃった「学校の軽量化」とか、脱学校論みたいなものも、だんだん通じなくなっていく感じはありましたでしょうか。

駒﨑 う~ん、難しいところですね。

山下 私もフリースクールに関わっていて、同じような難しさを感じるところがあったんですね。かつては共有できていたものが、だんだん通じなくなっていく感じというか。そのあたりは、なぜなんだろうと思っているのですが。

駒﨑 70年代の大学闘争がアウトになったあと、どうも日本全体の倫理のレベルが下がった気がするんだよね。他人の状況がどうだろうと関係ない。自分のことじゃなくても、これは何とかしないといけないと思って動くようなことがなくなっていますよね。社会問題で、「こんなこと許せない」「これはひどい」という感覚がなくなってきて、感覚的なところで投げやりというか、70年代半ばから80年代以降、倫理や価値観が劣化しているんじゃないかと思います。正義なんか関係ない。人々が、やさしさとか自由を追求しなくなった。
 学校の状況もひどくなっているでしょう。その背景を考えていくと、そのあたりから始まっているような気がします。脱学校というより、みんな脱力してしまっている。こういう状況だと、どこに手を打てばいいのか、正直に言えば、わからないですね……。

 

当事者研究 最近のふりかえり

3月に常野雄次郎さんの死去があって以来、感じ方が変わっている。

 

端的にいえば、つまらないことがよりつまらなくなった。時間つぶしが時間つぶしにならない。といってもそうはすぐ習慣は変わらない。できることとして、整理してみよう。

 

より密度の濃いことをやる。そうしないと酸素が足りない。そんな感じだ。

 

これがマシになる可能性を見つけたのは、性的マイノリティの人たちとの関わりだ。その人たちはもちろん性的マイノリティの問題を活動にもしているのだが、それ以外の分野でも活動している。

 

僕は自分が属するカテゴリーとして、農とかオーガニックとか、自然とか、そういうふうに見られる時もあるが、そこはあわない。作物の育て方にものすごく関心があるとか、あれもこれも育ててみたいとか、ない。健康にすごく関心があるわけでもない。自然とかいうと、子どもを持って、みたいな話しになるのも面倒臭い。

 

自然に性的マイノリティに生まれたり、障害を持って生まれたりするのだから、それも自然だろう。性的違和感があって、手術して性別を変えた人のドキュメンタリーをみた。その人はもし手術してなかったら自分は死んでいただろうと述べていた。晴れ晴れとしていた。

 

多くの人と共通する物語からはじかれ、打ち捨てられた個人にとって、種を保存することに何の意味があるだろうか。

 

こうあるべきということはない。それはどういうことか。

 

「普通」とか、あるべき姿、あるべき生き方を人は押しつけられる。意味をおしつけられる。だが生は不条理でコントロールできない。そんな意味などに従ってはいられない。そして人は自分が規定されている意味から逸脱しようとするものだ。

 

文化とは、それまでの放ったらかしのままにされている状態ではあり得なかった可能性を現実化させようとしたものだと思う。ほったらかしのままの状態は耐えきれなかった。それが人間だろう。このようではない、別の可能性を求めてきた。そうでしかなかったものをそうでなくすること。ここから逸脱すること。ここから抜け出た先に見える別様の世界の風景を見ること。

 

人間はそれをしてきたと思っている。というか、生きもの自体がそうしてきたと思っている。海から陸、陸から空へと。粛々と、唯々諾々と「自然」に従ってなどいない。この決まったようにみえる状況に対する反逆をする。それが生きるということではないのか。

 

話しは戻るが、性的マイノリティの人たちは、多くの人が気づかず従っている「そうあるべき姿」では生きられない人たちだ。人が生きることに、生殖とか関係ない。生きるためにある程度強いことが必要だ。しかし優しくなければそもそも生は生きるほどの価値はない。優しさとは、意味という有用性の評価を人に持ち込むことだ。

 

このサバイバルの世界で人として生きるとは、意味という有用性を打ち消した感覚を感じることだ。その時、人は自分に閉じ込められ、固着していた状況から抜け出ることができる。

 

僕が知るもっとも優しい人たちは、人らしい人たちは、そんなにどこの人も知っているわけではないが、身の回りの性的マイノリティの人たちだ。どんな活動を共にできるか。

 

基本的には哲学対話(哲学カフェ)をやって行けたらいいのではと思っている。「人とは何か」、「人を大切にするとは何か」、「一人であることは足りないことか」、「差別するとはどういうことか」そういうことを対話していく。テーマを性問題にしぼる必要はないだろうと思う。より普遍的な水準にテーマを設定すれば、個々の分野に縛られることはないだろう。むしろ分野に狭めてしまうことによって広がりがなくなってしまう。

 

とりあえず、テーマを決めて、哲学カフェの日程を決めて、進めていこうかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本の作成番外 使う用語の説明

先の投稿でざっくりした考えを書いてみたが、なかなか今まで書いた細かいところを拾ってまとめるのが難しいなと思った。できるならそこを拾って全体を構成したい。

 

一つの要点は自意識をどう位置づけ、取り扱うか。僕の考えでは、自意識は言葉(リアリティをもたらすもの)と結びついて、体に戒厳令を敷くように強制的に主体になっている。だがもちろん完全にコントロールしているわけではなくて、体はそのコントロールを常に抜けて勝手なことしようとする。

 

もう一度簡単に各項目を言葉にしてみる。

 

生きること→生きものは主体的に生きているというより、死に切れなさ(バランスが崩れると苦しみが訪れるのでそれを取り戻そうとせざるを得ない)によって強制されて動いている。よってそこからの逸脱を求めていると考えている。

 

生きる力→苦しみ(設定されているバランスの崩れ)に対する強い反発の力。統合され、生産的な意図を持った力になる場合もあるが、部分的で破綻的な力にもなる。人の「自己実現」なども、言葉を持つことによる根源的な苦しみの発生に対する反発の力と考えている。

 

根源的な苦しみ→言葉を持つことによって、世界との一体性から分離し、分離前の状態から比べるなら、惨めで屈辱的で限界的な存在として自意識(自分)があらわれる。その言葉による規定は自覚できる範囲をこえて深く構造化されている。個人の生きることは、自覚されていないその深く構造化されている自己規定への反発、乗り越えに動機づけられている。このことは、ローザ・パークスの反逆的行動のように、全体に従い、ならうだけの存在であることを超えられるということも同時に意味している。これは個が個的にしか生きられないということの肯定的な意義でもあるだろう。


自意識→言葉によって構成され感じられるわたし。世界との一体性への強いノスタルジーをもち、それをステータス、モノ、恋愛など代替的なもので満たそうとする。言葉はリアリティを持っていて、体をその擬似的なリアリティで強制的に操作できる。だが支配と強制をやりすぎると反動がきて依存症や精神症状などが現れる。自意識による秩序は固定的で、時を止めるということによって支配がされている。治癒の場、回復の場、学びの場などでは、強迫の打ち消しによって時間の流れを戻し、体の自律的なプロセスを回復させ、秩序体制を更新することが意図されている。

人→「人と人」や「人として」などという場合は生物としての人間をささない。それは文化としての人をさす。人とは、あらゆる有用性(強迫)のリアリティを打ち消す場を発生させる存在をさすもの。常にそういう存在であることは無理で、あくまでもその場その場において、必要な有用性の強迫を打ち消すことができたかどうか、結果的にそこで何かの変化をおこしたかどうかが、人であったかどうかの判断基準になるだろう。なろうとしてなるものというよりは、そういう場の発生は出来事であり、事態である。ただ強迫の打ち消し自体はある程度意図してできるものでもある。