降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

これまでの経緯 このブログについて

このブログ、新しく読みはじめてくれる人もいるようなので、年に1度ぐらい、このブログで書いていることが何を問題にして、どこに焦点を持っているのかを書こうと思う。

書き始めた三年ぐらい前と同じく、僕は週に1度か2度夜勤のバイトをしながら、それ以外の時間は自給のための畑と当事者研究など、話しの会をしたり、学びの場を数人で巡っていくことをしている。

 

そうするのは、自分、あるいはこのような社会における自分のような人間がどう生きていけるのか、そのありようを考えているからだ。この社会で自分が生きていくサバイバルの方法を探り、見つけたことを実践して、充実して生きられる環境を作り出し、整えようとしている。

 

サバイバルは、二つある。一つは身体の維持としてのサバイバル。もう一つは自分が自分としてあるためのサバイバル。僕はこの二つをあわせてサバイバルだと思っている。自分がすり減っていくのなら意義は感じない。むしろこの世界の中で逆に回復し、生きていくあり方を探っている。

 

僕は、週に5日フルタイムで働いてやっていけるようなタイプではない。緊張もストレスも強いし、だいたい何をやらしても人より遅いし、周りと価値観も違う。僕は裕福になって結婚して家庭を持ってというようなイメージに希望や救いが感じられない。自分が充実と感じることは何なのか。何を動機に生きていけるのか。それを確かめ、近づいていくことを生きる軸にしている。

中二ぐらいの時にいじめを受け、そのうち特に執拗に絡んでくるクラスメートに強い軽蔑や嫌悪、憎しみを持っていたのだけれど、ある時、彼の性質を自分も持っているのではないかと気づいた。なぜかそれはもう否定することもできなかった。それから彼への軽蔑や嫌悪、憎しみは全て自分に向かってきた。フラッシュバックのように、電撃のように急にやってきた。自分が世界で一番最悪で気持ち悪い人間だというそのリアリティは、強い混乱と耐えきれなさがあった。

それからはそれをどう軽減するかが自分の関心事になった。そして結局それが自分の生きる軸を決定したと思う。フラッシュバック自体は7、8年も経てばそんなに圧倒的なものではなくなったけれど、そこには何を軸にやっていけるかまるでわからない、何でもないただ無能で弱くどうしようもない自分が残っていただけだった。どう生きていけばいいのかまるでわからなかった。

 

東京の予備校に行っていた時、講師たちは面白かった。今まで見てきた学校の教師とは違い、本当に自分の専門が好きで、そしてそれを伝えることを喜びとしていると思った。だから塾の講師みたいになろうかと大学三回生ごろに就職活動もしてみたが、面接に落ちてもショックも受けず、結局やりたい気がないのだと気づき、就職活動もやめる。

 

大学は臨床心理学科に行っていて、心理カウンセリングの勉強をしていたが、自分が人を治療する気は全くなく、あくまで自分が回復していくヒントを得ようとしていた。学外のワークショップなどの情報があれば、参加できるものは全て参加しようとしていた。エンカウンターグループに行ったり、内観療法に行ったり、トランスパーソナル心理学のワークショップなどにも行ったりしていた。

大学の講師たちはだいたい臨床心理士だった。カウンセラーならどう考え、どう動いたり、話したりするのかを見ていたが、割と社会不適応そうな人とか緊張が強そうな人がいて、心理学を勉強したりカウンセラーになったからといって、自分の状態がそんなに変わるわけでもなさそうに思えた。

演劇部に所属していて、大学も私生活も同回生の部員と一緒の時間を過ごすことが多かった。自分の変化には、心理学の知識の蓄積よりも、そちらの方が効いていた。勝手に元気になり、さしたることではないけれども、今までできなかったことができるようになったりした。これは発見だった。

心理学科に属するうちに、カウンセリングに疑問を持ち始めた。カウンセリングは、いってしまえば社会の歯車に戻せばそれでいいわけだ。しかし、その人が病や不適応の状態になったのは、そもそも社会の歪みが問題ではないのか。また結局臨床心理学がカウンセリングという一技法以外のところにはそんなに目を向けてないと思うようになった。「心の専門家」とは害があるほど言い過ぎで、せめて心の病や心理要因の不適応の専門家ぐらいにとどめるのが妥当だと思う。

 

そのことを実感したのが映像作家の坂上香さんが大学に講師としてきた時だった。坂上さんは、臨床心理学科ではなく、文化人類学科か、現代社会学科の講師としてきていたが、犯罪被害者と加害者が対話によってお互いに人間として回復していく取り組みをリサーチされたり、終身刑の囚人がセルフグループを作り回復していく姿を映像作品にしていた。

 

 

癒しと和解への旅―犯罪被害者と死刑囚の家族たち

癒しと和解への旅―犯罪被害者と死刑囚の家族たち

 

 

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僕は、坂上さんのやっていることこそ、自分の知りたいことだと思ったし、重要なことであると思った。「心の専門家」やそれを目指す学生なら誰もが関心を持つようなことだろうと思った。ところが、坂上さんに関心を持ってそれをもっと学ぶ場を作ろうなどいう動きは大学内では感じられなかった。言われたら興味深いけれど、まるで別領域の話し、カウンセンリングとは違うよね、とでもいうような周りの関心の低さがあった。

 

結局一技法としてのカウンセリングしか関心がないのだなと思った。専門家と患者の枠組みで自分は当事者ではなく専門家、治療者だと。お互いただの人として回復し変化していくなんて関心を持っていないのだと思った。

臨床心理学、カウンセリングの世界にはもうそれほど期待せず、周辺領域を探るようになった。別の枠組みを探るようになった。臨床心理士のなかには、カウンセリングの限界性を感じ、プレイバックシアターのような「治療」ではない演劇に可能性を見出す人、キャンプのような自然を通して人と人とが関わり回復していく取り組みを実践し始める人もいた。しかし、それらの人はもはや傍流で、関心は払われてなかった。

 

僕は、むしろ傍流の人たちのほうに可能性をみた。「治療」という枠組み自体が、実は変化を停滞させていることにも意識を持つようになった。「治療」ではない枠組みとは何か。どのような枠組みであれば、人は自然に回復をおこしていくのか。

 

40日をかけて、四国八十八ヶ所を歩いてめぐった。40日をかけたこの旅が自分に与えた変化は大きかった。なぜそうなるのか。臨床心理学は出て、文化人類学として関わろうと思い、人類学の修士課程に入った。フィールドに赴き、インタビューを続けるなかで、人間は適切な環境があり、適切な媒体があれば、自律的に必要な変化に向かうことが実感された。必ず治療者が必要なわけでもない。「治そう」とする関わりには、それ自体に制限があり、副作用もある。


四国遍路にはそれがない。治療者と相対しているわけではなく、道中の人と同じ立場の人間として出会っていく。「治療者」や技法としての「カウンセリング」の制限や副作用抜きに人が自分に必要な変化をおこす。自分が重要視する部分において、カウンセリングが下の上ぐらいなら、四国遍路は中か上だと思った。

 

必要なのは、個人の専門的アプローチではなく、人が勝手に回復をおこす場の設定なのではないか。場づくりに関心をもち、米づくりを介した場づくりや、鹿肉を料理するワークショップなど、色々してみた。興味深いことはおこったが、自分に充実が薄かった。人と人を出会わせたけれど、自分はあまり変わっていってなかった。イベント疲れしていった。

 

行き詰まりを開いたのが、自給という考えだった。京大農学部の近くで、自分の田んぼと畑で採れたものを定食にしている人がいるときき、行ってみた。話しが面白かった。これだと思った。そのオーナー、糸川勉さんは市場や政治に支配される農業に絶望し、模索した結果、自給という地点にたどり着いた。必要なものを自分で満たすことは、サバイバルであり、自分をより力づけていくエンパワメントであるのだ。

糸川さんに学んだ。自分たちの企画を考え、糸川さんを講師に招き、糸川さんが考案した自給農法と自給の哲学を学んだ。自給的思想は現在の僕の中核としてある。自給とは、すり減っていくサバイバルではなく、生きることを自分でデザインし、力を得ていくエンパワメントである。金銭収入を全ての軸とする農業だから苦しい。自給というスタンス、自給という規模なら、自由と元気がやってくる。

 

 


【地域公共人材図鑑】糸川勉さん1

 

現在の自分に生業を成り立たせる能力が直ちになくても、ずっと自分をエンパワメントをしていくあり方を探る。達成するポイントに立ってから物事が始まるのではなく、初動から自分が充実することを選ぶ。またそれが成り立つ環境設定を整えていく。それをずっと続けていけばいい。

 

野菜(食)を自給することは、誰かの都合に合わせなければお金をもらえない=生きていけない世界から抜け出る大きな基盤になる。だがまだ必要なものがある。それは学び、自己更新する環境の自給だ。人間の変化とは、つまり感覚の変化、認識の変化、それによる行動の変化だ。

 

僕にとってかつて「治療」と呼ばれていたものは、「学び」という呼ばれかたに変わった。その本質は同じだというのが僕の今の認識だ。自己更新の機会を奪われることやその停滞が病やさらなる不適応をおこす。しかし、自己更新が自律的におこる環境(僕はそれを文化がある環境と呼ぶが)があれば、人はエンパワメントされ、より自分を生きるようになる。自分の軸に従った活動は疲弊ではなく活力をもたらす。

学びという自己更新がもたらされる環境はどのように作り出され、育てていけるのか。それが自分の関心の焦点だ。それを探求し、実際に近づいていくことが、自分のサバイバルであり、エンパワメントであり、充実だ。

生きる力とは、反発し湧き出てくる力、押し返す力だと思う。アドラーは、過補償という概念を出しているが、目が見えなくなるとより音が聞こえるようになるように、生体には危機に対して強く補おうとする力が自意識を超えて働く。その力は、現状を維持させるだけに止まらず、現状を抜本的に変えるほどの大きな力をもつ。この力を使う。

 

些細な苦しみではなく、自分の最も根源的な苦しみは何かと探る。自分は無自覚であっても、この根源的な苦しみや弱さを乗り越えようと動機づけられている。この動機に従うことは充実と感じられる。この動機は例えばローザ・パークスが非難され迫害されながらもなおバス・ボイコットという反逆を貫き通したように、立ち向かう力にもなる。ただこの動機は自意識で選ぶことができない。すでにあるものに繋がることができるだけだ。

 

生きている限り、自分には尽きることなく与えられるエネルギーの源泉がある。それは根源的苦しみに対する生体としての反発の力だ。この力をサバイバルとエンパワメントに生かすことができる。

自意識には保守性がある。自意識とは過去の記憶だ。そして脅かされると北風と太陽の寓話のように、なおそこに留まろうとする。自意識が成長や変化を求めるというのは全くの誤りであり、勘違いだ。自意識は防衛機制であり、動こうとしているものを止めることが主な能力なのだ。能動的なものは自律的なものそれ自体であり、自意識は受動的で防衛的なものでしかありえない。

自意識が「治療されなければ」「回復しなければ」「もっと〜のようにあらねば」というようにコントロールしようとするほど、実際には抑圧は強まり、かえって求める状態は遠のく。変化は自律的なものによっておこる。自律的なものが動きだし、自分でも思いもしなかったことをついやってしまったり、いってしまったりする状態にするにはどういう設定や環境が必要だろうか。それが問うべき問いだ。

 

自意識の強制停止が弱まり、自律的なものが動き出しやすい環境とはどんなものだろうか。それは、人として尊厳が提供され、場に安心と信頼が満ちている場所だ。それは当然のように「治療」的な場所であり、学びに適した場所である。


学びは派生的にコミュニティを生む。そのコミュニティは人数とか地域とかいう物理的枠組みではなく、関係性の質のことだ。お互いが尊厳を提供しあい、お互いの自律性の自然な展開をサポートしたいという関係性がある時、そこは学びが促進される環境となる。学びは、生命のような自律的展開構造をもっている。学びに適した環境が人を変え、変えられた人がまた環境を育てるという循環がおきる状態を整え、維持する時、学びの空間は自律的に広がり、育っていく。

フラッシュバックは、その苦しみの軽減の求めから、変化とは何かを探究する軸になった。変化は、「治療」すらも意識しない場所で最もスムーズに、自律的に展開するという気づきをえたことで、場づくりや環境設定に向かいだした。自給の哲学にふれ、エンパワメントという考えをもった。エンパワメントを持続的にすすめることは、つまり自己更新を重ねることであり、それは学びの環境を整えることであると捉えるようになった。

自意識の緊急停止的な傾向を弱め、自律的なものが自然と動き出す環境設定。このブログで書かれていることの焦点はここにあって、今の現在の僕の活動もそれを探究し、確かめ、近づき、そのものになっていくことにある。しかし、「到達」を価値とすると途端に自意識に緊張と抑圧がかかってくる。「到達」や「達成」ではなく、過程を充実させればそれでいい。「結果」は派生的に生まれてくるものであり、自意識ではコントロールできない。死ぬときはどうやっても死ぬし、それはコントロールできない。だから1秒1秒いい状態であることの工夫を考える。それが派生的に次を導く。

自給ということ

昨日、畑にニンジンをまきに行った。
だが通路の草が伸びていたので気になり、そちらを先に刈った。

ニンジンをまかなければと思いながら、草結構あるな、やらねばと思って少し焦燥する心持ちになった。

 

その時ふと、自分の外部にある畑をやらなければいけないと思っているが、実際には自分の気持ちを整えているのだと思った。草が気になるから草を刈る。野菜が欲しいからタネをまく。畑をやるというと自分の外のことのようだが、自分の気持ちを整えているだけだ。

ニンジンをやらなければ、と焦燥するのは気持ちの整えとは逆方向だ。気持ちを整えるためにやっているのに、とんだ本末転倒だなと思った。少しでも整えることをやっていくだけだ。できないことはできないのだから、自分の外の条件を基準にするのではなく、気持ちの方を基準にしようと思った。

音楽家の野村誠さんの30センチ理論が一年前ぐらいの京都新聞に紹介されていた。部屋を全部片付けようとするとやる気がおきず、無理にやろうとしてできなかったら挫折感がある。そこでどんな時も30cm四方だけ綺麗にすると野村さんは設定した。

 

すると、どんなしんどい時でも30cmはできる。さらには30cmだけできたら、もうちょっとやりたくなる場合も多い。結果として部屋は綺麗に片付くようになっていった。


気持ちの運用だ。整えると満足感があり、やりたいことが出てきて弾みがつく。ここでまたやりすぎると燃え尽きるのだが、完璧にやろうとか、アタマの囁きにそそのかされず、気持ちと程よくつき合う。一口で食べれることをやる。タスクを一口サイズにまで細かくしてやる。するとできる。この繰り返しは有効だろう。

アタマはすぐ全部とか、完璧とか、一口サイズ以上のものを設定して高揚しようとする。その傾向に注意深く。色気を出さない。

アタマとの付き合いとは、言葉との付き合いだと思う。全部とか、1週間とか、そういう過剰な概念。それに負けてしまう。踏破は存在しなくて、一歩一歩だけがあるのだ。


大地の再生講座の考え方で日々をみたらどうなるだろうかとやってみている。大地の再生講座では、空気や水の流れなど自律的に動き循環するものを利用する。人間が全部やってしまわない。空気や水の流れは何度でも循環し、その循環がまた地形を変える。だから、人間はその循環がより進むように少し手助けする。すると循環が仕事をやってくれる。

 

空気の流れを作るために、移植ゴテで2cmの深さの溝を掘る。それだけでいい。2cmの溝でもそこに空気と水の流れがおきるので、1週間後のその溝の土は気の通りがよくなり柔らかくなっている。柔らかくなれば、また少し手助けする。この繰り返しにおいては、自然の力の方が多く仕事をしてくれる。楽しみでもある。

 

自意識が全部やるというのは、その見方をした瞬間に高揚するが、それで終わる。その高揚では持たない。ドラッグのように後でその高揚の代償として疲弊がくる。やる気がなくなる。エネルギーの浪費になる。エネルギーは運用するものであり、生きているとはそういうことだと思う。車にガソリンを入れるような感じではない。ガソリンの分だけ走って終わりというあり方では疲弊がやってくる。運用でなければ割に合わない。

 

気持ちの整えを自給しようと考える。食べ物の自給も結局は心持ちの整えだと思う。よって心持ちの整えをすすめていくことが自給の目的であるだろう。

現在は完治しているが、思春期にハンセン病を患った女性が施設の外のどら焼き屋で働こうしようとする河瀬直美監督の映画「あん」を友人にかしてもらってみた。

 

世間の無理解は、結局彼女を働けなくした。何かのマイノリティが自分の生存中に世間は変わらない場合も多いだろう。だから心持ちの整えを、社会変革の達成によって得ようとするのは妥当な設定ではないと思う。社会変革的なことも視野にいれるが、たとえ社会が変わらなくても心持ちの整えがすすむことをやっていく。僕はそれが心のサバイバルだと思っている。

今やっている当事者研究の集まりのようなお話し会やちいさな催しは、具体的に感じられる自分の周りの環境を変え、育てながら、心持ちの整えをすすめていく手段であり、同時にそれは目的でもある。

自分の外に目標を設定しても、外のものは結局自分の裁量の外にある。どんなに作物作りが上手くなっても、土地の所有やら天気やら、自分の体調やらが関わってくれば、できないものはできない。だが自分の心持ちの整えならいついかなる時にもやっていけるのだ。

 

それはマイナスになったものをその度にゼロに戻すようなことではない。心持ちの整えは、心の更新をおこす。その更新がおこるとき、世界はまた新しく体験される。その更新は、整えの作業に対して割に合うものなのだ。

当事者研究のスタイル

自分たちでやっている当事者研究、ベースのスタイルは、大体以下のようになってきました。


流れとしては、

1.今日の気分・体調
2.ここ2週間が自分にとってどういう2週間だったか(ふりかえり)
3.自分の苦労とは何だろうか。(繰り返す苦労など)
4.苦労に名前をつける。(苦労のメカニズム・パターン)

 

1は「実際に感じて探る」ということによって、頭の同じ思考がいつもどおりに巡って同じ結論をだすというモードを少し移行させています。探る感覚、探るモード、実際の自分の状態を感じることで心の状態は自律的に整いに向かいます。整いの状態に近いほど、発見があり、観察や洞察が生まれやすいようです。

 


2のふりかえりにも整えの意味があります。自分にとってどういう時間だったかという問いから生まれる吟味によって、バラバラだった経験を整理し、そこから見えてくるものがでてきます。

 

単に事実の羅列ではなく、その事実が自分にとってどうだったかと吟味することが重要だと考えています。吟味されないままあることが思考する際の材料になっていることが余計な混乱や堂々巡りを呼びます。思考の堂々巡りのシフトは、その思考の基準となっている事実や認識は本当に妥当なのかという吟味によって行えると考えています。

 

思うのですが、思考を算数の式でたとえてみると、例えばAかけるBはいつもABになります。思考する人は、思考することによって、ABではない答えを見つけようとしているつもりですが、その答えは何度やってもABから変わりません。そうではなく、掛け算されているの要素は、本当にAやBなのか?という吟味が重要だと思います。そして仮にAのほうが妥当であっても、そこに掛けられている要素は本当にBなのだろうか?という吟味。吟味してみれば、本当はA×Bではなく、C×Dであるかもしれません。

 

3や4も、自分にとってはどうだろうかという吟味を行い、バラバラな経験をバラバラなまま放っておかず、少しでも近いまとまりにすることによって、堂々巡りが変わっていきます。いきなり核心をついたところに行き着くことが素晴らしいのではなくて、わからないと吟味をはじめから放棄してしまわず、少しでも吟味を加えることが堂々巡り状態をずらし、スライドさせます。ちょっとでも吟味することが状態を移行させていきます。吟味には全く無駄はなく、少しだけでもやったぶんだけ変わりますし、100回の同じ思考から同じ結論を導くよりもとても省エネです。

 

吟味しようと意識しなくても、苦労を名前としてまとめるというその作業が自動的に吟味となっています。単ににらめっこしたり、ああだこうだと考えてみるけれど、100パーセントの納得に届かないからといって、まとめを放棄するより、少しでも近いものを持ってくるとそこが基準になって後々よりフィットするものが見つかっていくと思います。

 

1〜4に加えて、メカニズムやパターンを図にしてみたり、実験的に負の強迫観念(べてるではお客さんと呼ばれるようですが「こんなことしたら変に思われないかな」とか自分の自然な気持ちの発露や行動への展開を妨害するような自分の思考です。)をプロフィールやをつけて人にしてみたり物語にしてみたりなどもやってみています。

 

負の強迫観念に対し、正の強迫観念というものもあるようで、例えば自由がいいとか、柔軟であることがいいとか、美しいことがいいとか、気の利くのがいいとか、特に問題視せず思っていることが自分を卑下したり、やっぱりだめだという状態を繰り返しもたらすことに繋がったりしていることもあるようです。自由がいい=自由でないのはダメだ、という風になってしまう。

 

本当に自由がいいのか。その自分が思っている自由とは何なのか。苦しめられるほどのものなのか。このようなテーマが現れた時は、哲学カフェ的に、「自由とは何か」というようにテーマ自体を吟味するのも有効かなと思っています。何かがただ「いいもの」として認識されている時は、強迫になってしまっているときが多いようです。「自由」や「美しさ」などは一回それ自体をテーマにあげてやってみていいかなと思っています。

稽古のレポート

身体教育研究所の稽古にいってきました。まず一つは身体イメージを実際に実感される内観的身体に構成し直すということをやっているようです。

 


身体イメージはいわゆる解剖学的な身体イメージです。通常はその後天的に目で見て取り入れたイメージをリアルだと錯覚し、それゆえに無理が出たり、パフォーマンスが落ちる。

 

実感される身体をどう捉え直すか。手首と腕と胴体は連続して繋がっています。ではどこからが胴体でどこからが腕になるのか、手のひらや手刀で触れてもらい、その境界を探って行きます。

 

結果、腕と認識されるのは肩よりは15cmぐらい下であり、手首と腕の境界線は解剖学的な手首よりやはり親指一本弱ぐらい腕寄りです。実感のレベルと解剖学的なイメージとでは、体の部位の範囲が違うのです。

 

実感のレベル、境界を意識して体を動かすといつも通り動かす時と違い、力強さや安定が現れます。

 

実感のレベルで境界線を意識するワークの他に、腕に力をこめてみて、力を込められる部分と二の腕など力を込めてもなお緊張しきらない部分の境界を確認するワークをしました。

 

その境界を意識することによって、結果的に自意識でのコントロールを相殺することになります。意識しているのに、自意識のコントロールから外れた自然の状態になる。型というのは自意識のコントロールを打ち消すためにあると後で指導の角南さんも言われていました。

 

実感の境界、意識でコントロールできる部分とできない部分の境界など、境界の把握がポイントになるようです。角南さんなどは内観的身体が今やデフォルトとなっているので、かえって一般の人の身体イメージで動くのが難しくなったと笑われていましたが、単に自分の体だけでなく、相手の身体の境界がどこか、触ったら感じ取れるようです。角南さんがここだねと触ってくれる部分を基準に動かすとお手本で提示された状態が再現できました。

 

触れるということは、感応するということであり、整体ではどのように人やモノに触れられるかということを追究しているそうです。自意識の機械的なコントロール上では感応の感覚も消えているようです。

 

自意識が支配している状態では世界と感応的な関わりを持てないが、実感に基づく内観的身体へ移行し、コントロールできる領域とできない領域の境界に焦点を当てることによって自意識のコントロールを無化する。すると自分も安定するし、自然と世界と感応する状態も現れる。腑に落ちる考えです。

 

人間は自意識を使い、体を動かし、文化も作ってきましたが、その自意識によって同時に自分自身の自然な状態と世界との感応が疎外される。その自意識の弊害を自意識がまたとるということですね。自意識の弊害をキャンセルするということで、整体でやっているのは自意識の取り扱い方を学んでいくということとも言えるのかなと思いました。

過大な課題 「成長」から「培い」へ

イリイチフレイレの対話の翻訳者の方と偶然お会いする。
 
その方はフレイレの著作の中で多用される「意識化」という言葉に抵抗を感じていって非言語や身体の方へ向かったそう。
 
確かに、西洋近代が拡張してきた資本主義社会の文脈において抑圧される側である一個人、一労働者としての自分を知り、運動していくことによって自らの状況を変えていくサバイバルの意義はもはや否定できないものであると思う。
 
一方で、個々の自意識がより意識化し、より獲得し成長していくという考え方には強迫性のようなものも感じる。自意識自体は有機的なものであるより、機械的なものであると僕は考えているけれど、そこに獲得され蓄積されていくものもまた機械的な、融通の効かない同じパターン、周りとの有機的な関係性を伴えずにカチカチに固まっていく秩序をもたらす傾向があると思う。
 
いわゆる民主主義的な運動のようなところにおいても、本来価値ある理念を持って運動や活動していても、なぜか他者を批判し、排除しだし、組織内でも抑圧が進むといったことがおこると思う。これはもしかしたら自意識のその身の丈に対して、意識化と成長という過大な課題を押し付けてしまった限界が露呈しているところもあるのではないかとも思える。
 
身体教育研究所の野口裕之さんは、お茶の急須は柄を握る時に小指が余る(握れない)ように設計されており、野口さんはその意図を小指が柄を握らないことによって、微妙な腰の反りが生まれ、日本人はその身体的・精神的感覚を良しとすると述べていた。

身体教育研究所

http://keikojo.com/koukaikouwa_schedule_files/1993_doho_to_naikan.pdf

 
しかし、そういった微妙な身体感覚のコントロールやそれをもとにした道具の設計は、言葉として言語化や文章化されていなかっただろうと思う。いわゆるフレイレのいう意識化はされていないのに共有されている。身体が自然とそれを良しとし、それは意識化なく、感覚として道具の設計や生活の全般に反映される。
 
それはデメリットとして言語化を迫られる西洋文化に一方的に押しやられ駆逐されてしまったということがあるのだろうけれど、良い側面としては、エリートとか気づいた人とか、学者とかが文化を主導するのではなく、多くの一般人に共有される身体感覚それ自体がそのまま文化であり、叡智といえるようなことになっているということではないか。
 
西洋と違い、自意識が知的で意識的であらなければ一市民として不十分といったことではなく、その身体感覚・精神感覚を維持していれば、自然と周囲や世界と有機的な関係を結べる身体があり、だからこそ小指が握れない柄をもつ急須というものが一般的に流通したということがおこりうる。
 
野口裕之さんの整体における型の理解は、型によって「非自己」の状態を作ったり導くといったもののよう。西洋的な、自意識がやったり考えたりして生産的な展開が導かれるという考えとは逆で、自意識の支配的影響を相殺し、無化した時に、身体は世界と本来の応答的関係にあり、そこから導かれるものこそがもっとも創造的なものであり、適切なものであるという考えだと捉えた。
 
いかに自意識の支配と悪影響を無化するか。そこに焦点を絞り、追究されることによって自律的で創造的な文化が培われる。文化とは身体感覚・精神感覚そのものであり、そこにアクセスできる身体になること、あるいはアクセスするための型という技法をもつことが重要であって、自意識自体が気づけて知的なマッチョになることにはそもそも無理があり、逆方向でもある。
 
僕は来月から野口整体というか、裕之さんの整体を学んでみようと思っている。ここでは稽古着とかの着物も重要視されていて、上級者よりも初心者こそ感覚を培うために着物が有用なのだと捉えられているよう。
 
自意識がより気づき、獲得してマッチョになっていく「成長」ではなく、自意識を一時的にであれ、いかに無化し、本来の有機的関係に戻るところから世界との関係を再更新していくあり方には強迫性が薄いと感じる。僕は人の変化がどんな時におこるかということをず自分なりに探ってきたけれど、自意識の強迫が強い時に変化のプロセスは停止したり停滞する。
 
自己実現後の自分を夢見ることは実は現在の否定だ。また自意識自体をアイデンティティや価値とすると、老いや「否定的な」変化に対し、生が余計に停滞する。自意識はいかに無化するかに価値があるものとした時、自意識がいかようであるべきかという強迫は薄れ、より自意識の弊害は薄れる。
 
成長ではないなら何なのか。もちろん自意識をもつ以上、学びの必要ということはあるだけど、重要なことは、自己を非自己化することで世界との本来の関係性に戻ることであり、よりそのように近くなっていくことは、成長というよりは「培い」という言葉が妥当なのではないかと思う。
 
武術家の甲野善紀さんは、若い頃より合理的で速く動けるそうだけど、それも成長ではなく、本来の自然を生かせるようになったということで、それは培いと呼ぶのが妥当ではないか。培いは、自意識がマッチョになることではなく、自意識の否定的影響をできるだけ無化した状態に近づいたり、学んだりできる状態をもたらするための工夫であり、その整えが新しい状況を導く。
 
成長から培いへという転換、時代がもたらす個人の疲弊を変えていく軸になるんじゃないかなと想像する。

お題「イリイチ」

当事者研究の試み

4ヶ月ぐらい当事者研究の試みをしてみている。

当事者研究は、医療機関から診断名をつけられ、受動的に医療に従わなければいけない状態から、苦労と主体を自分のほうに取り戻すためのスタートとして、自分に自己病名をつける。

 

僕たちがやっている当事者研究では、今のところメンバーは特に医療から診断名をもらってもいない。医療から主体を取り戻す以外に、自己病名をつけることはどんな意味があるのだろうかというところからやってみて考えている。で、やっぱりつけないよりつけたほうがいいんじゃないかと考えはじめた。

 

何が自分にとっての苦労なのかを自分で決めない限り、取り組む焦点がなかなか絞れない。問題は色々あれど、あえて、これと決めてみることで、それが仮に間違いであっても間違いと明確にわかるなら進展だと思う。だけれど、曖昧にしたままだと結局掴めるものがないような気がする。

 

自己病名をつけるために、自分にとっての生きることの苦労とは何だろうかと考えるのだが、なかなか中核的なテーマが出てこなかった。

 

だが今日地主さんと出会って、地主さんは僕が借りている畑の隣の畑で草をひいていたのだけれど、それだけで自分のいつもしている行動を抑えるというわかりやすい反応が出ていたので、これを取り扱えばいいかと思う。

 

いつもは隣の畑のネットを潜って農具小屋がある隣の畑に行くのだが、地主さんがいるときにそのネットを潜る行為自体は何も思われないだろうかという考えがきて、ネットを潜って隣の畑にいくのをやめた。

地主さんにどう思われるかは、自分にとって大きな問題となる。それがどうなっているかとみてみると、そもそも僕の畑の管理の仕方に違和感を持っていないだろうかという不安がある。地主さんが満足するような畑の完全な管理が自分はできていないという思い込みがある。別に言われてないけれど、もっと地主さんの畑周りに関しても草刈りをするべきだと思われているという思い込みがある。

 

お歳暮、お中元は毎年送っているが、しかし畑は自分のペースなので、そこに違和感を持たれていないだろうかと思っている。畑を返してくださいとか言われるとかなり困るわけだが、会うたびに自分の対応が適切なのかどうか疑いがはいる。自分は人にうまく対応できないという思い込みもあるので、会うたびに印象が悪くなるという危機が訪れる。

 

その思い込みの危機に対し、できるだけ向こうに反応がおこるようなことはしないというふうになる。行動を制限する。挨拶や声かけはするが、あんまり頻繁には近くを通り過ぎないようにするとか、意味のなさそうな抑制にはいる。

 

無意識に自分の行動を抑えること、殺すことによって安全をはかろうとする。行動全体にセーブがかかる。自分のアクションがきっかけで自分のコントロールできない状況が訪れることを恐れ、状況が変わるのではないかと考えられる言動を必要以上に制限する。

 

大なり小なり人間関係でこういうことがおこる。さしあたり対人手足ひっこめ病と名づけ研究していけるのではないかという気でいる。

 

おふくろさん弁当講演会@mumokutekiホール

mumokutekiホールでのおふくろさん弁当の講演会。懇親会ではmumokutekiの経営陣の方たちも一参加者としてみんなに混ざっていたそう。講演会としておふくろさん弁当の活動が京都で紹介されることだけでなく、意志と方向性を持った人同士の出会い、といった印象を受けた。一方だけの場という感じがなかった。

 

京都の人同士で、この人とこの人は活動の方向性も通じるところ多そうだし、近しいのだろうなと思っていると、意外にここでFB友達申請したりして、共通の友達が100人だったとかいう場面をみた。

 

食事や容器や飲み物など、端々のところにスタッフが思いをもってそれを選んでシェアされていた。ほうじ茶をコンビニで買わずわざわざ作って持ってきていたりとか。

 

動機の強さとは何だろうかとよく考える。結局のところ、顔合わせできたり、よく会う機会があったとしても、動機の強さにシンクロするところがなかったら、欲しい何かはあまり生まれてこないんじゃないかと思ったり。