降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

話しの場 自給的学びの場


なぜ今の形の話しの場をやるのかと訊かれて、話しができる環境をつくっているからとこたえた。長いスパンで見たら環境を育てていく、つくっていくということが伴わないと結局自分の状態も停滞するのは個人的な感覚では明らかだから。

 


一般的には6人ぐらいの集まりでも少人数にはいるだろうけれど、今のこの集まりの最適人数は3人から4人。6人は多い。その半分ぐらいでようやく話しがある程度できるという感覚。

 

そして僕は自給型の場づくりを常に目指している。長期的に目指すところがあっても、その過程が退屈だったり作業のための作業になるなら意味はない。完成されてからその後に人にシェアするのではなく、自分が内発的な動機と繋がり、どこかにいく途中の熱、そのプロセスから生まれるものが、場にいい刺激を与える。この熱を使う。

 

自分も進みながらその過程を共にシェアするという学びの場。一人一人が口を開けて餌が入るのを待つ学びではなく、狩りをしているモードでその場にいる。場を作り、学びが展開しないのは、内発的動機とつながってないためだ。本当にやりたいことをやるのが重要。

 

昨日、めぐりについて書いたけれど、めぐりは外からやってくる。自分のことを本当に真面目に考えるなら、周りの環境を良くするために働きかけるのは、いずれ必然になる。個に閉じる、小さなグループだけが幸せであればいいという考えは、不十分な自助であり、実は既に追い詰められているからこそ浮かぶ考え方なのだ。