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降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

ワークショップ

ワークショップを企画する人を養成する講座で朝から大阪へ。

 
 
しかし「ワークショップ」を企画したいと全然思っておらず、参加者や講師、運営している人たちに関心があって申しこんだ。
 
 
生産的な場はあると思う。しかし僕が関心がある変化や回復にとって、「ワークショップ」は不十分だし、むしろあわないと思っていた。短期間でかつ価値志向的、操作的な場で起きることは限られていると思っている。
 
 
価値を意識させない。勝手にやりとりが生まれる。そういった設定をすることが大事だ。変化の起こる状況は本当に繊細。
 
 
今やっている畑の実習は、年間を通して同じ畑に関わるという設定で、少人数性。参加者たちとの関係性は、企画側とお客さんではなく、共に生きていく仲間を作っているとこちら側では思っている。
 
 
作物づくりの実習という関わりだからこそお互いに自由になる。仲良くなろうとか、絆をつくろうとかいう価値をこちらが提示したら途端に不自由になる。そういうのは、価値としてあげないほうがいい。
 
 
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勝手に関係性が育つのは、設定のなかにその必然が入っているから。自給の作物づくりを年間通しでやることは、ハードルが高い。ハードルが高いにも関わらず来る人は動機が高い。価値感が重なりやすい。
 
 
たとえ参加者集まらなくても、別に困らないけれど、実際は募集枠は毎年埋まる。お願いしている講師がいいからフライヤー作らなくても人は来る。こういうわけでやってて疲弊がない。これは設定の仕方の問題。
 
 
人と人がいい感じに関わるには、そこに相応しい建前がいる。建前が守ってくれるからこそつまらないことに影響されず自由になる。
 
 
ともあれ、今日のワークショップする人の育成講座は少し疲れたものの、とても驚くことがあった。講師は、ワークショップと言えばとこの人という第一人者。
 
 
講座もワークショップ形式ですすめるのだか、平野レミさんのまるごとブロッコリー事件ではないけれど、ちょっとセオリーや予定を超えるときもある自由さ、自然さ。
 
 
そして最後に参加者が講師も一緒に入ってほしかったという感想に対して、今は一緒にただ食事を作り食べるというようなことが好きで、いわゆるワークショップは少し疲れたといったこと述べられた。
 
 
やはりそうだよな、と思うとともに、ワークショップをやる人を育てるこの講座で、ここまでの第一人者がこのことを言えるという率直さにはっとした。嘘をつかず、この姿勢を見せてもらったこと自体にもらえるものが大きかった。

 

 

 

 

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