降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

塀の撤去と今後の生き方

午前中は、大家さんとその甥御さんと一緒に3人で家の裏の塀の波板部分を撤去する。

 

波板はまだ大丈夫なのだが、波板を固定している木枠がぼろぼろで、お隣のお寺の駐車場に釘やら木屑などが落ちた。車に影響があるといけないので、早急に直してほしいと掃除をしている人から言われていた。

 

波板を撤去していたが、お寺の塀とうちの裏の塀は連続していて、かつ、お寺のつくった塀がうちの塀に3メートルぐらいかぶっているので、作業が難しい。大家さんがお寺に相談してみると、お寺が塀をつくってくれることになった。波板と木枠の撤去だけして作業修了。1時間半ぐらいで終わった。

 

お寺の人が、この家の前の持ち主の話しをする。今の大家さんの親戚にあたる方なのだが、いつも自分の家だけでなく通りをずっと掃除していた方で、近所でも大変評判よかったらしい。あっさりとお寺が塀をつくってくれるの了承してくれたのは一つはそれもあるのだろう。

 

前の持ち主は故人なのだが、高専柔道という、スポーツとしての柔道になる前の実戦要素が強い柔道をやっていて、その筋では大分有名だったらしい。教員として大学に在籍され、教えられてもいたようだ。この家にきて3年目だが、時々ふと歴史に触れる。

 

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お昼にはちょっと早かったが、3人でフェルメールという近くのカフェへ。

この家の今後の運用について話す。

 

主流でない人の生き方にはより保証がない。力もお金もないので、無駄がない生き方を考える必要があると思っている。自分が老人になって、老人ホームに行かなければならなくなるより、自分たちが老人になる前に互いに看取りまでできるようになればいい。ケアの技法ユマニチュードなどを習得し、教える立場になり、ナリワイとして成り立たせる。

 

あと日頃もったいないと思っているのは、ダンサーや役者の人たちが、人を育てる力があるのに、全然関係ないバイトなどをしなければならない時があることだ。彼らの力を生かして体へのアプローチや信頼関係を育てたい。

 

高齢者へのケアというところで、経済的な面と普通の人がそこに関わる必然性を成り立たせる。その外枠があれば、演劇に関心ある人、ダンスに関心ある人以外の層に開かれることができる。実際にはどんな内容をやっていたとしても、演劇、ダンスが看板だと現実問題としては、残念ながらそこに意識と理解がある人しかなかなか来れないだろうと思う。

 

しかし、介護が必要な高齢者に対する関わりの力を養うというプロセスのなか、ダンサーや俳優がチューターとして関わりワークをすることで、高齢者に対してだけではなく、自分自身や自分の周りに対して応用できる技術、態度、関わり方を得ていくことができるのではないかと思う。やりたいのは、この内容のほうなのだけれど、内容を成り立たせるために外枠、建前がいる。

 

その旨、ご飯中にとりあえず一通り大家さんに説明できた。大家さんは、元大学教員で自身も震災関係の活動をされていたこともあって、理解がある。

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