降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

10月末に行った合宿。
そこにいた犬は、人に近づけない犬だった。小さいころにいじめられたとか。こちらが呼んだり、可愛がろうとしても2mぐらい先で大体止まってしまう。

 

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心の傷が癒えて人と自由に遊べるようになればいいね、お前はもっと幸せを享受できるようになれるよ、と考えるのはたとえいつの日かこの犬がそうなったとしても、あまりに侮蔑的な物言いではないだろうか。痛みはどこまで軽くされるのだろうか。

 

2m先で止まることは、いつの日か自由に遊べるようになったことで埋め合わされるだろうか?

 

決して埋め合わされることはない。痛み、重みを「将来の幸せ」で代償できるなんて、馬鹿にした話しがあるだろうか。取り返しなどつかない。

尊厳は、痛みに対して与えられるもの。取り返しのつかない重みを感じないところでは、人は人を大切にできたりしない。同様に、自分を受け止めることもできない。