降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

「成功」から「手ごたえ」へ 

辺野古の埋め立てに反対する署名、15万7千をこえています。沢山の人が思いをもっていることを知ることは、重要なことだと思いました。たとえ署名の結果に対するアメリカ政府の動きが弱いものであっても、多くの人が同じ思いを持っているということは実感として残るのではないかと思います。

 

さて、この感覚や実感は「成功体験」というようなものと近い感じではないかと思いました。しかし僕は「成功体験」は、ちょっと不適当な言い方だと思っています。多分、この言い方をすることで余計に人を追い詰めているところもあると思います。

 

自分の体験がつまるところ「成功」か「失敗」かと判断される世界は、生きづらい世界ではないでしょうか。小さな成功体験を積み重ねていければ自己肯定感が高まります、というとき、成功体験という言葉遣い自体が、生きづらい世の中の価値観を追認させるような押しつけをもっていないでしょうか。「成功」を認めるのは自分なのでしょうか他人や世間なのでしょうか。「成功」はどちらかというと他人や世間のほうに寄った基準をもった言葉だと思います。

 

意図的でないにせよ、体験が「成功」か「失敗」かに分けられるような捉え方を持ち込むのは不適当だと思います。たとえば辺野古の署名の「結果」がでなければ、「失敗体験」になるのかというと、上述したように、自分と思いを同じくする多くの人を知ることは、その人の気持ちを変え、実感として残るのではないではないでしょうか。

 

(世間の認める)結果を前提とする「成功」よりは、まだ「手ごたえ」という言葉のほうがいいと思います。「成功体験」をしなくても、自分が少し踏み出したところで「手ごたえ」を感じることをしていけばいいと思います。もっといい言葉があると思いますが、副作用が強い「成功」という言葉をやめて、踏み出したことの「手ごたえ感」などへ言葉を交換していくと強迫的なこの世界が少しやわらいでいくのではないかと思います。