降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

痛みの見えない世界

傷ついた人、孤独な人、行き場のない人が親しい人を攻撃してしまう。

 

職業ではない、支援する人が行き場のない気持ちをぶつけられる時のどうしようもなさ。耐えきれず去っていく人たち。

 

と同時に、傷つけられることなしには壊れず、厚みを増していく自分の殻による自分の疎外。

 

厚くなった殻が自分だと思って、そのなかにある弱い体の存在を忘れてしまう。

 

そして、殻を維持するための自動的な行動は、自分だけでなく、他人を抑圧する。

 

この無自覚な自己疎外ということを考慮にいれることで、僕は現実的な歩みをもてるようになった。なぜ社会がこうなるのかは、自動的な自己疎外の結果なのだと思う。

 

自己疎外を乗り越えるためには、その殻を壊してくれる他者が必要。自分だけでその疎外を越えることはできない。痛みが感じられなくなった時は、自分ではなく、殻になった時なのだと思う。

 

マジョリティは「幸せ」になろうとしているのではなく、世界を痛みの見えない場所にしようとしている。その意味でマジョリティは絶望している。自分も気づかないうちに。