降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

学びと出会い 

『ヒモトレ革命』を借りた。

shimirubon.jp

小関:弱視の方にヒモトレを試してもらうと、目が見える人と明らかに反応が違います。特に頭の位置に関しては目が見える人より良いポジションをとっていることがわかりました。

甲野:認識することは便利ですが、情報が多すぎて判断に迷うことがありますね。山口さんは耳栓をしたりすることも有効だということでした。目を遮ったり、耳をふさいだりすることで、普段とは違う自分に出会うことができますね。

 そして、こういう”さっきまでの自分とは違う自分”に出会うことが、より本質的なものを学んで行くための方法の一つだと思います。そのために、いろいろ試してみて、その時は役にたつかどうかはわからない部品をどんどん作っておいて、感覚の貯蔵庫にストックしておくわけですよ。

 これは倉庫代もかかりませんし、将来、その部品が思わぬ場面で役に立ったりしますから。そうすると、それまでの自分では予想もつかない技の進展があったりするのです。

 

「役に立つこと」とは何か。

 

先日の投稿で学問が役に立つことのみを追究するならそれは既に知っていることに受動的に従うこと、閉じた世界にい続けることになると思うと書いた。

 

自分のなかに動こうとするプロセスがあり、それを世界と関わらせるということをやめた人間は主体としては仮死状態にあると思う。

 

プロセスは知らなかったもの、いつもと違うものに出会うことで活性化する。焚き火で、燃えさしをかき混ぜるとき、ススで覆われて空気にあたらなかった部分に空気があたる。いつも同じ環境にいては、燃えさしは燃えさしのままだ。プロセスが動き出すためには、ススが落とされ、空気に触れる必要がある。それがいつもと違うものに触れる、同じものとでも違う関わりをするということだ。

 

甲野義紀さんと小関勲さんの対談は、学というものがどのように発展を遂げるのかという視点からも受け取ることができるのではないかと思う。

 

一方、資本主義的な、有用性至上主義、個人からどれだけ有用性を搾り取ってやろうかというような視点からではなく「役に立つこと」とは何かと考える。

 

星の王子さま』で王子が自分の星を出て、地球に到るまで様々な星をめぐる動機は何かを学ぶためと、何か人の役に立つためだった。

 

落語家が笑いを取ることに喜びを感じるというとき、対象がお愛想ではなく本当に笑ったと感じ取ることなのだろうと思う。自分を一点に凝縮して相手に送ったものが確かに受け取られ、喜びとして応答された証拠が笑いなのだろうと思う。

 

星の王子さまが求める「役に立つ」とは、落語家と観客の間で笑いを通して本当の出会いをもつように、嘘や妥協のない、取り繕えない本当の気持ち同士でやりとりするということなのではないかと思う。その出会いがあったところでは、自分と相手はもう前と同じ状態ではなくなっている。

 

自意識としての自分と自意識としての相手とのやりとりは、お互いに相手を大切にする意図を持っていたとしても、いや逆に意図するからこそ本当のものが見えなくなるというジレンマを抱えていると思う。

 

本当のものと出会い、お互いが変わるためには、意図をこえた剥き出しのもの、本当のものと出会う必要があるのではないかと思う。「役に立つ」とはその剥き出しのもの、本当のものと触れることを覚悟したやりとりではないだろうか。

 

昔の新聞の投稿欄にこういう話しがあった。元気いっぱいの大型犬の子犬は散歩のとき、いつも飼い主を引っ張り気味に走っていた。あるとき、我を忘れた犬が思い切り走り、飼い主は思い切り転倒して綱を放してしまった。子犬は勇んで走ったもののの異常に気づき、振り返って転倒して痛がっている飼い主をみて、愕然とした表情を浮かべたという。自分がこれを引き起こしたのだという理解だったのかと思う。子犬はそれ以降、勇んで走り引っ張ることはなくなったそうだ。

 

この話しは、単に手放しで賞賛できる美しい話しではなく、子犬が受けた傷の話しでもあるだろう。だが飼い主は子犬がいかに自分を重要に思っていたのかを本当に知った。お互いの関係性はかつてとは別のものとしてみえている。そしてそこには震えがある。

 

本当のもの、嘘や妥協のない剥き出しのものと触れ、出会うこと、それは傷つきともいえるかもしれないが、それが人を人としていくのだろうと思う。資本主義的な意味ではない「役に立つ」はそういうことをいっているのかと思う。

 

星の王子さまは、かつての居場所にいれなくなって旅に出た。彼は自分が変わること抜きには、どこにも行けなくなっていた。だから彼は本当に自分が変わることを必要としていた。学ぶこと、誰かに役に立つこととは、自分が更新される事態を引き起こすということなのだと思う。

 

巡っていく星々で王子は大人たちに呆れ、彼らと関わることを意味のないこととして捨てていく。王子の情け容赦のない態度は大人たちに変化がはじまる傷を与えただろう。そして王子もまた自分がこの大人たちと同じように自分に囚われ、関わりで何がおこっていたのか何も見えていなかったことを知っていく。