降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

支援者当事者研究へ

京都で行われている支援者当事者研究へ。

 

まず自己紹介と来た動機を話し、その次にここで話された個人的な話しは外に持ち出さないことを確認、写真許可の確認をした後、べてるの家当事者研究の理念を一人一つ読み、その後そこで思ったこと、感じたことなどが話される。

 

次に当事者研究の理念集の一部を読む。理念は「弱さの情報公開」「自分自身で、ともに」「笑う力」「経験は宝」「病気は治すよりも活かせ」「自分の苦労をみんなの苦労に」「いつでもどこでもいつまでも」というもの。

 

理念の一つ一つの説明をあらためてみて、よくまとまっているし、輪郭がはっきりしてるなあと思う。理念を読んでみることで自然と自分の体験などがあらわれてくる感じもあり。理念提示にはルール提示の意味と、自分の体験を想起させる効果も重なってあるなあと思う。

 

「弱さ」ということが理念集でもまず一番目に提示され、意識されることの意味も大きいなと思う。

 

自分は「支援者」だけれど「支援者」としてではなく、その役割以前の「人」であり「自分」に着地できるとかたまっていたものがほぐれ、気づかれてなかった気持ちが意識にあがりやすくなってくるのかなと思う。

 

つい困難をどう解決したらいいのかというような「やり方」の話しとか、頑張ってこう解決している、現実はこうなんだからこうするしかないんじゃないみたいに、話しが「強さ」や「構造」のほうに向かうと、善悪みたいにもなって、むしろそこで感じられていたことには気づきにくくなってしまうように思う。

 

気持ちのほぐしがあって、そこで自律的に浮かび上がってくるものが場やそこにいる人を変えていくと思う。自律的なものを浮かび上がらせ、その流れ、場の磁気にゆだねることで、自分が背負っているものを手放し、疲弊のもとになっていたものが溶けていくのではと思う。

 

理念のあと、参加者からお題、事例を求めるという提示がある。「職場において弱さを出せるか」という感じのテーマ。参加者からお題や事例を提供してもらう場合、お題なら哲学対話的色合いに近づいていくかなと思う。やや事柄の話しにもなりやすいかもしれない。

 

初めての人もいる場合、事例提供はよっぽど喫緊でなければ、ぱっと思いついたり言い出したりしにくいかなとも思う。一方で主催側のほうとしても、限られた時間のなかでテーマ決定にそれほど時間をかけられないみたいなこともありそうだと思う。

 

事例は具体的なもの根づいていて、かつ個人としての人の内面の動きにも焦点があたって豊かなものがでてくる。たとえば、事前に主催者も自分が体験した事例で、必要なら適度な補正をかけたようなサンプルを幾つか載せたレジメを配布してそれをみんなで見てみて、そこで想起されてくるもので共感が多いものをピックアップするとかすると、ワンクッションおけて事例もでやすくなるんじゃないかなあと思う。

 

最後一言ずつ話しをまわす。場にはどうしても支配的な流れができてしまうので、思ったことが場の流れと違うと言いにくいことなどがおこると思う。そこを調整する意味でも最後に一言まわすのはいいかなと思う。

 

僕自身は、話しの場で、初めての人、知らない人が毎回くる場は、やりたいこととか、限られた自分で対応できる範囲を超えているのでなかなかやらないけれど、そのようなかたちで誰かがやってくれる場に出ると、自分の場では見えないことが見えたり、いい緊張感をもらえる。