降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

在野として探究することの短所 補いと出会い

月曜日に大阪の当事者研究の会、通称「づら研」(正式名称は「生きづらさからの当事研究会)で発表の機会をいただいた。

 

づら研やづら研の母体である「なるにわ」については、以下の書籍にも詳しく載っている。

 

名前のない生きづらさ (シリーズ それぞれの居場所1)

名前のない生きづらさ (シリーズ それぞれの居場所1)

 

  

先月17日にあった関西当事者研究交流集会で配布された抄録に書かせてもらった文章をづら研を主催している山下耕平さんが読んでくれて、これを発表しませんかとお誘いをもらった。

 

 

kurahate22.hatenablog.com

 

 

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僕は博士課程に進学して、その先アカデミズムの仕組みのなかで自分がやっていけるとは思わなかったし、自分が近づきたいことに近づくにあたってはその場所は迂遠だと思った。

 

僕にとっては、自分が見つけたことを他人に証明したりする必要はなく、見つけたことが自分に「効く」かどうかが重要だった。

 

自分の知りたいことは、大学の外で探究していく。自分がここだと思ったところにおもむき、必要なことを受け取る。落ち穂拾いをしていくように。

 

それは自分なりに自分の求めを進めていく工夫であり、自分にあったやり方だった。だが、当然デメリットもある。それはまず自分の関心や探究が深まっても、それを共有したりフィードバックしあえる「人間環境」がなかなかないことだ。

 

大学であれば、たとえば同じ研究室仲間だったり、学会での出会いなりがある。また院生なり研究者なりの肩書きを背負っていれば、民間の私塾や学びの場のような、大学の外で自分の探究を話す機会もやってくる。アカデミズムの看板があるから、招くほうもその研究者の存在を知れるし、招くことにも安心できる。

 

だが在野だと、そのような公的のネットワークから外れていて、「私」の環境しか持ちにくい。世界の広さは、自分が直接どこかにいって人間関係を結んだ範囲になってしまう。もし同じような関心や探究ができる人間環境があれば、探究は進むし、日々はより充実するだろう。

 

自分が何かの企画や活動をすることは、この「私」の環境や関係性に限定されてしまいがちな状況に対して、不足を補う役割がある。何かの活動をすることで、自分と共通する関心を持つ人が集まるし、既に知っている人も活動を通して関わると一本の糸のようだった関係性が、筋繊維のように複数の糸でよられたようなものになる。

 

在野で探究していくものにとっては、探究を続けていくためにも、人間環境を豊かに充実させていくための環境づくり、仕組みづくりが求められてくる。限られた自分の裁量でそういうものを不足なく作っていくということはなかなか難しい。

 

そして大学の看板がないということは、権威も保証もないということなのだが、そういう人の言うことや考えることを、それほど真剣に受け止めてくれる人はあまりいない。同じことを言ってたり考えたりしていても、これは誰先生が言っていてとか、著名人を引きながらでないと、あまり受け取られない。探究は、人にわかってもらうためにやっているのではないが、人間環境の広がりがないと探究環境も貧困になるので、人に関心を持ってもらって、機会をもらい、人間環境を広げることは重要になってくる。


できること、整えられることはやっておく。それは僕にとって、考えをより練っていくこと、凝縮させていくこと、端的な言葉でその問題となっていることの核や構造を示せるようになっていくことだ。本気で探究している人は、常に問いのヒントを見つけようとしている。通りすがりの短い言葉や表現であっても、それを拾う。同じ方向性を持ちながら、別のあり方で探究をしてきた人。言葉を凝縮していくことには、今この時点の探究のためだけでなく、いつかそういう人に出会いたいという動機もある。

 

さて、当事者研究交流集会に載せる文の依頼を僕にするということは、看板や肩書き抜きのことだ。看板や肩書き抜きに、その部分を信頼してもらったということだ。そういうことはあまり起こりえないことだ。それだけでも大きなものをいただいたが、その機会がまた「づら研」での発表という次の機会につながった。づら研で機会をいただいたこともまた、看板や肩書き抜きの中身で受け取ってもらったことだ。

 

づら研にはこれまでも参加者として何回か参加させてもらっていたが、今回発表ということでづら研のみなさんとまた新しい関係性が生まれた。一本の糸だった関係性のあり方が二本に、あるいはもっとたくさんの糸がよりあわされた状態になった。すると世界の広がりがおき、今後におこってくることの広がりが変わってくる。ここからまた何か縁をもらったり、話しをもらったりという可能性が開かれる。

 

自分が生きていくといっても、出会うもの、向こうからやってくるものに自分の生は依存している。自分ができることは整えまでであって、「人事を尽くして天命を待つ」というと大げさだが、できることをしてゆだねる。そのことで生が成り立っている。

 

つい、自意識としての操作、コントロールで生が成り立っていると思ってしまう。すると生は重荷になる。背負いきれないものを背負ってしまう。自分がやったから当然の結果として生は獲得されたのだと思うと、獲得していない人だと自分が認識する人は努力をしていない人だ、甘えている人だとなる。自分にも相手にも不幸なことだ。

 

それは「人事」を放棄するということではない。投げやりに生きることではない。より繊細に生を理解することだ。人事や努力だけで状況が成り立っているのではない。それが見えないと自分を追い詰めてしまう。自分の操作とは関係ない世界の流れがあり、そのなかで生きている。生まれたこと、生まれた場所、誰から生まれたか、どのような体をもったか、何に、誰に出会ったのか。多くの決定的なことは自分の操作外のところにある。

 

何かの活動をするのは、つまるところ、ゆだねるべき何かをゆだねるためだ。自分の操作外の自律的なものの力を貸してもらう。そのことによって、自分は重荷から解放される。そして逆説的だが、あくせくかき集めていた時よりも多くの豊かさがやってくる。強迫に埋め尽くされている精神に空間と時間を提供する。そのことで自分と世界は変わっていく。