降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

もう感じられなくなった自分のかわりに 人として回復していくことの業

人は自分で自分を疎外していくことを避けられない。

そこに考えが至ったとき、気持ちが救われた。

 

自分という場所に肯定的なものをかき集めようとすることが「自己肯定感を高める」だろうか? 一時的にはそうかもしれない。だがそれはいつでも風に吹かれて自分という境界線から外に出ていく。

 

操作主体としての自分、自意識にアイデンティティをもとうとすることは、もっと美しいものが現れる不安に怯えながら鏡に自分が世界一美しいかと訊き続けて安心感を得ようとするようなことだ。

 

「すること」や「得ること」に強迫的に駆り立てられてしまっていること。問題はそちらの方にある。肯定的なものを得るとき、奪われる恐れがもれなくついてくる。得れば得るほど潜在的な恐れは蓄積されていくだろう。肯定的なものを得るのではなく、内在化され無自覚になった否定・強迫を取り除いていくことに回復がある。

人は自分で自分を疎外していくことを避けることができないというのは、ネガティブな見方であって、否定性を自分から背負うようなことに思われるかもしれない。だがそれはゆだねる存在としての自分を認識することだ。孤立した自分で背負えば追い詰められる。ゆだねれば精神は閉塞しない。呼吸を失わない。

 

否定や強迫は獲得されたものだ。だからそれらを手放していく。自分自身を殻を持ち孤立した自意識としてではなく、関係性そのものとして、獲得以前の状態に戻っていく。

 

フレイレの言葉に触れながらあらためて、人は抑圧を自然と内在化させるものだと思った。無自覚、無意識、鈍感とは、より深い抑圧をさしている。今現在痛みを感じているマイノリティは、内在化させた抑圧を意識上に再浮上させている。一方、マジョリティが痛みを感じていないとは、痛みがないのではなく、より深く抑圧されているのだ。

 

翁長知事が東京に会談にやってきたとき、一番ショックだったのは、口汚い右翼の攻撃ではなく、沖縄におきていることに何も関係なく、何事もおこってないように銀座を歩く人々の姿であったという。フレイレは被抑圧者がアメリカでもブラジルでもチリであっても同じように自分の世界の現実を否認する答え方をすることに気づいた。

 

「やっぱりラテンアメリカの街頭じゃないかな。英語は、われわれがそこにいって教えたのさ。いや、それともアフリカの街かな。」
「どうして、ニューヨークじゃないのかしら。」チューターが訊ねた。
「ここは合衆国だよ。こんなもんがあるわけないでしょう。」写真を指差して、かれはいった。

 

長い沈黙がつづいて、やがて、別の一人が話しはじめた。なにか重いものを自分のなかからひきずり出そうとするかのような、苦しげな口調であった。「認めなくてはいけないのじゃないかしら。これが私たちの街であることを。私たちはここに住んでいるのよ。」


階級として、そして個人としての自分の存在を引き受けて、現実とのたたかいにコミットしないかぎり、こうした状況にさらされた個人は、自分にとって屈辱と思われるありのままの現実を、否認しつづけるほかはないのだ。

 

自分の現実を恥ずかしいと思うのは、かれらが支配階級のイデオロギーを内面化しているからであって、このイデオロギーにしたがえば、かれらは無能であるがゆえにいまの状況におかれているのであり、その責任はもっぱら本人自身にあるということになるわけだ。

 

どの集会の参加者にも共通に見られたのは、「自由への恐怖」であった。現実からの逃避、真実を糊塗することによって、それを手なづけようとする虚しい試み。         パウロフレイレ『希望の教育学』

 

抑圧は、痛みを自覚することによって意識に浮上する。自分のものとして認識される。それまでは歪つに軋みながらも、人は意識上は痛みを感じず、現実認識を自動的に逸らす。その抑圧のあり方は、支配層や翁長知事が見たような「無関心な大衆」に対してだけのものでなく、全ての人に共通するものだ。


そのように意識下に送られ、内在化された抑圧から人が回復していくことは、どのようにおこっているだろうか。その意識化は、抑圧された自分自身の内からの気づきであるよりも、自分のかわりに傷つけられた誰かの痛みや苦しみを、逸らすことができないまでに目の当たりにすることによっておこっていると思う。

 

自分のかわりに深く傷つけられ、苦しむものの姿を目の当たりにすること。その痛みや苦しみを伝えられること。そのことによって、痛みや苦しみは意識化され、自分と関係ない誰かのものから、自分のものとなる。自動的な抑圧を避けることができない存在である人間が、なお人として回復していくためには、誰かが自分のかわりに傷つき、痛み苦しみ、そしてそのことを自分に提示してくれることが必要なのだと思う。

 

昨日のブログで上野千鶴子さんが自分の発言の誤りを認めえたのも、根底には北田暁大さんが「泣きながらその痛みの提示をされたからではなかっただろうか。

 

彼はこの初出にあたる『SYNODOS』(2017年2月21日)の原稿を「泣きながら」書いた、とあった。「あの上野が」という失望感が書かせたものだと思う。失望感は期待の裏返しでもある。
本書でも「心より尊敬してやまない上野氏に、最大限の敬意をもって『お手紙』を書かせていただくことにした」[本書P31]とある。これはその「お手紙」への返答である。断絶を前提として書かれたわけではない、信頼と敬意を伴う批判なら、それに応答するのが、わたし自身の「最低限の礼儀」だろう。

 

北田さんは辛辣に書く。「『私は残念に思うけれども、現状をみていると、多文化主義に日本は耐えられそうにないから無理』というのであれば、『私は残念に思うけれども、現状をみていると、日本の家父長制は強固だから変えるのは無理』という理屈も通ってしまう」[本書P 37]
わたしは性差別の解消について理想主義を失ったことがないのだから、人種差別の解消についても理想主義を失うべきではなかった。

 

wan.or.jp



人が誰かを攻撃することには、自分の潜在的な痛み、苦しみを誰かに与えるということがあると思っていた。自分のもつ苦しみを無理矢理にでも味あわせ、「共感」させようとする。そうでなければ自分がもたないほどの状態になっている。上野さんが「現実主義」に埋没して弱い人たちを切り捨てる発言をしたこともまた、彼女のなかに高まる苦しみがそれをさせたのではないかと思える。

 

自己疎外を避けられない人が人として回復していくために、もう感じられなくなった自分のかわりに傷つき、痛みを引き受けてくれる存在が必要だ。そしてそこに関わることによってその傷つきと痛みは自分のものとなり、人は抑圧から解放されていく。人は無力であり、人であるためにどこまでも世界に依存している。このリアリティに戻るとき、人は肯定性のかき集めという強迫からの解放されるだろうと思う。ここに肯定性をかき集めても仕方がないのだ。既に抑圧され感じられなくなっているのだから。