降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

時間を戻そうとする力

京都も御多分に洩れず学校で人の下着の色決めたり、外の人には合理性を説明できないのにランドセルを強制したりしているのか。

 

教育者たちはこういう腐敗については何十年も前から黙っているのかな。腐敗をそのままにする権力はどうなっていて、こういつまでも維持できるのだろうか。

 

権力が腐敗するのは、周りとの対話的関係性を断てるからなのだろう。そうでなければ周りの影響を常に受け、否応なく変わっていくはずだろう。

 

対話的関係を遮断する権力を持つ人は、時代にあわせず、時間をある一点に止めたままにする。それはそこに自分が変わらなくていい秩序があるからなのだろう。

 

いや、時間を止めるだけじゃなくて、むしろ更に時間を昔に戻そうとする。強いものがもっと幅をきかせた過去、強さが正しさになっている、懐かしい文化以前の時代へ。強いものが正しいと自分でいうほど強いなら、弱い人からは一切のお金をいただかずに密林にでも原野にでも行って強く自分で生きてくれればいいのにと思う。

 

興味深いのは、そんな力を持っているのに、まだ自分が時代から抑圧されているように感じていて、自分を被害者であり、抑圧されて自由に振る舞えないと思っているようなのだ。自分の孤立を恨んでいる。そして復讐するかのように、時間をすすめようとする弱いものを抑圧し自分の強さを確認しようとする。