降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

当事者研究 無防備になること

水島広子さんのツイートをみて無防備という概念を得た。

AHはアティテューディナル・ヒーリングの略。キリスト教の影響を受けた精神訓みたいなもの?だろうか。

 

 


過去にあった惨めな思いが浮かび上がってくる時がある。あの時、なぜ無抵抗だったのか。相手に死ぬほどの報復をするイメージに続く。観察すると、相手が憎い前に屈辱的な位置に置かれた自分が許せないのだ。

思い出すのも、暴力的な連想をするのも止められない、どうしようもないと思っていたが、その想起がおこった瞬間に無防備になるということを試みている。嵐を嵐のままに。行動化するのではなく、それが自分の精神に影響を与えるままに、自分を壊すなら壊すままにしたらどうなるだろう。心境的には、キリスト教の「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という感じだ。

 

嫌な想起がおこった時、抵抗しているとも思ってもいなかったが、既に抵抗しているのだ。体を緊張させ、やり過ごす。または何がしかのリアクションで逸らそうとしている。が、その自動的な抵抗に意識をいれ、やめる。それがするままにさせる。レット・イット・ビー。

 


Beatles - Let It Be [1970]


抵抗(強い感情反応)がおこる→気づいたら抵抗をとる(無防備になる)→抵抗がおこる→気づいたら抵抗をとる、という繰り返しをやってみてどうなるかしばらくみてみたい。