降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

出町柳のラーメン屋台

友人が出町柳のラーメン屋台に行政による撤去の紙が貼られた写真をアップしていた。

 

自給やDIYというようなものの意義は、何でも自分で作れる一人強者になることではなく、そこに画一化されていない関係性や空間を作りだすことだ。

 

出町柳のこういう隙間の屋台が作り出す空間や関係性は、人と人の関係性は行政の認めた画一性によって消滅させられてしまうのか。画一化されていない関係性や空間にはそこならではの居場所があり、生きづらい人や感受性が高い人が息を吸える場所になる。

 

DIYはそこに様々なズレをもった関係性や空間を作り出す。その関係性や空間が与える作用をエージェンシーと名前をつけてみて、そこにどんなエージェンシーが重なりあっているのか、という見方をしてみる。

 

人はその関係性や空間が持つエージェンシーに行動や思考が影響される。また個人はある特定のエージェンシーを受け続けることによって、その人のなかで何かが充ち、自分に近づいた新しい踏み出しをすることができるようになるように思える。

 

DIYはモノを作るのではなく、関係性のグラデーションを作ることに意義がある。その多様性によって、個人は自分に「充ち」を与える特定のエージェンシーを自分に蓄積することができる。

 

あるべき姿にあわせるのではなく、自分に「充ち」をもたらすものと出会うためにDIYは必要とされるし、DIYによって作り出されたエージェンシーは作った本人も意図しないエージェンシーを環境や周りの人に与える。またDIYによって生まれたエージェンシーはシステムにではなく、個人にエンパワーをもたらす属性のエージェンシーだ。

 

エージェンシーを微生物的に見立てるとわかりやすいかもしれない。あるエージェンシーから派生したエージェンシーは別様でありながらもそこに近い属性を持つ。

 

コンポストを頭に浮かべながら、環境の画一化をもたらすエージェンシーが嫌気性菌群のエージェンシーなら、DIYのエージェンシーは好気性菌群のエージェンシーかとか想像してみる。