降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

アートと生存 アートエリアB1へ

釜ヶ崎芸術大学のお話しを聞きになにわ橋のアートエリアB1へ。

 

上田假奈代さんに初めてお会いしたのは2007年の田植えの時だったと思う。ココルームでスタッフをされていた横山千秋さんと前年の島根の全国こどもワークショップフォーラムで出会い、その時活動させてもらっていた宇治の田んぼに興味を持ってもらって、スタッフ合わせて3人できてもらった。

 

休学していた大学院をこのままやめようかと考えていたけれどある人の言葉を受けて思い直し、田んぼの活動のことを書くことにした時期。だがそれまで自分の変化を求めてずっとやってきたと思っていたことが、結局自分を見ないためにやっているのだと気づき、動機が内部から崩壊していた。

 

今までそれだけが動機だったことがなくなると、次に行くところが見えなかった。前のように強いエネルギーをそこに一気に傾けるようなことがもうできなくなっていた。

 

中学以来また廃人みたいになっていたが、お世話になっている方に声をかけてもらって、宇治で家庭教師をしたり子どもの居場所事業に関わった。釜ヶ崎に移転したココルーム でも自分のことを話す場をいただいたり、友人の冒険家の話しを聞く場をもたせてもらっていた。

 

あの時期を凌げたのは自分に場や縁を与えてくれる人たちの存在で、心の支えになったのは、假奈代さんのブログからみえた、この社会に真正面から向き合うココルームの活動の姿だった。その姿を見せてもらうことによって支えられてきた。時々読ませてもらう假奈代さんの言葉にはいつも心の奥に届く深い示唆があった。

 

一方で、自分のすべきことを定められず、向き合えず、何年たってもろくに基盤をもつこともできないままでいることが恥ずかしかった。

 

年を経て、色々な人の縁に恵まれているのに、殻は厚くなって、腐敗のガスもたまっている。隠すのをやめて、そのまま傷つき、恥をかいていくことが必要なことだと思うようになった。どこかにたどり着くことができるかと問えるほどのところに自分はいない。できるぶんのことを、ただしていければ。