4/22〜29作家展 ぼ~だ~ 境界族×吉田寮
京大の吉田寮で東京朝鮮高級学校美術部展の展示が行われる。
【ぼ〜だ〜 境界族×吉田寮】
— ぼ〜だ〜展 境界族×吉田寮 (@border_boarder) 2018年3月25日
4/22〜4/30まで東京朝鮮高級学校美術部展を吉田寮食堂で開催🔜
インスタレーション、絵画、立体作品を吉田寮にあるものを使って展示していきます。
開催期間中は、トークやライブなどの週末企画も!随時更新していきます。 pic.twitter.com/d8giC2ar8o
排外主義の高まりがあり、朝鮮総連への銃撃があった。今現在に限らず、北朝鮮と日本の緊張関係が高まるたびに在日の人への攻撃や嫌がらせなどはこれまでにもずっとあった。
何かに対する人の認識はどのような時に変わっていくだろうか。
問題を提起しても、難しいねで済まされる。抑圧されたマイノリティが無自覚な抑圧側のマジョリティの意識していなかった苦しみを「救う」ことになったときにようやく境界にいたマジョリティが変わるようなことがおこる気がする。
圧倒的な不公平だけれど奪い続けるマジョリティであることを止めるときも、なお贈与されることによって止めるのではないだろうか。
マジョリティ自身は社会を質的に変える力を持たない。無自覚であってもマイノリティを抑圧する力を背景に、そこに依存して生きているから。自身も実はマイノリティであるという苦しみの自覚抜きにそこから降りることはない。
苦しむ人たちは自身が生き残るために必要な回復のために、否応なくその苦しみを結晶化していかざるを得ない。その結晶化は周りの人たちを回復させ、社会を質的に変容させる。そこまで苦しめられてなおその社会に与えてあげる義理などどこにもないのに。