降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

「老後」を心配する人としない人 終活ゼミワークショップ

終活ゼミ・ワークショップ。

ワークをやるとき「老後」を心配する人と別に心配していない人がいる。どちらでもいいと思っている。



重要だと思うのは、心の詰まりがあるならそれを取り除いていくこと。何が心の詰まりになっているのか。「老後」を心配していないのに終活について話す場にわざわざ来ようと思う心の詰まりはなんなのか。



終活ゼミは、自分にとっての心の「呼吸」、心の「通気」とは何であるかを確かめていく場といえるだろうと思う。死、突然の中断、予定していた「明日」を奪うことなどを設定するのは通気不全になりがちな生を捉え直すためだ。



通気不全は「明日」、「予定」とか「明日からみた自分」とかアタマに関わることによってひきおこされる。



言葉(明日)を取り入れたことによって生まれてしまったアタマの根源的強迫を打ち消すことが実のところの「自己実現」だ。



自己実現」の本質は何かの獲得ではなく既にある強迫の打ち消しだ。だから別に生をかけて獲得すべきものなど何もない。もし言葉を持たない「障害者」として生まれたならばそもそも打ち消す必要もない。打ち消しのために生きることは、(体ではなく)アタマにとっては割りに合うというだけだ。



自分の追い詰めによる一時的な緊張や詰まりが取り除かれるとき、心の「呼吸」が戻ってくる。それは「明日のため」に抑圧されていた体が息を吹き返すことであり、自律的な力の流れ、豊かな発想の流れが生み出される状態をもたらす。

 

 

心の「呼吸」がとりあえず取り戻されるためには、まず何を整えればいいのか。そして次の問いは、心の「呼吸」が維持されるためには、自分の生をどうデザインすればいいのかということになってくるだろう。

 

 

家の窓を開き、入口と出口を作れば風は勝手に通りだす。風を自分の生の主体、生を展開させる主体と考えるなら、自意識がやることは入口と出口を解放することであり、風の通りを邪魔をする通路上のモノをのけたりすることだろう。自意識がやるのではなく、創造的なことは風がやっていると気づいたとき、余計な力や追い詰めが抜けてくる。

 

今月はあと23日の13時から。 

来月の終活ゼミは、第2、第3土曜日にやります。

2018年1月の終活ゼミ・ワークショップ
とき 13日(日)、20日(日)共に13時〜16時
ばしょ ちいさな学校鞍馬口
要申し込み