降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

当事者研究 パーティの苦手さ

パーティや飲み会などの場が苦手だ。
雑談とか日常会話に関心がなくてしたくないというのと、そこに興味深い人がいても、そもそも質問とかが思いつかないという状況がある。

 

状態:

・緊張      → 人に話しかけるのがまず大変

・圧倒されている → 質問が出ない

・話しが続かない → いたたまれない 余計緊張する 

・周りに馴染めない→ 人とうまくやりとりできないのがみじめ 変に見られている、敬遠したいと思われていると受け取る


状況が比較的マシな時:

・知っている人が何人いていて、その人たちと話す場合(→だが本当はもっと新しい人に出会って面白い展開になればいいと思っていて、そうできないことをみじめに思っている)

・興味を持ってくれる人がいて、相手からやってきてくれる。向こうが質問してくれてこちらが話しを考えなくていい。

・初めから関心あるようなテーマで話せるような状況。

ありそうな強迫観念:

・求められているやるべきことに気づかなかったり、やれない→イライラされる、冷たく見下げられるおそれをはじめから持っている。

・人と楽しく話し、場を持たせる能力があるのが普通。→そうでない(=無能・みじめ)→毎回この感覚になる。

小まとめ・考察:
 パーティに限らず、自分の場ではない他者の場で、基本的にうまく振る舞えないという信念がある。かといって見下げられたりするのは嫌なので避けようとして、あくまでうまく振る舞おうとしている強迫がある。が、いつもうまく振る舞えた感はない。失敗をまた避けようとする。見下げられないように、変な人に思われて、いたたまれない人間関係や状況が導かれることへの大きな恐れがある。自分が問われる状況を避けることが行動を縮小させる。退屈で不満足な状況になる→新しい場にいく→固まる→疲れるの繰り返し、循環がおこりがち。

 

緊張が最初から強いということが、そもそもの前提としてあるように思える。興味があるようなことも気づかない。どうでもいいことや気持ちが話せない。そもそもの緊張の高まりを緩和するということへのアプローチもあるかもしれない。

また緊張が高い状態であっても、何もできずにおろおろしている状態にならなければ、緊張とみじめさのスパイラルになりにくい。一点だけ自分も満足するような質問を考え、それをやる。あるいは言いたいことを一点だけ考える。前回のパーティ的状況では、三人に対してそのようにしてみたが、一点を絞ることによって、それ以上にいたたまれなさが昂じないようであるので、目的なくその場にいるということをケアし、可能な範囲の妥当な目的をつくることは今後の同じ状況への対応手段だろう。

 

当事者研究をやっているせいか、少し以前より苦手な場での「可動域」が増えているような気がする。するべき質問を考えられたりする。