降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

心のニュートラル

心がニュートラルな状態というときのニュートラルに対応する日本語が見つからない。平常心とか、既にある言葉は精神主義的な雰囲気がありすぎて、ニュアンスが別なものとして伝わってしまうものが多いと思う。


ニュートラルな状態とは、ふっと通り過ぎていく自分の求め、きざしのようなそのときの感じに気づけるような状態だと思う。緊張が強すぎると感じにくいし、意識を何かに固着させすぎているとまた感じにくい。


なるべくニュートラルに戻り、それを維持する。すると、自分がこれがしたいと思ってやっていることのうちに無理を見つけたり、本当は別に求めてないんじゃないかと気づいたりする。


よくワークショップの導入などのときに今どんな感じを感じているかと参加者に言ってもらったりするけれど、ニュートラルに近づこうとするなら、あれをふだん細かくやっていけばいいのかなと思う。


今自分は何を感じてるのかなと意識を向ければ、自然と緊張は抜かざるを得ない。そして感じていることをひきつづき気づこうとする。ちょっとした刺激やきっかけで途端にその状態はとんでしまうが、なるべくはやめに気づいて戻る。


ニュートラルな状態で行ったことは、自己一致度が高く、体験になる。自分と外れたことはやっても自分の体験にならないように感じる。役割上のことをやっても自分はあまり動じないが、役割をとられた自分で何かやると揺り動かされる。体験が必要なときは、気を許した状態、それは傷つきやすい状態でもあるけれど、そういう状態で目の前のもの出会っていくと世界に対する感じ方が変わってくるようだ。