降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

まとまりもなく 盆踊り 漁礁 寸劇

友人から盆踊りの話しをきく。
鴨川でやっているそうなのだけど、10人前後のグループで、別の友人が主導して始まったもの。この人がと思う意外なメンバーの加入、そしてその人がまたはまる、というような展開で絶妙にいい感じになっているという。

 

盆踊りは、上の年代にも通じ、また外国の人も興味をもつので、やっていると交流がおこるという。

 

鴨川以外でも、和歌山に行って盆踊りをしたりするらしいのだけれど、現地のヤンキーがやたらとうまい。和歌山行っていると、更に奥地の盆踊りに誘われ、そこでは地域の25歳になった祝いに踊りがされている、など興味深い話しだった。

 

直接的に操作して人と人の関係性を望む方向にもっていこうとするアプローチは、そこから出来たものにちょっと無理がきたり、あまり続かないものになってしまいやすい。だから人口漁礁のような内容のない外枠をつくり、勝手に生態系ができるというアプローチが望ましいと思っている。そこで何かがおこるのがベストだと思う。

 

まわしよみ新聞は、漁礁の1つだと思う。まわしよみ新聞は、新聞をいろいろ持ち寄り、好きな記事を切り取り、別の紙にはってプレゼンするというもの。それ自体に過剰に意味を付与しないことが大事だ。「それはただのそれ」で成り立つものだからこそ媒体の懐が深くなり、展開し、派生すると思う。

 

まわしよみ新聞 | ~オープンソースで「いつでも、どこでも、だれでもできる」が合言葉!むつさとし(観光家/コモンズ・デザイナー)が考案した大阪(應典院生まれ・釜ヶ崎育ち)発信の「メディア遊び」です~

 

鴨川の盆踊りの小グループも漁礁だと思う。ぐるぐるまわって踊るだけだからこそいい。話しをしていてくれた友人はグループが何でいい感じになったかについて「みんな何にも考えてなかったからよかったと思う」と。

 

その感性、老子かと思った。意図することの弊害をよく知っているなあと。これは「余計なことを決してしない、けれど栽培」という自然農的発想とも近いのではとも。

 

盆踊り、僕は一回誘われていたのだけど、よりによってその時に足首をひねり、1週間ぐらい痛くて行けず、機を逸していた。寒くなったのでしばらくお休みらしけれど、今度やるときは誘ってもらおうと思う。

 

あと演劇の話しもしていて、寸劇いいねとか。友人間で、仮の父娘関係、仮の姉弟関係をやっている話しなど。自由な設定で関係を創造するのはいいなと思う。

紳介がさんまに10万円を貸し、さんまはそれを返さないという話しを思い出す。10万円などいつでも返せるのだけれど、それを話しのきっかけにすると、話しかける必然が生まれる。そして、芸能界のポジションや栄華、余計なこと抜きの「くだらない」関係性にいつもセットしなおせる。

 

自分で演劇的なことを何か活動に使ったり、ワークしたりするときは演劇とか演劇的手法とかいわず、「ごっこ」とか「ゲーム」とか言おうと思う。

 

まとまりもなく。