降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

活動

昨日の予報より延びて、雨は昼前から降り出した。

自給の作物づくりの講座を二人で一緒にやっている方と来年度の活動のその後の展開のイメージについて話す。かりられる新しい畑が見つかったので、それをどうするかなど。

 

活動というのは、環境をつくることだと思っている。サバイバルできる環境をつくる。サバイバルといっても、体だけ、生命だけをかろうじて維持する状態は辛い。その状態では疲弊がおこっていて、投資するためのエネルギーが減っている。

 

生きていくということは、エネルギーを投資しながら、投資したより多くのエネルギーを得ていくことだと思う。狩りをするエネルギーのほうが獲物から得るエネルギーよりいつも多かったら死んでしまう。だから、自分がエネルギーを投資して、それより多くのエネルギーを得るというサイクルが成り立つ環境をつくることをサバイバルと考える。

 

既にある仕組みでエネルギーを得ていくサイクルが成り立たなければ、自分で環境に働きかけ、サイクルが成り立つような環境にする。それが自分にとっての活動だ。畑を得て、野菜を買わなくてよくなれば食費は減り、疲弊することに費やす時間は減らせる。自給のために一般の人がイメージするほど広い畑はいらない。たとえば一年分のジャガイモぐらいなら、年に2回植えれるから、ちゃんと育てるなら車1台分の駐車スペースがあればいい。

 

5年前、畑を得た時は技術も知識もなかった。うまくいかない。こうしていても仕方がないので講座を開くことにした。講師は知人だ。まず自分たちも学びながら、ついでに自分たちに近い関心をもっている人たちに向こうから来てもらう。新しい人と出会い、知っている人との関わりを育てる。そこからまた次への展開が生まれる。

 

人の流れを呼び込む。すると自力で全て探さなくてもよくなる。流れに接していれば、それ頼みだけにはできないにせよ、向こうから何かがやってくる。

 

この自分が世界と直接関わり、働きかけられる接点をもつ。すると世界のなかで自分の裁量で調整できることが多くなってきて、自分の不得手を補ったり、むしろ逆手にとったりできる可能性が増えてくる。自分にあらゆる条件が揃ったときに、ようやくことが動き出すのではない。むしろ足りないからこそ動き出せる。バランスの崩れが原動力。次にその原動力が無理なく展開するように環境を調整する。

 

足りないままで、しかし自分の求めが成り立つようにするために、自分が世界に働きかける裁量を増やしていく。自分が仕組みをつくればいい。畑を管理すること、技術をより得たいこと、新しい人に出会ったり、潜在的な仲間とつながることは、それぞれ個別に対策を打たなくても同時にアプローチできる。

 

足りないことこそが動機であり可能性。自分1人で出来ないということは、誰かと関わる理由になる。壁にぶつからないと世界との新しい関わり方は開発されない。逆手にとる。そして自分が疲弊しないやり方でやれるようにする。開発されると楽しくなり、だんだんとエネルギーが運用され、貯まり、それを運用していく状態に近づける。

 

エネルギーの運用という方針を先に決めず、ただ「〜するべきだから」とか「〜したらよさそうだから」という先に明確なイメージのない強迫観念で投げやりにエネルギーを投資しない。これをやった後に元気になるのか。次の狩りが成り立つ基盤が得れるのか。それを吟味する。投げやりさを一つ一つ取り除いていくことで野性の力と感覚が強くなってくる。

 

今、自分たちに足りないものは何か。求めがあるのは、個々が違っていても尊厳を保証される環境、そして老後への対応手段。社会が全部変わってから、それが自分たちまで波及してきて救われるのではないと思う。自分たちの間で小さく何かを成り立たせていく。それが元気と創造する力を生む。そのサイクルを続けていく。

 

三重にアズワンコミュニティというところがあるらしい。閉じた農的共同体の限界を知ったひとが作ったもので、地域にとけ込みながら同時に自分たちの「いい感じ」を成り立たせているとか。話しを聞きに行こうと思う。

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