2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧
大学時代、四国八十八ケ所めぐりをやってみて思ったことは、人は適切な環境とそれを生かす媒体(まるごとの存在が保証されながら同時に固まってしまった自分が揺り動かされる状況が併存するような。)があれば、そこで自律的に変化や回復をしていくというこ…
被害者の告発によって、閉じたコミュニティ内では、主催者やスタッフのような、より強い立場にあるものによって、当事者研究が場でおこった問題を被害者当人の責任に転換し、もみ消すために悪用されうることが明らかになった。 note.com ここでおこっている…
出てきた話題 ・「被抑圧者と共にあることはそれ自体がラディカルであり、中途半端な姿勢では許されない」ということがどういうことだろうか。 →社会から搾取される少女たちの支援をしている一般社団法人Colaboの仁藤夢乃さんの講演を思いだす。仁藤さんは教…
note.com べてるの家の関連施設、べてぶくろで地域住民との間で性暴力被害がおこった。被害者のブログによると、被害者の訴えをきいたべてぶくろスタッフRは訴えを公にするとべてぶくろが地域でやっていけなくなるとして、被害者を黙らせようと働きかけ、そ…
ある催しで、参加者が私はもう上手いダンサーの踊りを見て面白いと思えなくなったということを言っていたのを時々思い出す。 自分のことを動的な関係性そのものとみるのではなく、完結した、閉じた主体だとみなすとき、自分は環境に対して(一方的に)働きか…
昨日の私の探究・研究相談室では場についての話しが比較的多かった。 世間一般では、主体というのは個人のことだと思われている。が、僕の認識ではむしろ場のほうが主体なのではないかと思う。 なぜなら個人が更新されていくために場が必要であるだけではな…
昨日の読書会。 フレイレは、人間の使命とは「より全き人間であろうとすること」だろうという。しかし「より全き人間」という言葉がまるでピンとこない。全きとは言葉通りにとるなら、完全で欠けたところがないということだろう。 完全。結局そういうものが…
あらためて、フレイレを通して「生きづらさ」を考えてみるとどうなるだろうか。まず「生きづらさ」という言葉について、『居るのはつらいよ』の東畑開人氏はSNS上で次のように述べている。 「生きづらさ」という言葉って、心理学ブームが下火になり始めた200…
読書会を一緒にやっている河本さんの投稿から。 www.facebook.com 自然のものなので野菜ができる具合は常にばらつきがあると思う。畑をやっているとできるときは過剰なほどできる。しかし受け取り手の需要は決まっている。ということは、こういうお任せ型で…