降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

おとあそび工房ふりかえりの会

おとあそび工房のふりかえりの会に参加。準備するからだは後手後手にまわる、など砂連尾さんのお話しはやはり面白いなあと思う。メンバーのそれぞれのリアリティもかなり濃縮された知見で興味深い。 舞台にして観客にみせることと、自由さとか、パフォーマン…

「止めるを止める」=「動かす」 吃音についての話しの会で思ったこと

吃音についてのお話し会。止まるということについて話しを興味深く聴きながら色々と勝手な想像を巡らせる。 脳のある部分に障害がおこると、例えばメガネを目の前に提示されると自動的にかけてしまうときく。止められないということ。また歳をとって常時の手…

コミュニティを更新する仕組み

べてるの家発の集まりや当事者研究とも関わっている方がブログを見てコメントをくれ、やりとりをした。 場を単に人のコントロール下にあるものと考えず、どうあれば自律的な何かが浮かび上がってくるのかという視点を持っていて、何が「いい感じ」なのか、直…

緊張感

スマホにいれていたゲームが面白くなくなって削除した。 最後の方は義務的にやっていた。今までやっていた分の蓄積があるから勿体無いというのがあるので少し削除するのが延びただろうか。飽き飽きしてたのはそれまでもあったけど、もういいやとふとやってき…

魔女の宅急便を今頃 飛べなくなったキキ

友人が竹林で手製のほうきを作った記事へのコメントを見ていたらなぜキキが飛べなくなったのか気になってきた。ジブリの作品というのもあって、すぐに検索候補が表示されてくる。 matome.naver.jp 宮崎駿は、聞かれてもこれが理由だと答えていないようだ。確…

学びとコミュニティ

学びに適した環境とは、そこにいる人たちが防衛的にならずにすみ、自分の揺れ動きを安心して表明できる場だと思う。 こうしなければいけないとか、こう考えるべきだ、と強制されるところでは、変化へのプロセスはおきにくい。OSは更新されず、小手先のアプリ…

学び 自律的な現出

学びの環境を整えるという時、自分のあるべきイメージを達成するために自分は黒子になって、という発想はよろしくないと思っている。 むしろ自分の学びのプロセスを展開させるということをど真ん中に置いてやり、それが逸れて虚しくなったり世間を恨んだり人…

旅としての学び 能動という反逆

学びを将来のアウトプットのためのものと考えるなら、明日なき今を生きている人たちにとっては学びは縁遠いものになるだろう。 先のためではなく、今ここ自体を面白いものにするために入る状態がむしろ学びの核心ではないだろうか。獲得するものは、結果とし…

ハンセン病

岩倉の私塾、論楽社で主宰の虫賀さんにお話しを聞いたとき、ハンセン病の方との出会いが活動に与えた影響が大きかったとのことだった。 ハンセン病に関しては、もともと興味もあった。 ハンセン病ほど多くのことが奪われる病気があるだろうか。ハンセン病は…

生と死の転倒 喪失するアンデッド

変化は喪失であって危機であるので、それを乗り越えられるとは限らない。 気軽に変化を求められるのは、状況や状態を変えることによって、実のところは自分のいるところが変わらないで済むからであるかもしれない。 維持したいというのは、生きものの欲求の…