降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

初動の認識 対話が成り立たない理由

アズワン鈴鹿コミュニティは、「当事者研究」で、対話の成り立たなかった状態から対話が成立する状態をつくりだすことに成功した。 一旦コミュニティ的な集まりを作っても、距離が近くなって他人行儀に限界がくると、途端に人の行動や言動が許せなくなる。一…

じゃなかしゃばとしての文化

辞書や学問でどう定義されているか知らないけれど、僕は文化というのはサバイバルということに生を埋め尽くされることをやめるために生まれていると思う。 どんな事故に遭うかわからない。どんな病気にかかるか、どんな障害を生まれ持つかわからない。お金を…

京都文学フリマ お墓に語りかけること

みやこめっせでやっていた文学フリマに行って来た。 文学フリマがなんであるかよくわからないまま、とりあえずフリーターズフリーの栗田隆子さんと修復的司法をやっている小松原織香さんがブース出しているというのでそこだけでもと。 行ってみると、自作の…

高まり

大学時代から話しの場がほしかった。 話しの場がなかったわけではないけれど、足りなかった。友人に頼めば、別にいくらでも話しは聞いてくれただろうけれど、聞いてもらうということがしたいわけではなかった。相手が自分と同じぐらい関心がないことを話して…

バッファゾーンを育てる

今頃昨年を振り返りつつ。 1月〜2月は、アズワンネットワーク鈴鹿滞在。農場などで働かせてもらいながらコミュニティ内で、対話ができない状況を乗り越え、時間を経るごとに関係性の成熟がすすんでいくことを成功させた自己観察の手法を学ぶ。 鈴鹿の外から…