降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧

人という状態

人という言葉がある一方で「人でなし」という言葉もある。人間であるのに人でなしとはどういうことだろうか。あと「鬼」とかいう言葉もあって、一つのことだけを重要視し、それ以外のものには容赦のない態度で臨んだり、切り捨てたりする。 人でない状態があ…

他者としての自然

人は地球の自然のなかで生まれてきて、人工物も自然の加工にすぎないのなら自然に全て依存している。自然は生きものを育んできたが、宇宙からみたら、地球の自然のなかにいるものは外から意思を持った誰かに守られているわけでも、滅びないように予定されて…

高槻の生命誌研究館に行ってきた 

木曜日は高槻市の生命誌研究館に。 鈴鹿の人たちが来るというのでご一緒させてもらう。 www.brh.co.jp 先について入ろうとすると自動ドアが開かない。あれと思って横の手動のドアがあくのかと思って移動しようとすると中のスタッフの二人が出てきてくれて開…

「意味」の空白地帯 学びを取り戻すために

たとえば、学ぶということが生きものにとってもともと備わった行為だと考えるなら。なぜ人間以外の生きものは学校に行かなくてもいいのか。色々な考えかた、こたえかたはあるだろうけど、生きるという、まさに軸に関わることにおいては、生きものは自ら学ぶ…

死が生を生きようとするとき

動いているもの、絶えず変化しているものがあり、その一方で相対的に変わらないもの、固定化したものがある。後者が一種の死であるとしたら、生きものが恒常性とか動的な平衡を保とうとすることは、ある種の死を目指そうとする運動であるともいえないだろう…

6/4「はなす」@本町エスコーラ

6月4日(土)の16時半から東山区の本町エスコーラで対話の試行をします。 もうすぐですが、関心ある方はお知らせください。 生活から離れた抽象的な議論ではなく、かといって雑談でも世間話でもなく、セラピーでもなく、日常と自分に根ざしながら、世界との…