降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

2016-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「私は生きる」という転倒

恵文社の森のお話しの2日後に三浦豊くん夫妻と話す機会をもらった。森のはなし@京都http://www.cottage-keibunsha.com/events/20160220/「森の案内人」三浦豊 森ツアーガイドと場づくりhttp://www.niwatomori.com/森の話しのなかでは、森の価値を論ずるとき…

奪うこと 贈られること

哲学の本とか難しいのが読めないけれど、こういう対話は面白いし、こういうやりとりをいつもできたらいいなと思う。世間話的な話しはできないけれど、対話はしたい。「難しい話し」ではなくて、その人がどうでもいいことにしておけないことの話しが聞きたい…

何でもないもの

看取りや老いについては年をとったら考えたらいいというわけにはいかないのは、それが人間の尊厳を何と考え、そしてそれをどこまで守りきることができるのかという問いそのものだからだと思う。 日々、目覚ましい発達を遂げていく子どもたちがいて、その一方…

居場所 関係性という実態

「居場所」を自分から名乗る場所は既に居にくいという矛盾があるのは、個々のありよう、求められる姿を場のほうから勝手に規定されるように感じるためだ。自分でいられる場所とは、放っておくといつも自分に浸入し、干渉してくる意味への強迫が打ち消され、…

「おふくろさん弁当」で何がおこっているのか

鈴鹿滞在の後半は、アズワン・コミュニティの会社、おふくろさん弁当で働いている方にインタビューをさせてもらうことになった。コミュニティのことを全く知らない一般募集できた人も一緒に働くこの場所でどのようなことがおこっているのか。アズワン・コミ…

インタビューの途中

以前記事を書いたお弁当屋さんで働いている方にインタビューをしている。 kurahate22.hatenablog.com お弁当屋さんは、もともとアズワン・コミュニティに関わりがあった人だけでなく、ハローワークのような一般募集もするので、コミュニティのことを全く知ら…

コミュニティとの距離

コミュニティに対しての関心は、個が生きる環境、個が自由である環境とはどのようなものかというところなので、とにかくコミュニティになればいいとか、コミュニティというもののほうを目的にする話しとはむしろ逆の立場になる。どんな労働分配ができたとし…