降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧

生き延びる理屈とやさしさの理屈

生き延びる理屈と、やさしさの理屈は別々のもので、前者が飽くなき意味(有用性や勝利)の追求であるのに対して、後者は人間の評価に関して、その人が他の何かに対して有用性があるかないかという判断が侵入することを断固としてはねのけようとするものだと…

自意識は自分を変えることができるか

少し前に回復について書いた。インタビューさせてもらって、お話しを聞かせてもらいながら、自分なりの確かめの一つを済ませることができた。 自分というものの、今この状態は、自意識としての自分が変えなければいけないのか。自意識が変えるものなのか。考…

人が回復していくところ

人の変化、回復とは何か。それはどのような契機で、どのような環境において進んでいくのか。自分なりに確かめてきた。人は生涯を通して回復していくことができる。回復というものを今言葉にするならば、それは生きていくなかで内在化され、生を疎外するよう…

心のニュートラル

心がニュートラルな状態というときのニュートラルに対応する日本語が見つからない。平常心とか、既にある言葉は精神主義的な雰囲気がありすぎて、ニュアンスが別なものとして伝わってしまうものが多いと思う。ニュートラルな状態とは、ふっと通り過ぎていく…

自律的なものとのつきあい

アサダさんの「表現のたね・歌の景色 〜アサダワタル新著&新譜リリース記念ライブ&トーク〜」に参加。鈴鹿にいくために終わり切らないところで退出したけれど、歌の合間の音楽の話し、面白かった。滋養になっていく感じ。多分、滋養になっていくと感じること…

「勝つ」こと負けること 

加藤わこさんと一緒にやっている小さな話しの場「たそがれトークバック」、今年の初めは2月の後半ぐらいを考えています。 この催しのそもそものきっかけは、僕がわこさんのマガジン「わたしはわたし」創刊号の ”特集「負け組」の主張 1.いま、シャッター商…

取り去るものとしての「学び」

少し前に話しをしたときに、学びという言葉が出た。学びに限らず、政治なり、活動なりについても同様に思うけれど、よく検討するなら、自分はそれをやってないとか関わってないということがそもそもあり得ない。やってないとか、関わっていないとかいうのは…