降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

マイクロアグレッションという陵辱

無自覚な差別意識の吐露についての話になる。本人は自分が差別意識を持っているとは思っていないが、受けたほうは屈辱の経験として記憶される。丸一俊介さんは、マイクロアグレッションとは「日常的な侮蔑や見下し」ととらえている。そしてその侮蔑や見下しをしていることを言った本人は気づきもしていないことが多い。

 

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差別の問題、また日常的な侮蔑や見下しの問題が、マナー意識とか、意識高い系みたいな受け取られ方があるので、そもそもの話からはじめたい。差別、侮蔑や見下しは、人間を価値ある人間や認められる「人間」とそうでない「人間以前」にするものであるということ。


「人間以前」とは大げさな言い方のように聞こえるかもしれないが、「一人前に対する半人前」とか、未だ社会に根強い「(価値ある)男に対する(価値のない)女」「美しい人と美しくない人」のような、世間において頻繁に使われる言い方にあるものだ。だが頻繁に使われることに何の正当性も根拠もない。もし社会環境がより文化的になったならば、横行するこれらの見下しや侮蔑は、劣悪で非文化的な環境の所産とみなされるだろうと思う。

 

これらの言葉によって実際に「下」にされる人たちにとっては、「人間以前」はその人に屈辱としてずっと残り続ける妥当な言葉であると僕は考える。差別や侮蔑、見下しは人を「人間」と「人間以前」することである。そしてこの行為はその人の実存に深く傷をいれる「陵辱」であると思う。

 

陵辱は陵辱であり、そこにマナーも意識も高さもない。無自覚無理解であっても人を陵辱したことを人として知ったなら、これは世間では普通のやりとりだとか、細かすぎだとか、言い訳で逃げることはできないことだろう。(だが現実にはこうして逃げる人が多い。)

 

丸一さんの記事では、日常的な侮蔑や見下しを受けた人の記憶力や集中力は、露骨な差別を受けたときよりも下がったという実験結果が紹介されている。言っている本人さえも無自覚な日常的な侮蔑や見下しは、明確に否定できる差別よりもむしろ悪質な面をもっている。記事では「日常的にマイクロアグレッションにさらされることで、マイノリティは本来の力が発揮できず、より不安でパワーレスな状態に置かれてしまう」と指摘している。

 

日常的な侮蔑や見下しは、それを受けた人の可能性を奪う。何の気になしにその人の可能性を奪ってしまったから自分は悪くないと自分を正当化することは道理にはかなわない。悪気なくあなたを陵辱してしまったのであるから自分には問題があるわけではないということは成り立たない。やったことと無自覚さは何の免責にも関係ない。

 

以上、差別や往往にして無自覚な日常的な見下しや侮蔑が一部の意識高い系の話し(また意識高い系に「差別」されている自分が可哀想、意識高い系による我々に対する「差別」には断固反対する!というよくある屁理屈は蹂躙を先にした自分をまるで問わない厚顔。)ではなく人を「人間」と「人間以前」に分ける行為でありそれは人間の実存に対する陵辱であること、無自覚さはやったことの大きさを軽減するものではないことを確認した。

 

また、人を「人間」と「人間以前」に分けるということは感覚の話ではない。それは筋の話であるのだけれど、それも理解されていないようだ。「あの人は気にするから(文句いうから)ここでは言わんと別のところで言おう」としても、別の場所で人を「人間」と「人間以前」に分ける物言いを他人がいるところでしているのなら、その人は自身の差別行動や他者の実存への蹂躙をやっていいと思っている。

 

その見下しや侮蔑は周りに伝わり、聞いた人を蹂躙している。社会環境を悪化させているといえる。

 

知ったことか、自分は言いたいことを言うと思うかもしれない。それを止めることはできない。何度抗議しても変わらない人はいる。だからデメリットというところでも提示したいと思う。

 

自分の発言に内在化している見下しや侮蔑、差別に対して、人に伝わる場所で話すのをやめないという場合、もちろんその人はその言動によって「人間以前」にされる人からは信用されず、忌避される。もちろんそれだけでは終わらない。

 

その人の言動が自分の友人や知り合いを傷つけうると判断する人たちからも信用されない。その人と関わりがあっても、自分や自分の友人を守るために致し方なく関係は距離を確保したものになるし、その人を重要な場面に介入させることも、誰かに紹介したりすることも控えられる。もしかしたらその人と友人である、知り合いであるということで自分も同じ価値観を持っている(またはそれを許容している)と疑われるのではないかとさえ思うだろう。


その人は自分の好き勝手なことを言って誰かを蹂躙しているが、それに無自覚な人が周りに残る。そうするとますますその人は他の感覚を持つ人からは忌避されるだろう。忌避は、積極的な攻撃ではなく、その人から自分や自分の周りを守るための致し方ない防衛だ。何を考え、何をいう事も止められないけれど、人はその人が行なっている尊重の水準に応じてその人を信頼する。都合のいい関係を求めるなら、相手からも都合のいい関係をもたれる。

パペットマン

明確な攻撃や差別発言ではないけれども、それを聞いたり見たりする人を消耗させていく言葉がある。


場において相対的に「弱い」人の立場に対して、自分はできる、やっている、(「望ましい」状態に)なっている、義務を果たしているというような「強い」価値(抑圧的価値観なのだが。)を達成していることをその発言のなかに前提させる。あからさまでないにしてもできている自分、あるいはその価値に対して格闘している素晴らしい自分を提示する。

 

世間一般的にはこのような仕草は肯定的に受け取られることも多い。やる側も受けとめられると知っているからこそ、繰り返しその受けのいい仕草をして、同族に賞賛を受けようとする。賞賛でエネルギーを得るのだが、一方でその価値観に否定される人たちはすり減らされる。それはウィンウィンではすんだりはしない。その価値に否定される誰かをだしにしてエネルギーを奪う吸血行為だ。

 

嫌になるほどありふれたそのような欺瞞の仕草や言動とは何であるのか。松岡宮さんの詩「謝れ職業人」はそれを喝破している。一般的に「常識」とされることや「望ましい」とされることが、いかに欺瞞にみちた自慢であり、グロテスクな行為であるのかが伝わってくる。

 

ーー
そう、あなた

今日も働いて働いて

上司に怒鳴られてもがんばって

同僚とのおしゃべりで気晴らして

ときどき仕事でも嬉しい事があるんだよ・・・

それなら

足下を見ろ

そこに横たういくつもの白い腹を見ろ

 

白いブヨブヨした腹を踏みつけてサーフィンしているあなた

イエイ♪ゴーゴー♪しているあなた

内臓破裂の暖かさに包まれている

あなたは

すべての弱いものに謝罪せよ

あなたの強さを謝罪せよ
ーー

◆Miya Matsuoka 活動歴・受賞歴等◆

miya.o.oo7.jp

 

これを読んで反感をもつのか、それとも自分がもつ欺瞞性に思いがいたるのか、反応はさまざまであるだろう。

 

この社会で人が人を尊重するということは、どういうことだろうか。尊重とは誰かの生きてきたプロセスを自分が知ることなど決してできないという不可知をわきまえる姿勢であり、自分が誰かの存在の価値の上下を診断するようなことを決してしないという誓いを言動に反映させることだろう。

 

そんな水準のことはできないと思うかもしれない。世間一般の倫理的水準はここよりはるかに下だ。だから自分はそんな面倒なことはしないと思われても止めることはできない。しかし、やろうとしない人と、間違いをすることが避けられなくてもそこに向かおうとする人の違いはとても大きなものだろう。

 

揺れをもつ人が尊重される向こうに、その人も知らないその人の可能性がある。マイノリティは、マジョリティ受けする仕草(特に一見マイノリティに受容的そうにみせたり、本人が自分はマイノリティに優しいと信じていたりするのがたちが悪い。)を踊り続けて精神的なエネルギーを吸い取り続けるパペットマンのような存在に日々消耗させられている。法律でそういう精神的なエネルギーに対する吸血行為が禁止されていなくても、本当にやめてほしいと思っている。

 

マイクロアグレッションという言葉がある。明確にとがめられる水準にない、微妙な差別発言、往往にして無自覚に人を小さく毀損する言動などをさすようだ。マイクロアグレッションなんてことを気にしていたら何もしゃべることができなくなるではないかと思う人もいるだろうが、それがどれだけの人の時間を毀損し、消耗させているかを想像することは意味のあることだろう。

 

マイクロアグレッションを無自覚に連発している人は、それによって信用を失っており、周りからは表面的な付き合いの対象としか思われていない。人の存在に対して深い尊重を提供する意味を知らない人は、自分自身を様々な可能性から疎外していることも知らない。

 

ある人が存在として本当に尊重される場を文化的な場と呼ぶならば、文化的な場は世間にはほとんどない。日照りで乾いた川だった場所の、大きな岩陰の下にかろうじて残った水たまりぐらいしかない。だが人の存在が本当に尊重されるということがどういうことなのかを知っていこうとするならば水たまりは増えていくかもしれない。

 

副校長が真っ当な批判をするビラを配る生徒を逮捕して警察に突き出したり、亀田製菓に意見する高校生にデマを含んだバッシングを多くがするようなことがまかり通っているこの非文化的な社会環境において、文化的環境を目指し、つくることは今の社会環境で幅をきかせている側にとっては、うるさくて叩き潰したい営為に思えるだろう。

 

しかし自分たちの周りでは、そういう非文化的環境を文化的環境にするという反逆をしていきたいと思う。やまないマイクロアグレッションや人の苦しい経験を自分の見栄えやステイタス確保のだしにすることに対しては反対していく。法律違反でなくても、その言動は環境を非文化的な荒野にすることに対しては、尊重の水準が足りないということは伝えていく。

 

「強い」側の価値(マイノリティに一見「寄り添う」ような装いをするものを含む。)にたって、そうでない人の精神的なエネルギーを日々吸い取って消耗させるパペットマン的行為はやめてほしい。

錯覚の民主制のなかで

毎月、大家さんに家賃を渡しにいく日は、お互いの問題意識を話す機会にもなっている。

 

今日は宮城県大崎市の市民条例(大崎市話し合う協働のまちづくり条例)の話しを聞かせてもらった。大崎市の行政は、よくある他の地域の行政とは違い、積極的に主役を降りて、大崎市民を考える主体としてむかえ、市民条例も行政の官僚的言葉ではなく、市民が日常に使う言葉で作られている。

 

大崎市話し合う協働のまちづくり条例

http://www.city.osaki.miyagi.jp/index.cfm/10,377,c,html/377/hanashiau_kyoudouno_machizukuri_jourei_tikujoukaisetu.pdf

 

香港の人たちは民主主義とは自分たちが行うものと考えていたと思うけれど、こちらの社会では国がやるものだと思われている。仕組みを作るのは自分たち庶民ではない「えらい人たち」であるということがあまり疑問にも思われていない。

 

大家さんが調べたところによると、ギリシアでは、「市民する」という意味にあたる動詞があったという。市民は統治システムによって決められた、動かない名詞ではなく、動的なものとしてとらえられている。

 

動詞の名詞化については、たとえば「ひきこもる」という動詞が「ひきこもり」というように名詞化された時、その名詞に括られた人はあたかも檻に入れられたように自分が動いていく可能性を奪われてしまうという批判がされている。

 

「ひきこもり」という名詞は当事者を過程と見ない見方であるといえる。それは主体を奪う言い方であり、動きをあらかじめ奪うような効果を発揮する。

 

一方、「ひきこもる」という時、それは「ひきこもり」のようなもう決定されてしまった「病態」ではなく、あくまで主体があり、主体の意志があり、過程(プロセス、変わりゆく途中)であることが含まれている。

 

自分は「ひきこもり」なのだと名詞化してとらえるとき、自分は主体を奪われ、選択以前の無力な存在と認識されてしまう。しかし、「ひきこもる」のであれば、それは選択であり、過程であり、自分には選択の力があること、今の状況には必然的な理由があることが含まれている。「ひきこもる」という動詞には、その状況から出ていく糸口の存在も示唆されているのだ。

 

一方、「ひきこもり」という名詞にされてしまえば、その定義は専門家が決めるものであり、その対処法もまた専門家に任せるものとして認識されてしまう。動詞の名詞化は、その重大性が見過ごされているが大ごとなのであり、名詞化自体によって、実際に「ひきこもる」を過程が過程であることを見失わせることによって、なくてもよかった停滞や副作用をひきおこし、当事者から力を奪うものであるということが認識される必要があるだろう。

 

 

「市民する」という動詞が過程を奪われ、「市民」という名詞のみになっているところでは、また「市民」も権威が決めた定義のもと、主体性や自律性をあらかじめ奪われた存在として自身を認識してしまう。

 

だが「市民する」という動詞にあたるものがまた作り出されるなら、大崎市のように市民とは「市民すること」によって生まれてくるものであり、行政に思考をお任せするのではなく、奪われた思考する過程を奪い返していく必然が認識されるだろう。

 

皮肉にも、専門家がつける病名ではなく、自らが自分の苦労を名付けることによって、その苦労の本質を自覚し、受動化されたところから主体を奪い返していくものだった「当事者研究」が、当事者研究の「専門家」によって、専門家の不祥事への向き合いを避け、当事者の内面の問題にするために使われたという「当事者研究の悪用」の告発が今なされている。

 

専門家から主体性を奪い返すためのものであった「当事者研究」もそこに専門家や権威ができると、その人たちの出世や成功に都合のいいものとして使われ、当事者は提供されるツールに従う受動的な存在に固定されてしまうことがわかった。

 

誰かに作ってもらった枠組みに依存させられること、そもそもの枠組み考えたり、調整する体験過程を奪われることが問題なのであり、個々人が本来持っていた環境を変えていく力を無力化し、自身の評価を低いままにとどめてしまう原因になっている。このことに時代は気づく必要があるだろう。

 

国がやっている民主主義とは、選挙制度のようなことであり、それは民主と名づけるにはあまり不足であるだろう。自分たちの地域のことが行政の専門家によって決められ、自分たちにはわかりにくい言葉で決められ、自分たちが関わらなくても、一見まわるような錯覚に陥らされる。

 

民主という言葉を使うなら、思考の主体であり、自分たちが枠組み自体を考える主体性の回復こそが、民主化とよばれるに値するのであり、思考の過程を奪われ、枠組みを調整する資格をあらかじめ奪われているところは民主化されていないと認識する必要があるだろう。

 

さらに根本的に考えるなら、民主という言葉がどういう原義なのかも気になる。作家の赤坂真里氏が「日本人にとって「民主主義」のリアリティはあるか」という投稿において、democracyの由来について調べた経緯を紹介している。

 

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英語圏の感覚を持った赤坂氏の友人たちによれば、democrcyという英語の「cy」は、外来語に用いられる時によく使われるものであり、英語ですらdemocracyは外来語的で、土着感覚がない言葉であるらしい。

 

ギリシア語までさかのぼれば、「ギリシャ語 demokratia の構成は、demos“common people(一般的人々)”、その語源としては”district(地区)” + kratos(支配、力)」となり、「demo はさらに古い形は da であり、「分ける」の意。英語の divide の語源の一部」であるとのことだった。

 

赤坂氏はさらに問いかける。

「なぜ「人々」が、「地区」と同義であり、より古くは「分ける」から来るのか?」と。

 

そこにあったのは、奴隷制という前提だった。

 

「ただ漠然とした集落単位というものはなく、人の集団の単位はいつも、その「管理」と結びついている。」

 

赤坂氏は、日本における小学校区や氏子の範囲などが、市町村区の区分け以上に生活に根付いた実感的な概念であることに言及し、「「管理しやすいように分けた、人々の単位」、それが demos であり、時代が進むと「民衆(common people)」の意味になったのではないだろうか。」と推測する。

 

民衆とは人である以前に、ある地区区分に従属する管理対象、管理資源としてあったのだ。そしてアテネにおいて、民主主義は民衆から生まれたものではなく、皇帝が与えたものだったという。

 

赤坂氏は、democacyと質の良い労働力および士気の高い戦士の大量獲得には密接な関係があったと指摘する。

 

皇帝のために戦うと考えるより、自分たちで自分たちを守ろうと認識したほうが士気は上がる。それは日本における大正デモクラシーの実態とも一致するし、兵士として男性に劣ると位置づけられた女性の選挙権獲得が遅れることとも符合するようだ。そして現代においても、民主制は支配者が行うものである。

 

民、民衆、それぞれに生きている人を一まとまりにし、管理することが前提であった民主主義は、いまだに管理するものと管理されるものを前提に存在するものではないかと思われる。一人一人は、はたして「民」であるのだろうか。

 

動詞が名詞化されるときに主体性が奪われていたように、統治するシステムによって、「民」と名づけられ、「民」であることが本来だ、当然だと信じさせられることによって主体は奪われているのではないか。そのように思わされる。

 

そうかといって、現状を全否定しても何も展開しない。そこで表と裏をただひっくり返す革命のようなことではなく(結局それは支配と管理の発想が変わらない)、思考の主体、環境との関わり方の枠組みを考え調整する主体をそれぞれに取り戻していくことが転換に向かう一歩一歩となるのではないかと思う。

 

皇帝(統治システム)が民衆をして自分たちが主体だと錯覚させながら支配する仕組み。それがいまだに続いている。「民主主義」は到達点ではない。いやもしかしたら到達などというものはないのかもしれない。しかし、この体制内にあっても、様々な水準で、いまだ奪われている主体をそれぞれに取り戻していくということができるだろう。

 

人が主体性を取り戻していくことは、実際上は奪われている主体性、自律性を奪い返していく反逆として現れる。事を荒立てないことは現秩序を補強するが、権力が必ず腐敗するように、そのことは自身が生きている世界の牢獄化をすすめる。現秩序を維持することに加担するのもまた暴力であり、実際は「事なかれ」などではないのだ。

 

しないことが非暴力だと高を括ることなどできない。現秩序の維持と更新のどっちを選んでも、それが暴力性を伴うことは否定できない。だからこそそこに単純な割り切りではない繊細な倫理性が要請され、それが育まれていく歴史的必然がある。

現秩序への反逆としての人権概念

福祉や教育、人権啓発系などの団体が内部では人権侵害している話しがよく聞かれる。企業や大学などのハラスメント委員会や相談機関みたいなものが、実態としては被害者の人権を守るよりももみ消し機能として設置されている話しもまた。

 

日本には「みんなの迷惑にならないよう」とかいうような、通俗道徳はあるけれど、実態として人権という概念は存在していない。

 

人権もあくまで自分たちに馴染みのある通俗道徳(よく聞くと実のところは保身のための処世術なのだけど)の枠組みのなかで理解されるので、今日本で人権として定着したイメージはそもそも人権とは別ものだろう。

 

もしここの社会で昔のアメリカのようなわかりやすい奴隷制があったとしても、それが「一般的」だったら、多分制度を変えることによって混乱がおき、社会の回り方が変わってしまうようなことは「正しくない」と判断されるだろう。

 

そしてそれを変えようとする人が現れれば、「お前のせいで私や私の周りの人が迷惑を受けるんだぞ」となって、周りもそうだそうだとなるだろう。たとえ一定の理解は示す人がいても賛成は決してしない。事を荒立てるのがここの社会では悪だという感覚が幼い頃より強く内面化され、身体化されているから。

 

人権はそもそも一方的に支配される関係に対して、反逆として生まれてきたはずだ。多分、その当時も「民は大事だが暴力的に事を変えるのはいかがなものか」「今の制度以上のものを保証できないのなら無責任だ」という向きもあっただろう。にも関わらず、「社会」を混乱させながら人権概念が提示され、力でそれを認めさせた。

 

「暴力反対」は抑圧的な秩序を敷くものにとっても大変都合がいい。まず自分たちは暴力で土地や富を奪い、裕福な支配階級を形成したのちに、「機会平等」な社会を作って暴力をやめましょうという。ところが裕福なものはスタートラインが違うので、今のこの社会でもかつての士族など特権階級がそのまま富裕層にスライドしている。自分たちが揺るがないようにガチガチに仕組みを作って、見かけ上は平等にする。

 

そしてこの構造的暴力のなかで、どうしようもなく暴発する人は犯罪者として取り締まり、見せしめとして罰を与えるのだ。

 

自分自身もまた通俗道徳(正しいかどうかは問わず、強いものを仕方ないとまず無条件に認め、そこからの自分の被害を最小化する「処世訓」をつくる。そして周りにその処世訓を押しつける。)に浸った環境では何が筋なのかがぱっと見えにくくなっている。だからやはり筋がなんなのかをきちんと確認していくことが必要だ。

 

人権概念の確立とはそもそもみんなが我慢して構造的暴力を黙認した「平穏」を否定した反逆であって、力でそれを社会に認めさせたもの。人権は別に事を荒立てることを悪などとしていないばかりか、積極的に抑圧を解体しようとして生まれてきている。人の本来とはどのようなものか。まだ体験していない人の本来を目指している。

 

社会が自身のいびつさに起因している自殺の増加には向き合わないのに、一方で過剰に「生命」至上主義をとっているのは、一つは自身がかつて行ったようなことを自分にして返されることを防ごうとしていることがあるだろう。

 

「お前の行動のせいで誰かが死ぬことになったらどう責任をとるのだ」ということだ。誰かが社会を揺るがすようなアクションをおこすこと、現秩序に亀裂をいれるようなことなど、「すること」は徹底的に潰そうとし、自殺生産回路である構造的暴力への干渉に対しては「生命」をたてにとる。

 

「する」暴力は悪だが「しない」暴力はどんなにその影響が大きくても許容される。当然に暴発がおこるわけだが、その暴発からは社会的文脈、歴史的文脈が奪われ、その人個人の悪にされる。よって、社会を変えるということは、おこった暴発に対して、本来提供されるべきだったものが提供されていない人間の毀損が問題だったわけで、その人個人だけの責にするのではなく、社会を変えていく契機として応答する必然がある。

 

人権と通俗道徳はその核において水と油のように相反するものだ。

 

なぜならば人権は未完成な現秩序を更新していくこと、人の本来のありようが現秩序によって毀損されている人を本来のありようにもどすことが目的とされているので、そのために現秩序を変えていくということが内在されている。

 

一方、通俗道徳は先にも述べたように、今強い現秩序を仕方なしにであれ受け入れ、それを前提にしたうえで、被害を最小化しようとする保身の処世術であり、それは周りに同調圧力をもって強要される。

 

(もちろん通俗道徳は支配される側が守るものであり、支配する側は何でもありだ。さらには支配するものは通俗道徳をたてにとって、自分たちの都合のいいように人を利用し、搾取しているという自らの意識さえごまかしながら搾取する。べてぶくろにおいて性暴力事件が公になることを抑圧しようとした事例でも、べてぶくろの活動に支障がでるから(=みんなに迷惑をかけるな)と被害者に世間に対する沈黙を強いたように。)

 

ここの社会にいるものにとっては全く位相が違うもので、あり得なさそうなもの。それが人権だ。

 

人権は現秩序を守るものではなく、現秩序に埋没して感覚まで浸かってしまっている自分たちが、本来の人のありようとはどういうものかを既に知ったものとせず、探究的に問いながら、本来の人のありようというその理念の実現に対して踏み出していくことだ。

 

人権概念が生まれたそのそもそもの経緯を踏まえるならば、人権を守るとは細かいマナーを遵守して既にあるものを維持することではなく、隠されているため見えなくなっている現秩序のゆがみを見つけて、「本来の人のありよう」が毀損されている現状況を変えていくこととなるだろう。

 

人権概念はもともと未来志向だ。通俗道徳が現秩序を支配者を認め、既にあるものに閉じるのとは逆だ。人権概念は現秩序への反逆を宣言するものであり、実践として当たり前となっている現秩序を変え次の当たり前に更新していくためにある。

 

さて、冒頭で述べたことに戻ろう。既存のものが人権を守るためには用をなさない状況がある。専門家の診断によって奪われた主体性と苦労(その人として生きている固有のプロセス)を自らに取り戻そうと生まれた「当事者研究」もまた、当事者研究の専門家によって簡単に支配や搾取の道具にされうることがわかった。

 

当事者研究もまた、その枠組みを専門家のような権威におまかせしてしまうなら思考の主体は奪われてしまう。ならば、どこからはじめればいいのか。当事者研究をしても、なおそのことが専門家から研究の対象にされてしまう。

 

しかしこの状況をまた当事者として「研究」していくことが奪われた主体を取り戻していくことになるだろうと思う。つまり社会公共的組織においてもなぜ人権侵害がおこっていくのか、それはどのようなパターンをとり、それに対してどのような対応が可能なのか。そのことを「専門家」にまかせず、自分たちで研究していくことが奪われた主体性を取り戻していくことになるだろうと思う。

 

ハラスメント委員会がなぜもみ消しをするのか、それを宿命論的に認め、世界とはこんなものと絶望し、孤立するのではなく、客体化され、無力で自分に必要な枠組みを自分で考える力がないと位置づけられている当事者たちがそれを逆に「研究」していくということができる。世界とはなんであるかを確かめていくのは専門家ではなく、自分なのだというところに戻る。そしてこの現状を変えていくのまた自分だ。

 

隅に追いやられ、何の能力もないと思わされているけれど、自分なりに確かめていく必然があることは確かめていける。そして環境をつくりだしていくこともできる。「専門家」が管理するこの社会において、お客さんになり、その結果好きにされるところから逸脱していこうとするとき、自分にふりかかってきた必然に応答していくという選択肢がある。

 

そしてこの主体化は、まだ知らない「本来のありよう」を問い、探究するものであり、環境を実際に変えていくものとなるだろうと思う。

認識の変遷 「場づくり」から「結果的な接点づくり」へ 

大学時代、四国八十八ケ所めぐりをやってみて思ったことは、人は適切な環境とそれを生かす媒体(まるごとの存在が保証されながら同時に固まってしまった自分が揺り動かされる状況が併存するような。)があれば、そこで自律的に変化や回復をしていくということだった。


それまでは心の構造をより知れば自分の理解が深まるという認識だったのが、場の状態とそれによる自分の状態の変化を感じとるような感覚がもどっていけば、既知の知識で自分をコントロールしようとするよりもずっと自然に滞りを打破して変化できるようだという認識になった。

 

以後、「技法」みたいなものよりも、場とは何か、変化がおこりうるような場はどのように生まれるか、ということを考えはじめた。

 

いかに直接に意思で働きかけず(直接だと自分にも他人にも抵抗と反動が生まれる。)、強迫的になってしまうような目的を設定せず、逆に世間では当たり前のように価値として提示される強迫の影響が一時的に気にならなくなるような、打ち消されるような、意識が普段向きがちな焦点をいい意味で奪う「建前の目標」のようなものを設定するか。強迫的なものが打ち消されたとき、自律的なものが動きはじめる。回復が回復しはじめる。

 

そういうことを考えてきたけれど、今年から、自分が関わっている畑のオープン日をもうけてみて、ぽつぽつと人が来るようになって、また見えかたが変わった。

 

kurahate22.hatenablog.com

 

どうしても自前で構成した場をあつらえなければならない、ということはない。世界は本来多様であって、それが様々な社会的制約によってコンクリートで三面張りした河川のように画一化されて、多様な個々人がその変化に必要な体験をする環境が奪われているけれども、それでも個々人はやりとりのなかで、一時的に発生するような場において、間隙を縫って自分に必要な体験をしようとしていて、自分の「時間」を動かそうとしている。

 

前にお世話になった西海岸というコミュニティでは、町家の1階が24時間解放されており、様々な人が交流していた。面白かったのは、茶の間でおとなしい人、発言しない人たちが、食事会の時の皿洗いなどをするというかたちで、茶の間とはまた質の違うやりとりをしていることに気づいたことだった。

 

みんなを同じ場にポンとだしてそれぞれに必要なやりとりがおこるわけではない。それぞれの人に必要な環境のグラデーションがあり、そのようなグラデーションにおいて自分はどこにジャストフィットするのかはその人自身さえも言語化したり認識するのは難しい。しかし必要なグラデーションが先に存在すれば、その人は感じとり、自分をそこに置くことができる。

 

変化は自律的なものの自律的な変化であり、それを邪魔しているものがあるので、その邪魔をとるというふうに考えるのがいいと思っている。対象を「変えよう」とするのではなく。

 

個々人には自分で場を感じとる力があるので、自前で場を用意して待つのでなくても、自分の既知の外の世界に関わっていく何がしかの活動をしていくなかで、そのような「誰かにとって一時的にその人の時間が動く」場は派生的に次々に生まれているはずだ。

 

ある環境にどのような文脈が横たわり、交差しているのかは、釣りをするときにそこに魚がいそうかどうかのような、あたりをつける感覚や試行錯誤は必要になってくるけれど、自分個人がやることは「場づくり」というより、「結果としての接点づくり」でいいように思うようになった。世界は本来的には多様であり、人も自律的に必要な場所に自分を置くことができるのだから。

 

「結果としての接点づくり」はねらってないところにおきる。なので、自分にとって必要な体験をするための活動(自分がそれをやっていることで、自分に必要な体験が結果として提供されるような活動)はそれとして必要だ。

 

ただそこに全ての重心をかけるのではなく(かけるとうまくいかないときバランスを崩してしまうし、余計なアイデンディティになってしまう。)、派生的に生まれるものの面白さを楽しみ、派生的に生まれてきたものによって自分が更新されながらやっていくという感じがほどよいのかと思う。

当事者研究ネットワークに求めたいこと 「当事者研究の悪用」への向き合いを

被害者の告発によって、閉じたコミュニティ内では、主催者やスタッフのような、より強い立場にあるものによって、当事者研究が場でおこった問題を被害者当人の責任に転換し、もみ消すために悪用されうることが明らかになった。

 

note.com

 

ここでおこっていることは、当事者研究を用いてという点をのぞけば、組織やグループにおいて何度も何度も繰り返される抑圧だと思う。

 

DAYS JAPANアップリンクなどの事例をみても、教育系、福祉系、人権啓発系など、指導者的な立場の人、より強い立場の人など、「教える人」「わかっている人」「正しい人」「いいことをやっている人」など、道徳的な権威がうしろだてになっているような場合は更に問題が対処しにくくなり、深刻化しやすいようだ。

 

くわえて当事者研究に限らず、自己理解、探究のツールみたいなものを出している組織だと、そのツールを使って現支配体制の維持のための問題のもみ消しがはかられる。被害者が何かを問題と感じるのは、「まだわかっていないから」とされ、それを被害者に信じさせようとする。何度も見聞きしてうんざりする話しだ。

 

当事者研究界隈において、もし性被害だけに謝罪がなされ、当事者研究を用いた二次加害に対してはなんら態度が表明されないのなら、この問題は今後も至るところで繰り返しおこるだろう。

 

当事者研究ネットワークとして、この閉じたコミュニティにおいて権力関係がそもそもいびつになりやすいこと、当事者研究も転用されうる可能性を明言することが必要なのではないかと思われる。

 

取り返しのつかない被害を生む前に、被害を受けているのではないかと感じはじめた人が相談できる仕組みが作られないのであれば、今後も被害者は組織内では言いくるめられ、外部の人たちは「あの団体はいいことをやっているから」ということで、判断が歪められ、問題が取り返しのつかない状態になるまで放置されるだろう。

 

今回の告発は、実際に5年放置され、告発がなければうやむやにされた事例であると思われる。そして当事者研究ネットワークのなかでも重要な位置を占める人がこのもみ消しに該当することをやっている。

 

にも関わらず、先に出された声明ではこのもみ消し側であるべてぶくろの代表の連名で出されており、当事者研究ネットワークがこの代表の行ったことを許し、これ以上の向き合いはしないという姿勢を表明するものになっている。

 

toukennet.jp

 

(その後に出されたべてぶくろ代表の声明も真摯な謝罪の体をとりながらも自身の間違いを認めるのではなく、あくまでも不十分さ、至らなさの結果というかたちで最大限に主体的責任を無化し、当事者研究が二次加害に使われることへの問題提起を無視している。)

 

www.bethelbukuro.jp

 

当事者研究ネットワークは、当事者研究の場において発生する根深い問題に向きあおうとするより、現支配体制を維持することを優先していると現時点では受けとらざるをえない。

 

提起されている問題への向き合いをこのまま避け続けるなら、社会からは当事者研究自体が実質トップダウン組織による弱者搾取の自己啓発セミナーのようにみなされていくだろう。当事者研究ネットワークが自身に対してけじめをつけられるのかどうかが問われていると思う。

6/26『被抑圧者の教育学』読書会ふりかえり

出てきた話題

・「被抑圧者と共にあることはそれ自体がラディカルであり、中途半端な姿勢では許されない」ということがどういうことだろうか。

→社会から搾取される少女たちの支援をしている一般社団法人Colaboの仁藤夢乃さんの講演を思いだす。仁藤さんは教えたり指導する立場として関わるのではなく、「女の子たちと一緒に」活動をしていると言われていた。

 

『被抑圧者の教育学』において、フレイレは相手を無知な存在として関わるのは痛切なあやまりであって、それは自身の抑圧者としての立場を保持したり、そこに戻ろうとしているようなものだと批判している。

 

Colaboの活動では、少女たちから出てきたプロジェクトもあり、仁藤さんも少女たちの声自体がもつまっとうさを信頼し、それによって自分の軸を再更新したり調整していっているように感じられる。そこは教えるものと教えられるものの役割が固定された場ではなく、法人の名前の通りの協働がおこっているように感じられる。

 

フレイレが「教育」だということは、世間一般には反「教育」である。里見実は教育はそもそも抑圧の行為ではないかと指摘しているが、その上でその抑圧の行為を反転させうるときに教育が本来の教育としてあるという。

 

僕も教育という言葉自体をあまり使いたくないので、まだマシな感じがする学びや変容という言葉を使っているが、Colaboのような場こそフレイレがまさに示している
学びの場であり、変容の場であるのだろうと思う。

 

 

・実践と省察の不可分性について

フレイレは、実践なき省察、また省察なき実践はあやまっていると指摘する。「実践」が何を意味するのかを考えてみる。僕は「実践」とは自分の既知の外にでて、そこにあるものがどうであるのかを「目撃」することではないかと思う。

 

(「目撃」という言葉を使うのは、それが自分の既知のイメージや予想とは違うというニュアンスをいれたいため。撃は衝撃の撃であり、もはや否定できないインパクトだ。目撃ののちには、ある対象はかって感じられていたものと変わってしまう。)

 

再びColaboの活動をイメージする。仁藤さんと少女たちの活動は、たぶん一般には社会的活動とされるだろう。それ自体は活動であって教育でもなく、学びということでもない(世間一般的には)。

 

だがフレイレにすれば、それこそが本当の「教育」の場ということになるだろう。自身の問題意識をもって、既知の外の世界に出て、働きかけ、そのフィードバックによって自身が変わっていく。世界を引き受ける主体になっていく。フレイレにとって、世界を媒介にせず、教師と生徒だけで閉じるような「教育」は存在しない。

 

支援者と利用者の二者間に閉じず、共に社会に働きかけていくというあり方は、一年ほど前に見学に行ったNPO法人スウィングでも同じ考え方が語られていたように思う。
世界に媒介にしなかったり、実践と省察を片一方だけにしたりして行われるようなことはフレイレにおいては教育ではなく、人に自信を失わせ、受動的な存在にする支配や抑圧の方法だということになるだろう。

 

・純粋な「抑圧者」は「被抑圧者」は実在するのか。

フレイレが活動していた南米では、当時大地主のような抑圧者とそこで搾取される被抑圧者のような存在は、わかりやすく実在していたと推測される。
しかし、今の自分の周りの社会においては、たとえ実態としては同じ構造があったとしても、見かけ上は抑圧する大地主とそこで搾取される労働者というようなわかりやすいかたちのものではなくなっている。

 

またフレイレが指摘するように、被抑圧者には抑圧者の価値観が内在する。中産階級などは抑圧者(世間における「強い」人(より「文化」的、より裕福、より高い地位など))に憧れ、無自覚な部分でマイノリティを抑圧しているのだけれど、より高いステータスのものからは見下げられ、抑圧されているというように複雑なので、誰かを単に抑圧者そのもの、被抑圧者そのものとみなすことはできない。

 

ここでフレイレが提示しているのは、人間化していくということ。

 

「正社員」だからそうでない人より価値があるとか、「結婚」しているからそうでない人より価値があるとか、そういうふうに自身を条件つきで肯定にもっていくと、その状況にあてはまっているときはよくても、状況が当てはまらなくなったりすると価値を失うし、加えて、これは重要なところであるのだけれど、たとえ条件を満たしていても、その条件に縛られていること自体に精神は苦痛と疲弊を蓄積している。

 

加えて、どんなに意識的に否定しても、自身に向ける価値観を同時に他者に向けているため、その価値観が態度にあらわれ、抑圧的になる。

 

どのような人もそのような条件つきの肯定をもって自分を認め成り立たせている部分がある。そしてその条件をクリアしなければならないという強迫によって、実は自身が苦しんでいる。

 

そのとき、自分は無自覚になった部分を自分の代わりに苦しんでいる人がマイノリティであり、被抑圧者だということになる。。彼らが人間として尊厳が提供される状況を彼らと共に作りだすことは、自身が無感覚になり、そのために苦しんでいる内側の抑圧から解放される

 

つまり、被抑圧者(ある条件を満たさないために尊厳を奪われ、実質的に人間以前として見なされ、扱われている存在)に関わることは、人間であることを部分的に失った自分が人間にさせてもらうために、出会いなおしをさせてもらっているのであり、一方的に助けるなどはありえない。

 

だから「助ける」ように見える側が傲慢になるなど、そもそもあってはならないことだし、自分が助ける側なのだというような内心が現れる態度こそが、より目の前の人を傷つけ、精神的な活力を疲弊させる。

 

誰もが部分的に人間であることを失っており、人間化していくために、外在あるいは内在の苦しみから解放されていくために助けが必要だ。人間化を助けてもらうのだから、相手に対して最大限の敬意と尊厳を提供するのは当然のこととなる。
純粋な抑圧者はおらず、純粋な被抑圧者もいない。ただ自身を人間化していくための助けが必要なそれぞれの存在がいるということになるだろう。

 

・多様性について
→すでにある差別構造による権力関係、権力勾配を抜きにして平等や多様性について議論することは、単に現存する差別や抑圧を温存することになる。

 

SNS上で痴漢を無くそうと声をあげている人に対して、ただちに「全ての男性が痴漢ではない」とか「自分の周りでは見てない」とか、「冤罪はどうなるのか、あなたは冤罪に責任を取れるのか」とコメントがつく。

 

現存する歪な構造への指摘の打ち消しがされ、ネットリンチが展開される。今の社会で誰が声が大きく、誰が踏みつけにされたままになるのがよく反映された光景だ。
痴漢の告発に対して、自分も告発者と同じ「権利」をもっているし、告発に同意しないから告発は無効ですとなるのなら、現状は何も変わらない。

 

白人警察に殺される黒人という昔から変わらないびつな権力関係がある状況で、黒人の命を守れというメッセージを出しているときに、「みんなの命が大事だよね」というメッセージをあえて声高に重ねようとしだす人が必ず現われるが、これは実際上は差別構造の指摘をうやむやにすることであり、自分の意図に本人が気づいていなくても、欺瞞と抑圧を上塗りする行為だ。

 

既にある差別構造を是正しようとすれば、ただちにそれを打ち消そうとする反動がおこってくる。多様性はこれから生み出すのではなく、既にあるのであるが、それが差別構造によって抑圧されている。だから多様性を重要視するというのであれば、現存する差別構造、差別であることを見えなくしているような人々の考え方や態度を指摘していくことが必要になる。

 

そのような指摘はまず「ネガティブ」ととらえられるが、そのことによって多くの人が救われていった結果、やがて常識になっていく。50年前は、重度身体障害のある人が自由に外に出歩くこと自体が眉をひそめられるようなことだったという。それは世間の常識だった。しかし、少なくとも今はその感覚は公に出されれば否定されるものになっている。いつまでも変わらない差別者はいたとしても。