当事者研究的に人間について考えてきて、人間はそもそも欺瞞的なものであって、個人であっても組織であっても、自分ではその自己疎外性(自分で自分をダメにしてしまうこと)を乗り越えることができず、それを破壊する存在である他者が必要であるという認識になった。
コロナで社会構造が壊される。でもいびつなものも一緒に壊れていくことは間違いないと思っている。
(だからといって「いい社会」や「幸せ」が保証されるわけではない。人間と世界との関係は、そういうふうな都合のいい関係ではない。)
そのようにでしか、人間は疎外を免れることができないと思っている。
人間はできる、ちゃんとやったらできる、というのは多くの人がその考えにしがみつきたいところ。しかし、薬物やアルコールの依存症者がそこから抜け出ていくための鍵は、「自分の意思」で管理できるという自分のコントロールの無力さを知ることであるように、自分を壊してくれる他者の存在抜きに、自分でできる、間違っても戻れるというのは、神話なのだと思う。
管理できず、応答するしかない第三者を排除しないこと。それが多様性ということにもつながる。意思でコントロールできる、相手としての環境や自然ではなく、意思もできず、操作することもできない第三者としての自然や他者の存在を取り戻すことが、自己疎外的に作り上げられる不健康な社会を更新する力になるだろうと思う。