降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

閉じた監獄を破綻させていくために

実際のところは知らないけれど、SNSなどで日系のホテル・ニューオータニではなく外資系のANAホテルが自律性を保てたという指摘が興味深かった。日系だと現秩序が全てになっているわけだけれど、圧力がかかったとしても外資系だと政権が沈むのに自分も付き合うわけにはいかないし、実際国内の圧力のはねのけができるということ。

 

閉じた場所というのは、監獄であり、そこでは権力が絶対化する。それが家であっても、学校であっても、地域であっても、国であっても。そして権力は時間を止める。今強いものがそのまま、あるいは今まで以上に幅を利かせる秩序で止めたままにしようとする。

 

そういう場所では人は自分自身を無力に感じ、その無力さに耐えきれず、無意識に強いものに同一化し、その無力さを補おうとする。人たちは内面化された権威に自動的に従うようになり、「成功者」のような強い人、社会で認められていると思う人のいうことを自分の考えとする。

 

政権の支持率は不安の現れであって、しがみつくものが現状強いものしかないのだと思う。そこまで内面がガタガタにされているのだ。個人は社会によって内面から、思考や感情、価値観から支配される(それでも自分の考えと思っているのだけれど。)のであり、まずそこから逸脱していく必要がある。

 

刑務所内での回復の場を描いた坂上香監督の「プリズン・サークル」。もちろん映画のなかではそんなことは言われないけれども、面白いのは、実はそのような場の存在は本質的に監獄自体の否定であるということだ。監獄のなかにあって監獄を否定し、それを乗り越えていく場がプリズン・サークルだ。

 

監獄の外も事実上監獄なのだということを認めることができるだろうか。そこで自分たちのプリズン・サークルを作っていく。内面に侵食し内面を支配する監獄を否定し、人間にもどっていくために。