降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

【当事者研究】気持ち悪さ 醜さ

ふと思い出した。

 

ある人が無自覚に抑圧的な発言をした相手のことを「〜さん、気持ち悪くない?」と言っていた。

 

きつい言葉だなと思った。自分が無関係には思えない。

 

僕は中学校の頃に自分に執拗に絡んでくるクラスメートを出会ったなかで一番気持ち悪いと思っていて、強く憎んでもいた。無視してかろうじて優位に立とうとしていたけれど、それが精一杯で、情けなくみじめな思いでもいた。

 

ある日、彼と自分は同じだと直観し、彼に向けていた気持ち悪さや軽蔑、憎しみなどが全部自分に反転してきた。自分は世界で一番気持ち悪い人間になった。

 

30年経った今も自分が気持ち悪いという認知は残っている。ただ中学校の経験だけなく、基本的に積み上げられてきた認知のようにも思う。小さい頃から家族からは「あんたは変わっている」というのはずっと言われていたし、そういえば小学校時分にスイミングスクールに通っていたとき、25メートルプールを6人ぐらいで順番に泳ぐノルマの待ち時間の時に潜って水のなかを見ていたら女の子に「気持ち悪い」と言われたのも覚えている。

 

自分が世間の人から変に、気持ち悪く思われ、異物視されるという感覚は、子どもの時からあった。自分がこうだと思うこと、考えたことはそのままやっていたから行動は奇矯だったかもしれない。

 

あとそれに加えて、自分が汚れたような、普通の人に普通に接する価値がないような、そういう認知とそこからくるそねみの感覚が強かった。

 

それは、親がいない間に同じ家(田舎の家なので大きく8人住まいだった。)に住んでいるおばがやってきて、無理矢理に組み敷いてキスするということをされていたのだけれど、とても屈辱的で、親は助けてくれなかった(今や助けを本当に求めたのかという記憶も曖昧だけれど、やめさせてくれと言ったとは思っている。)のだけど、そういうところからきているところがあるように思う。

 

小学校では女の子に対して怒りを持っていた、と思う。それはおばの存在だったり、家族のなかで弱く、助けてくれない母親(偽善的だと思った。)や、母親の行動をチェックし、採点する祖母の性根に強い違和感があったこと、また姉に嫌われていたこともあった。それらを女性という括りにいれて反発し、意趣返しや八つ当たりをする動機があったと思う。小学校では何かをやるとすぐに女子に言いつけられ、先生に怒られると思っていたので、余計、反女子的態度になった。

 

また、あらかじめこちらが相手を嫌ったり、相手に嫌なことしていれば、嫌われる理由を自分自身の内在的なものではなく、わざとやっているものとみなして、自分を守るということもあったようにも思う。

 

しかし、クラスのなかで一人だけ普通に声をかけてくれる女の子がいて、その人は変なやつとか、嫌なやつとか、そういう感じでなく接してくれていた。もちろん自分はそれに対して素直に応じられるような子どもではなくて、その子と話したかったり、声をかけられて嬉しいなんて気持ちを認めず、自分は女子を認めない、好きになるなんて弱みは決してみせない、嫌っているのだ、という態度をとっていた。

 

その後中学校は同じだったけれど、クラスは違うし、不登校になったし、卒業後は北海道に行ったので、その子に会うこともなくなったけれど、たまに実家に帰るときなどに見かけたりしていた。

 

二十歳前ごろか、やはり彼女は大きな存在ではあったので、手紙に会ってくれないかと書いてだしたけれど、断られた。しかしちゃんと返事をくれるところが大したものだなと思う。返事がきたら自分が先に出したくせに読むのが怖くて、手にとったけれど抵抗のあまり部屋の隅に投げ捨てたりしていた。最終的になんとか読んだけれど。

 

会うのは断られたけれど、実家に帰っていたときにまた遭遇して、結婚すると言っていた。彼女に対して、恋愛的な感じが全くなかったわけではないけれど、薄いので、ああ、そうかということで、とりあえず会えたし、終わりにできてよかったと思った。

 

アロマンティックという区分がある。アセクシャルの人は、無性愛者で性欲がないけれど親密になりたい感情はあるのに対し、アロマンティックのほうは、性欲はあるが、強い愛着(恋愛)感情を持たないとされるようだ。強い愛着関係を求めず、人と別れても辛くない自分は、アロマンティックの傾向が強いのかなと思う。

 

その子に対する気持ちは、尊敬というところが大きかった。人をそねんで、嬉々として嫌いアピールをするような奴であるにもかかわらず、自分を人と扱ってくれた人として記憶している。

 

関わりがなかったので、あまり彼女のことは知らず、自分が想像しているのは自分だけのイメージである場合も多々ありそうだけど、僕が人に人として向き合うというときに想定されているのは、彼女のあり方だ。僕は彼女に救われていた。

 

先日、仁藤夢乃さんの話しを聞きに行ったとき、仁藤さんのあり方には自分はとてもなれないなと思った。街で、男に絡まれる女の子と男の間に割って入ったり、助けを必要としている人のように見える人に声をかけて無視されたりといったことは、怖くて、あるいは傷つきそうでできない。

 

気持ち悪さの部分においては、僕はあまり挑戦や踏み出しをせず、安全なところに退避するだけだった。誰かに、自分が怪訝なことをした、気持ち悪いと思われたのではというだけで、ちいさなフラッシュバックがまたくるように混乱する。僕はその混乱が日常でこないようにすることに、何より労力を払い、気遣いをしている。

 

それが自分だけを見ていることであり、それこそが気持ち悪いみたいなふうにおもいこもうとしても、あまり効果はない。思いこもうとするのは効かない。ならば、どうすればいいのか。

 

仁藤さんは最後に自分が見知らぬ他人の声かけに救われたエピソードを紹介してくれた。仁藤さんは朝帰りの電車で、クラスメートがはつらつと登校しているところにでくわした。仁藤さんは、自分とクラスメートのあまりのギャップに、恥ずかしさで顔をあげられず、携帯に集中した。いたたまれず駅で電車から出たときに、知らない女性が仁藤さんに「おはよう、今日も寒いね、気をつけてね。」といったような声をかけてくれたという。

 

仁藤さんにとってそれはとても大きな体験だったという。

 

孤独で、惨めで、世間に白い目で見られていると感じ、自分自身も自分を最低にしか思えないとき、まるでそんなことと関係なく、人として関わってくれることが、どれだけの驚きと救いをその人にもたらすだろう。

 

僕が中学を卒業して、北海道の牧場にいき、牧場主の子どもたちが自分を信頼してくれたことを思いだした。子どもたちは、無邪気に、自分のそのままの気持ちを僕に預けてくれた。それが裏切られたら傷つくような、僕自身は決してしないような、そんな信頼を彼らは僕に対してくれたように思った。

 

こんな僕を信頼していいのか。なぜそんなふうに信頼してくれるのか。そういう思いだった。自分のほうは決して傷つくまでは人に預けないのに。

 

しかし、今更ながら、自分がそれを返していく必要があるのだろう。30年経って自分は変わっていないのだから。自分が救われていくためにすることは、自分と同じような状況にいる人に対して、その人の属性も過去も行動も何も関係なく、人として応答することなのだ。