降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

殻と変容について

殻と変容について。

 

殻はそれ自体がある程度の自己保存しようとする傾向がある人間のOSで、過去からできている、と思う。

 

殻は同じことを繰り返す機械的なものであるけれど、もちろん大なり小なり殻の力を借りないと環境で生き延びていくことが困難になる。

 

一方で殻は現在の状態の繰り返しを続けようとするものであるので、環境や状況に大きな変化があった場合、殻の自己保存傾向がむしろ変化を阻害し、新しく生きることを困難にする。

 

また殻はおそらく防衛反応として生まれているものなので、根本的な恐怖や不安を抱えていてもそれを抑圧したり、無視したり、感じなくしたりすることで、無理矢理乗り切ろうとする。

 

殻は他者に共感したり、響きを受け取ることとは逆のベクトルをもつ。殻を厚くすることは、人をより機械化させ、鈍感にする。

 

自分の実感では、この殻はそう簡単には変わらない。病気になったり、事故にあったり、今までの生き方、考え方まるで成り立たなくなるようなことがあって、はじめて壊れる。

 

殻は自分と一体化しているので、殻が壊れるダメージは大きいけれど、その代償を払わないと一度できた殻はほぼ変わらない。それぐらい強固なもの。

 

殻が人をどれぐらい決定するかと思う。

 

たとえば「創造の病」なんてものも変わるために身体と一体化した殻を壊すために必要なもので、その人の能力とみなされるようなものさえも殻が決めているのではないかとも思う。

 

殻はぼやっとした曖昧なものではなく、かなり細かく具体的に構造化されている物理的なものではないかと思う。

 

殻の強固さにせめぎあえるものは、自分を無感覚にし、痛みを逸らそうとしてくれるこの殻をもってしてもなお痛みや苦しみから逃れられないという状態だと思う。

 

殻の強固さ、そして殻が壊れるというタイミングを考慮にいれないと変化の理屈はあまり実際的なものにならないと思う。

 

人を変化させようという話しで、あたかも人が買ったばかりの粘土か何かのように語られることも多いように思うけれど、人は買ったばかりの粘土ではない。

 

そしてこのタイミングというのはほぼ殻である自分の自助努力よりも状況依存的なものであり、ある環境に放り込まれるということが決定的な要因になると思う。

 

たぶん、人間や社会の大きな変化に希望を持ちたいと思うなら、ある人がどう言っていてどう考えていたとしても、既に生きることが今までの繰り返しで成り立っていて変わる必要のあまりない人を相手にするのではなく、強い抑圧化にある人、既に苦しみや痛みに直面しており、変わらざるをえない人とやりとりすることが必要だと思う。

 

もちろんそのことは自分の殻を壊す危険性をはらんでいる。

 

しかし自分の殻が壊れていかないなら、世界を深く新しく感じていくことはできず、生きていくことは過去に固められ、より色あせていくメリーゴーランドに乗っているようなものになり、より強い刺激と快楽以外は楽しみにできることがなくなるのだろうと思う。