降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

夏苅郁子『人は、人を浴びて人になる』

精神科医かつ希死念慮(自殺未遂2回)や摂食障害の当事者でもあった夏苅郁子さんの当事者本。発行年をみると2017年なので当事者研究も(知る人には)だいぶ認知されてきてその流れや時代の呼応なのかなと思いました。

 

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赤裸々な自分の姿、そして結果的に自分に回復をもたらした様々な出会いとプロセスが詳細に書かれているので、回復のヒントを求める人にとっても貴重な知見が多く埋まっている本ではないかと思います。

 

 

あと、赤裸々な姿を自分で書くということは、決別なのだなと思いました。筆者は書く段階では、1人の当事者として自分と同じ苦しみをもつ人たちにとって自分の経験してきたことのシェアが重要であることを確信していたと思いますが、それだけではなくてこれまで恥じ、隠してきた自分と決別する強い動機に突き動かされていたように思います。

 

ああだこうだと考える筆者の自意識をこえて、何かに突き動かされている感じ、自分の力をこえた力強いものが動いているような印象を持ちました。

 

印象に残ったところの抜き書きをしていきます。

 

「かめちゃん」というペンネームの友人から、「夏苅さんは、家族・当事者・精神科医トライアスロンをやってきたんだね」と言われたことがある。

「かめちゃん」は、東吾失調症の当事者で病歴30年以上になる人だ。

 そんなに長く病気と闘ってきた人から見ても、私の人生はトライアスロンのように過酷に見えるのだろうか・・・。

 母と私、そして父の人生を振り返って見たい。

 

 

「過去を清算できると語れる。語ることは治療になる治療が進むと、また過去を清算できる」この良いサイクルが私に起こり、私はたくましくなっていった。

 

 

(しかし、あらためて自分という独立した存在などいないなと思いました。夏苅さんの祖父が金融業で家族も信用せず1人でお金を数えるのが楽しみだったとか、父の「俺は、男芸者にはなりたくない」というセリフなど読むに、人は文脈のなかに生まれ、その続きを生きているとしか僕には思えないです。ただ投げ込まれた文脈にどう応答するかという余地は残されているということなのかと。)

 

 

そんな暗い子供時代の私の唯一の楽しみは、読書とお絵かきだった。

 子供の頃の私の愛読書は、『赤毛のアン』(村岡花子訳)と、石井桃子作『ノンちゃん雲に乗る』(福音館)だった。

 『赤毛のアン』は、カナダのモンゴメリという作家が書いたもので、孤児院で育った少女アンの青春物語だ。私はアンの心情に自分の気持ちを重ねあわせ、アンがいてくれると思っただけで寂しさがずいぶん和らいだ。

 アンが「孤独な子供」の代表ならば、もう一方の『ノンちゃん雲に乘る』に登場する一家は「幸せな家庭」の象徴だった。ぞんぶんにお母さんに甘えているノンちゃんは、私が「なりたい自分」そのものだった。

 

 

 ノンちゃんという女の子がひょうたん池に落ち、池に映った寝椅子の形をした雲に住むおじいさんに助けられる。そして、寝椅子雲に腰掛けながらおじいさんに身の上話をするというお話だ。

 

 主人公のノンちゃん・・・後に医師になる道を選ぶノンちゃんは、級長になる暗い優等生だった。出来の悪い兄やクラスメートを見下すようなところがあったノンちゃんは、池に落ちたことから「寝椅子雲のおじいさん」に出会い、自分の家族や友達の話を聞いてもらううちに少しずつ変わっていく。

 やがて・・・・おじいさんにたくさんのお話をし終わったころ、ノンちゃんは目を覚ます。池から救出されて家の布団に寝かされていたのだ。そして、誰も寝椅子雲のおじいさんの話は信じてくれなかった。

 ラストには、戦争の始まりを予感させる文章が並んでいる。ノンちゃんの生きた時代設定は、第二次世界大戦前の日本である。

 

 

 

 

 自分で想像した寝椅子雲の絵を表紙に描いたノートに、私はおじいさんやノンちゃんに話したいことを綴った。

「おじいさんへ。私のお母さんんはノンちゃんのお母さんに負けないくらい美人で優しくて、ノンちゃんのお母さんより、ずっと洋裁が上手です。私の飼っているコロはエスよりずっとかわいいです」

おじいさんが、よしよしと聞いてくれているように思った。

「今日、学校で百人一首大会がありました。私の声が通るからって、先生が私を読み手にしてくれました」「今日は転校生が来ました。2階まで雪が積もる所から来た子です」

 母が吸うタバコの煙でもうもうとした家で、私は学校であったこと、嬉しかったことをせっせとノートに書き綴った。

 

 

やがて、「私のお父さんは何日も家に帰って来ない。ノンちゃんのお父さんは毎日帰ってくるのに、おかしいなぁ」そう考えるようになった。そんなある日のこと、「きっと今日は帰ってくる」・・・そう信じて夜になった。玄関に近く足音がするたびに期待に胸をドキドキさせたが、その足音は父のものではなく隣の家に消えていった。

 そんながっかりした夜を何ヶ月も何年も繰り返すうちに、母は別人になってしまった。

 私はもう、おじいさんと話したいとは思わなくなった。

 ノンちゃんの本を押し入れにしまいこみ、寝椅子雲の絵のノートも書かなくなった。学校から帰ると、飼い犬のコロに話しかけるようになった。そのうち『赤毛のアン』のほうが好きだと思うようになった。アンは、お母さんの顔さえ知らない子だったから。

 その後、大人になるまでノンちゃんの本は開かれることはなかったが、本当はもっとおじいさんに話を聞いて欲しいと思っていたのだ。

 

 

 

 コロとの友情は、5年しか続かなかった。

 父が、九州に転勤になったのだ。平(ヒラ)の会社員だった父は、飛行機ではなく北海道から九州まで、鉄道で2泊3日で移動した。とても、犬まで連れていける状況ではなかった。

 父にしてみれば、母を連れていくだけで精一杯だったのだと思う。引越しの最中に幽霊のように呆然と立ち尽くしている母を見て、私もコロを連れて行きたいとは言えなかった。

 荷物を全部トラックに積み込むと、父は私に「コロを捨ててこい」と言った。父が冷たい人のように思われてしまいそうだが、当時はそんな時代だったのだ。覚悟はしていたが、哀しくてどうしようもなかった。

 お小遣いで買っておいたソーセージをポケットに入れて、コロに「散歩に行こう!」と声をかけた。コロは喜んで、飛び跳ねながら私に付いてきた。

 いつもと全く違う道をいくつもいくつも通った曲がり道で、私はソーセージを遠くに放り投げ、そのまま曲がり角を路地に入って、後ろを見ずに走って帰ってきた。

 家に着くと、父が母を車に乗せて待っていた。コロが戻ってくるかもしれない・・・と期待しながら走り出した車から後ろをずっと見ていたが、コロの姿はなかった。

 もしコロが家に戻れたとしても、家は空っぽで誰もいない。

 野良犬になってでも、コロはたくましく生き延びてくれると思いたかった。

 

 

当事者が実際に自分におこっていたことを書くことは、その人の考えや意見以上の意味を持っているとあらためて感じました。本を読むのがなかなか大変なのに、この本は珍しく3日ぐらいで読めました。抜き書きももうちょっとしようかと思っていましたが、返却期限が過ぎたのでこの辺で。

 

様々な立場の当事者が同じ立場の当事者の状況を変えるヒントを持っていると思います。精神科医でなおかつ当事者という夏苅さんの事例は、近い境遇の人たちにとってのシェアになると思います。

 

一点ああそうなんだなあと思ったのは、夏苅さんは普通の人の幸せというものに憧れていて、いわゆるいいパートナーと結婚して子どもに恵まれて、今に至る感じで、その幸せを繰り返し語られます。

 

憧れは確かにわかるのですが、その達成志向には疑問は持たなかったんだなとは思いました。冒頭のかめちゃんのセリフ、夏苅さんはトライアスロンをしてきたというところは、夏苅さんも書いていたように過酷という意味もあるけれど、もっと別の含意がありそうな気がしました。

 

かめちゃんは夏苅さんのこれまでを、自然災害(嵐とか)や事故に喩えたのではなくて、トライアスロンという競技として喩えています。そこには自分でわざわざ選んで、勝ち抜いてきたんだねという意味も含まれていそうだなとも思えます。

 

精神科医を続けられた、いいパートナーに巡り会えた、いい子どもに恵まれた、と何かを手放したところの先の救いではなく、散々な困難を抱えながらも回復し、かつ獲得してきた成功の物語としてこの本は書かれていると思います。