降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

第二水曜日日中、西川勝さんとつくる話しの場

星の王子さまの読書会の講師でもある哲学者の西川勝さんとの話しの場、来月より第二水曜日の日中、おそらく14時〜18時ぐらいの間になりますが、はじめる予定です。平日日中ど真ん中ですが、ご関心ある方はどうぞ打診ください。

 

熾(おき)という言葉を名前にいれる会にしたいと今日話しあっていました。熾には真っ赤に燃えた炭だったり、一方消し炭という意味もあるようですが、僕のなかでは燃え残っている炭、消えたようでくすぶり、条件が整って燃えることをまっている状態の火です。

 

生きてきて自分のなかに残っている熾を燃やすような探究をしていける話しの場にしたいと思っています。

 

西川さんからと話していて、たとえばなぜ僕が今の仕事を選び、働く日数を決め、畑をしているのか、そういう生(なま)のものを問いとしようと言われました。

 

自分なりにも自分の核的なことを出していくつもりでしたが、そう言われて、踏み込みが全然不十分だったと思いました。この機会と場をかり、思い切りやろうと思っています。

 

自分にとって妥協のできない問いをもってきて、共にそれを吟味し、探究したいという仲間を募集しています。

 

なぜ僕が週に1、2回夜勤をして、あとは畑をやり、話しの場をつくるという今のライフスタイルになったのか。まず、ほとんどの仕事が人より遅く、仕上がりも悪いというの能力の低さがあるでしょう。

 

また人とのやりとりに怯えていて、言うことも言えなかったり、週5で会社で働くようなことはできないし、やりたくないと思っていました。やりたくないのは、無能で惨めな自分を直視したくないというのも大きな理由でしょう。

 

中学の時、フラッシュバックがおこるようになって、死に切ることはできず、極限まで苦しくなったらその時は死んでいいということにして、フラッシュバックに耐えようとしていたなと思います。

 

と同時に、もう惨めな思いをするようなことに投げ込まれる可能性があるような、頑張りが必要なことはしたくないと思っていました。思うだけでなく、実際にできないのです。精神に踏ん張りが効かないというか、苦しいこと、惨めになる可能性があることをやるぐらいなら、死んだほうがいい、どうにでもなればいいと思うのです。

 

フラッシュバック以後は、廃人のような、いわば死んだように生きていると言っていいのかもしれません。惨めになること、傷つくようなことがないように避け、安全なところだけにいて生きる。安全な場所で回復していけば、いずれこの死んだように生きている状態が変わるかもしれないとうっすら期待しつつ、しかし同時に遠巻きなので薄い体験しかできず、根本的なところで、あまり自分が変わらないような感じのままでした。

 

もし自営業ができるほどの能力や踏ん張りがきく状態であれば、さっさとそれをしていたでしょう。そうはできないから今の状態だということです。

 

ただ、この変わらない状態で、しつこくは考えてきました。どうしたらちょっとでも状態を変えていけるのか。状態がマシになるための考えとは何か。そのなかで世界の見え方はちょっとずつ変わってきています。今の状態から少しずつでも状態をずらしていく。それをずっとやってきたのだと思います。

 

僕にとっては、自分はどう生きていけばいいのかというのが問いでした。どう状態を少しでもマシにしていくのか。その先にもしかしたら生きていける基盤ができるかもしれないということにして。

 

どう生きていけるのかということを問うなかで、この世界とはどういうものなのか、精神とはどういうものなのかという探究をしてきました。しかし、それもまだ核に向かうものではなく、迂回をしているのかもしれません。

 

もう一つ、最近意識に出てきた自分のテーマがあります。それは「恥辱」でした。フラッシュバックは、自分に屈辱的な思いをさせてくる同級生に対してもっていた軽蔑、気持ち悪さ、憎しみが反転して自分に向かってきたものでした。しかし、その前から自分が他の人とは異質で、いびつで、他人からして気持ち悪い存在、後ろめたい存在であるという感覚をもっていたように思います。

 

まだ体が小さかった頃、叔母に屈辱的なことをされていましたが、両親が助けてくれないと思っていました。自分が汚れた感じ、惨めな感じ、そして放っておかれるような価値のない存在だと、お気楽そうに見える普通の人たちの欺瞞を憎み、そねんでいました。

 

そのそねみは今もあるように思います。自分は恥辱のなかに生きてきて、そしてこれ以上の恥辱にまみれることを恐れています。ちょっとした失敗で、混乱し、肥えだめに落ちるように恥辱の感覚に包まれます。

 

西川さんの場、遠慮せず、身も蓋もなく、やっていきたいと思っています。それでどうなるかを見ていきたいと思います。