本の作成13 再開 はじめに
本を書くといって12までで止まっていました。
どうまとめようと思っていたのですが、時間という考え方にたどり着いたので、そこに向かって書こうと思います。
秋に当事者研究交流集会関西大会の抄録に文章を掲載させてもらいましたが、長々と今まで書いてきたことがA4で2枚ぐらいでまとめられたのでこんな感じでまとめればいいのかという感じと、文章としては書いているしやっていることなのにキーワードとして端的に言語化できてないことがあるなあという感じがありました。
とりあえずまた章立てからやろうかと。
マインドマップ的な、scappleというアプリを使ってみました。基本的に思考が顕微鏡的というか、細かいところをみていく感じになるのですが、それを全体的に俯瞰して一つ一つのテーマの位置づけをするとかが苦手です。そこをこのソフトでやってみました。あまり本来の機能を使いこなせてないですが、とりあえず出てきたものを書いて並べてまとめたりすると少し考えやすくなりました。
章立て
はじめに この本を書いた動機
→探究してきたひとまとまりをシェアするため
→野生の探究、野良の探究という考えかたを提示する
院生時代の指導教員に「はじめに」は最後に書くものと言われました。最後に書くのが一番まとまった状態で書けるからで、たとえ最初に書いていても結局変えたくなります。が、今はたとえるなら口のなかに入れた食べものを咀嚼することが目的なので、後で変えるけれどここから書きます。なるべく簡素に書いていく感じで書いていきます。
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はじめに この本を書いた動機
中学校の頃からフラッシュバックがおこるようになりました。その苦しさをマシにすること、それまでの自分が崩れ、自信も何もないようなところからでも生きていく方法を探究してきました。
現在は苦労をもった当事者が自分で自分の苦労を研究する「当事者研究」というものがありますが、当時にはそういうものはありませんでした。あるいは近いものがあったかもしれませんが見つけられませんでした。自分の問題は自分にとって切実なものであり、見つからないから待っていたり、放っておくことはできません。
ならば自分なりに探り、見つけられるものを見つけ、確かめていくしかないと思います。どうやったら生きる苦しさはマシになるのか、そして自分のようになった人がどうしたら生きていけるのか。フラッシュバックは14、5歳の時なので、もう30年近くそのことを探究しています。
何かを発見し、実践していくことで少しずつ、自分は元気になってきましたが、いつまでたっても世界がすっかり生きやすくなって、これで十分ということはおこりません。ですが、30年近くも経つと探究が探究としてまとまりをもってきました。
僕の探究は「当事者研究」です。何ら科学的根拠などありません。それが妥当かどうかの実験台は自分だけです。しかし、これは「科学」でも「学問」でもないのでそれでいいと思っています。「当事者研究」は探究の主体を専門家から本人に取り戻しました。何の専門家でもない一般の人が、探究してよく、研究していいのです。
個人にとって、探究の主体になることが、自分が自分として生きていくことであると思います。「学問」の流儀とは別のあり方でもよく、一つのあり方にこだわらず、個々人は探究の主体であること、自分で自分に必要なものを探しあて
個々の「当事者研究」がいわゆる「トンデモ理論」であってもいいと思います。人に押しつけはじめてはよくありませんが、その人がそう考えることで生きていることを開いているのであり、そしてそのことを更新していくのならば、一時期の考えはプロセスにすぎません。
そして、探究している人にはリテラシーができていきます。他人の「トンデモ理論」が妥当なのかどうかを吟味する力があり、相手の言っていることを鵜呑みにせずにいながら、自分のインスピレーションの源にしたり、換骨奪胎していい部分だけ自分に取り入れたりできるようになります。
当事者にとっては、自分の状況を変えていったり開いていくために、今現在流通している作法やアプローチだけに従っているわけにいかず、世界とはどういうものか、生きているとはどういうことかというような大仰なところまでも、大胆に考え、自分で仮説を検証していく切実さに迫られています。
僕はこのような、生きている当事者それぞれにとって切実な問題を自分で探究していくあり方を「野生の探究」や「野良の探究」と考え、学問の世界にこだわらない探究のあり方を提示したいと思います。
「野生の探究」は個人が自分のためにやる探究です。それは権威ある世界からは、まともなものとは認められないかもしれませんが、探究を続けていくことで、自分として見えてくることがあると思います。
この本ではその「野生の探究」の提案、そして僕が「野生の探究」で確かめてきた、回復を求める人が生きることをどう位置づけ、どう回復していけるのかという当事者研究をシェアできたらと思っています。
「野生の探究」は落ち穂拾いをしてきたものをコラージュするようなものだと思います。僕の落ち穂拾いのコラージュが、この本を読んでもらえる方のコラージュの材料になるようなことがもしあれば嬉しいです。
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