降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

南区DIY研究室読書会 フレイレ 鶴見俊輔 芹沢俊介 民間学とは親問題に向きあうこと

9月18日に発表した原稿の転載です。

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◆里見実『パウロフレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』 第3章後半〜

 

フレイレは、参加型調査というあり方で、調査に関わる人々の現実認識を変容させる実践をしている。自分と関わっている日常世界を対象化するには、いつも違った角度で関わっていくことが必要であり、認識の変容は派生的におこってくる。地元学(吉本哲郎←まだ未チェック)とも近いように思える。考えてみればそもそも一般市民に日常の場所の歴史性を認識する機会は自然には訪れないと思った。

 

実際に日常の見え方が変わる体験がおこることを活動のなかに盛り込むことが重要であると思う。自分が生きている日常世界が自分の知らなかった現実によって構成されている体験はこれからも探究していく大きな動機になるのではないかと思われる。またここでフレイレは人々に働きかける側の非対称性とその否定的影響にも意識的であり、人々に「お返し」ができてはじめて自分たちの立場も許されるものになるという認識を示している。働きかける側もまた自分の認識が更新されること抜きに対話がおこったとは捉えられない。それぞれの認識の更新があってそのやりとりは妥当であったとされる。


 社会学者のマリア・フェレイラは調査の準備をすすめながら、こんなことを呟いていた。「テーマ調査っていうのは、人びとがもっているものを人びとに返すことで、はじめて申し訳の立つものになる。あれって、人びとを知る行為なんかじゃない。人びととともに、人びとの上にのしかかっている現実を知ることなんだよね。」

 

フレイレの調査は、エクササイズであり、ワークなのだと思える。調査それ自体が目的なのではなく、調査という媒体にのっとるとき、派生的に現実の対する認識が更新される機会が提供される。

 

閉じた空間と連続した空間の違い。
→閉じた空間で完結するワークや学習と、ある地域の調査(多分自分が関わりをもつところがいいと思えるが。)のような企画者が想定しない他者と出会うワークや学習、アクションリサーチのようなことは得られるものに大きな違いがあるように思える。調査者と被調査者が共に変容することは「世界が変わる」ということを実感する機会であるが、前者はその実感はまだない。

 

以前、西陣ほんやら洞というカフェで、京都市のいろんな商店街をフィールドワークするという企画があった。通りいっぺんの売り買いだけのやりとりと違い、話しを聞くことで、調査者の世界の見え方が広がり、変わったように見えた。

 

◆科学主義と知識の死物化・非人間化・真に思考すること・参加型調査の意味・実存・変化

 

(里見)事実の認識が、あたかもそれを認識する主体の立ち位置や主観と独立に成立するかのように主張する科学主義は、「知る」行為やその上に築かれる知識を没人格化することによって、「人間なき世界」を仮構しているにすぎない、と言うのです。そういうものとして知識が伝達されるとき、その預金型伝達行為は必然的に知識の死物化と人間の非人間化を促すのだ、と。

 「人びとに見えている世界」を探ると言うこの視点は、二十世紀の現象学文化人類学が提起しているものです。右に述べたように、フレイレの場合、それは彼の対話論や対話的学習論の必然的な帰結でもありました。「我」が思考の主体であるのと同じように「汝」もまた知覚し、思考し、世界を、自ら「構成」している主体であることをふまえない限り「対話」は成立しませんし、「汝」が客体=モノと化し、みずからの思考をおこなっていないときには、主体になったつもりのの「我」もまた真に思考しているとはいえないのです。真の思考とは、客観的な現実をめぐって、異なる思考者である「我」と「汝」が相互にとりかわす相互主体的な認識のなかで生成し、発展するのです。

 学習プログラムの作成にあたっては、その「調査」はたんに地域の「客観的」な諸事実の調査に終わるものであってはならず、事実との関わりに置いて人々がかたちづくっている表象や信念の調査こそが決定的に重要なのです。学習を導く生成テーマは、そこから浮上するからです。

 それらは当然、当該社会のなかで人びとが抱えもっているイデオロギーを色濃く反映するものであり、また同時に、客観的な現実とのせめぎあいのなかで人々が感じている疑念、痛苦、希望を、生身の人間としての彼や彼女の実存を表現するものでもあります。
 しかしそれらはかならずしも不変の、固定したものではありません。新しい経験のなかで、また対話のなかで、人々の世界像は変化していきます。

 

フレイレの革命論
『被抑圧者の教育学』はなぜ社会革命論(第4章)によって締めくくられるのか? フレイレにとって教育は政治であり、政治もまた教育の過程(抑圧的な政治=抑圧的な教育の過程、自由を目指す政治行動=自由な人間を形成する教育の過程)。

 

『被抑圧者の教育学』はフレイレにとって社会変革の理論。
(→ある教員経験者が林竹二を批判していたのを思い出した。林竹二は部落解放運動と教育を別々のものにわけ、部落解放運動を事実上見捨てていたという。フレイレの日本での受容は部落解放運動界隈にとどまるなど非常に限定的だったらしい。)

 

フレイレは、革命家論を論じたが、革命が単に権力の奪取であり、また民衆を支配の対象としていくならそこに意味はないと考えていた。革命の過程においては、現実が、主体としての指導者と主体としての大衆の変革行為を相互に媒介し関係づけられるもの。

(→第三章識字教育で絵や写真の「現実」を媒介させながら対話が行われたように、対話(やりとり)の基本構造は全く同じなのだろう)。

 

フレイレの言葉→(この相互主体的な社会変革のあり方について)「一人称単数で、いや一人称複数でさえ、語ることを許さない。行為者は相互にコミュニケートしあう、間主体的な複数者」→対話とは間主体的、相互主体的な営為であり、誰かどちらか一方に属するものではない。

 

間主観性(相互主体性)

広義には、共同的・相互的な形でこそ成立する主観・主体のあり方を指す。 ... 例えばそれは、間主観性を間身体性として捉え直したメルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty 1908~61)の思考や、コミュニケーション的合理性をめぐるハーバーマスの思考などにも批判的に受容されている。 imidas

 


「指導者は彼ただひとりで言葉を発するのではなく、民衆とともにはじめて発語することができる」「被抑圧者の自己解放がなければ彼の解放はない。」

 

(里見)現状が不動のものとして絶対化され、個人が自分を無力と感ずるようになれば、その結果として「力」への憧憬や自己同一化も高まっていきます。無力であることの耐えがたさを代償するのが富や威信や権力への心理的イデオロギー的な自己同一化であり、なんらかの仕方でそれに連なることが「人間」であることの符丁になっていきます。まさにその「力」の暴走によって個人と社会の総体が破局に追い込まれているにもかかわらず。

 

 権力が不在に思われている場にも、権力は作用しています

 

→セイックラのオープンダイアローグで行われているのは政治的なこと(political things)であるというセリフを思い出す。

 

フレイレの言う預金型教育と問題化型・対話型教育の対立は、すなわち権力の行使をめぐる対立でした。人間をモノに変えようとする力と、それに抵抗し、人間としての自己実現を求める力との対立です。フレイレにとって、「教育の中立性」は神話にすぎません。教育には中立はありえません。ありえないはずの中立性を装うことで、支配権力はみずからを絶対化しているのです。

 ただの知識の伝達は、一見、ニュートラルなもののように見えますが、しかしそのニュートラルな訓練をとおして、被教育者は「学ぶ」ということの一定のイメージをかたちづくっていきます。学ぶということは自前の思考を放棄することであり、言われたことに従順に耳を傾け、記憶することであり、その学習成果を競うことであることを、彼らは「学ぶ」のです。

 一見ニュートラルな知識の伝達は、選別と排除の過程でもあります。経済的にも文化的にも、それは規制の階級関係の再生産過程として機能しています。そこでは特定の言語習慣、特定の思考規範と行動様式が特権化され、その預金型的伝達の過程で、絶えず優位者とともに落伍者が産出・再生産されています。

 

→解放の神学

被抑圧,被差別人民の解放をキリスト教の福音の本質として説く現代キリスト教神学の一潮流。従来の欧米のキリスト教神学は,最も革新的なものをも含めて,白人の神学,ブルジョアジーの神学の制約を脱することができないとして,これを批判,拒否し,真に民衆の立場に立って聖書の神を解放する神として新しくとらえ直すことを説き,イエスの福音も必然的に社会的解放を指向するものであるとする。 1960年代以後アメリカの黒人キリスト教徒,中南米カトリック急進派,アフリカ教会などのなかに台頭してきたもので,特に中南米において大きな影響力をもつ。解放思想のイデオロギー化を排し,思想と実践の相互媒介と統一を強調するところにも特色がある。 ブリタニカ国際大百科事典


ヘンリー・ジルー(批判教育学)は、フレイレの教育思想は「解放の進学」を特徴づけているダイナミックな希望への信仰から「左翼が陥る絶望とシニシズムへの強力な論理的解毒剤をつくりだした」とする。

 

◆文化侵略と文化総合
文化侵略においては、行為者は自分の世界から出発して被侵略者の世界に入り込み、必然的に自分の価値とイデオロギーを基準にして活動のためのテーマ内容を引き出してくる。行為者は丸ごとの人間として被侵略者の世界に赴く必要はなく、彼の行為は、ますます技術と道具だけに媒介されたものになる。文化侵略においては行為者=演者のターゲットは観客であり、不動のものとして維持されなければならない現実である。一方文化総合には観客は存在しない。

 

文化総合は、単に革命運動が民衆の視点に密着し、その願望に追従すべきだということではない。例えば賃上げ一本に民衆の願望が絞られている場合。この要求を煽り立てることに終始することも、この要求をタナに上げて民衆にとって身近に感じられない問題を持ち込んでくるのも誤りである。前者は迎合、もしくは取りこみ行為であり、後者は願望無視の文化侵略である。


民衆の賃金要求に寄り添うこと、そしてもう一方で、その要求そのものの意義を問題化していくことが文化総合になる。それは賃金要求をそのひとつの側面としてふくんでいる歴史的状況の全体を問題化することにつながっていく。


鶴見俊輔『教育再定義への試み』

目次 Ⅰ 教育とは何か II 痛みによる定義 Ⅲ 教育と反教育 Ⅳ自己教育の計画

 

神戸児童殺傷事件。鶴見は校長の言葉に官僚のような型通りさを感じた。教育は疎外されていないか。戦時中であれ、そこ反逆する教師の姿があった。芹沢俊介が指摘するように、学校は戦中から戦後へとファシズムを温存するトンネルの役割を果たしているのではないか。鶴見は自身の母親との関わりにおける強烈な傷を終生持ち続けた。それは彼の仕事として反映された。痛みこそがその人が生を切り開く力になると鶴見は指摘する。

 

自分の傷ついた部分に根ざす能力が、追い詰められた状況で力をあらわす。自覚された自分の弱み(ヴァルネラビリティvulnerability)にうらうちされた力が、自分にとってたよりにできるものである。正しさの上に正しさをつみあげるという仕方で、人はどのように成長できるだろうか。生まれてから育ってくるあいだに、自分のうけた傷、自分のおかしたまちがいが、私にとってはこれまでの自分の道をきりひらく力になってきた。 

 

鶴見は親問題、子問題という概念をあげる。親問題とは、自身にとっての根源的な痛みに根ざした生きることへの問いであり、生きることを通して問われる問いである。それは同時に自分自身のものとしての生を充実させ、社会にそれまで存在しなかったものを小さくつくりだす。一方、子問題とは、場当たりの現状適応の追求であり、いい学校に入って、いい会社に就職する、あるいは学校や会社の環境のなかでだけ通用するような適応の追求になる。子問題の追求で生きる人たちは新しいものをつくりだすこと、その場の基盤自体を変えるようなこと、環境や社会変革をしようとはしない。それはあからさまでなくても、現状のなかで得られるものの奪い合いという様相を自然と帯びるものになるだろう。

 

鶴見はヘレン・ケラーとの出会いをふりかえり、学びほぐしという言葉を提起する。

 

一九四一 年夏、わたしがまだ一九歳でハーヴァード大学の学生だった頃、図書館で本を運ぶアルバイトをしていたんです。そこにヘレン・ケラーさんが来たんですね。ケラーさんは、目が見えない、耳が聞こえない、しゃべれない、三重苦の人です。...その時ケラーさんがわたしに質問したんです。自分はハーヴァード大学の兄妹校のラドクリフ女子大学で勉強した。そこでたくさんのことを学び、自分の学んだたくさんのことを振りほどか なければならなかった。彼女は、“I learned many things, and I had to unlearn many things.”と言ったんです。いや、なるほどなと思いました。ラドクリフ女子大学はハーヴァード大学の兄妹校ですから、そこでの講義は、耳が聞こえて、本が読めて、しゃべれる人が 対象で、概念の組み立てもそうなっている。しかしケラーさんは、そこから離れて生きるようになって、自分の身の丈に合わせて概念をたちなおさなければならなかった 。 この「 概念をたちなおす 」、 つまり “ l learned unlearn”というのは、一度編んだセーターをほどく、 ほどいた同じ糸を使って自分の必要にあわせて別のものを編む、そんな感覚ですね

 

自己教育、学ぶということにおいては、いかに蓄積するかではなく、すでに自分と一体化しているものを解体していくことが重要になるのだろう。

 

◆サークルについて


鶴見は自分の身体と自分の家庭から学んだことが教育の基本であるとするが、家庭の外においては職場、男女関係、自分のつくる家庭、自分の子どもから受ける教育、近所の人たちとの付き合いから受けるもの、社会活動から引退したものとしての孤立ともうろくから受ける教育、死を待つことから受ける教育があるとするが、それらと平行してサークルが大切な役割を果たしてきたとする。

 

 サークルは、お互いの表情を見分けることのできる形の集団であり、拘束のゆるい非定型集団であり、学校とちがってはじまりと終わりとがさだまっていない集団である。
 サークルは、私にとっては、自分の頭蓋のように感じられる。ものを考える場であり、そこで思いつくことが多い。

 

鶴見は「転向」という主題を思いつき、共同研究をすることを呼びかけ、週に1回、8年間行った。メンバーの大方は大学3年生、4年生であり、自分の興味がわきおこってくるに連れて必要な資料をあつめ、自分の手で整序していく過程を披露した。

 

「家の会」は自他の家の問題をもとに話し合うもので鶴見の代だけで37年間続いた。のちに中心は安森ソノ子となり、彼女の実生活上の体験がこのサークルにあって想像力の源泉となった。

 

小林トミ姉妹とはじめた「主観の会」は大形スケッチブック絵や文を書き入れて回覧雑誌を作り、これは60年安保のなかで、「声なき声の会」に転生し、ベトナム反戦運動にあたっては「ベ平連」の出生の一つの契機となり、「ベ平連」以後も樺美智子の命日その他に集まる市民運動として30年余り続いているものもある。鶴見は、サークルには記録に残っていないものが数知れずあるだろうと指摘する。谷川雁の「サークル村」は2年の活動だったが、その影響は、40年後にも石牟礼道子中村きい子森崎和江の著作にあきらかだとする。

 

民間学事典 刊行のことば (鶴見俊輔

人は生まれてくるやいなや問題に投げこまれ、問題を背負わされ、問題を探りあてようとし、問題と取りくむ。学校はそういう自分の問題をかっこにいれる。人はやがて死ぬ。自分に近づく死をもかっこにいれる。自分の生と死、そのなかに含まれる問題をうけとめ、生涯それぞれの時期に形を変えてそれと取りくんでゆく仕事を、学校は学問の外におくようにしむける。

 学校制度は、問題をつくる力を教師のみに与えて生徒からはぎとる。学校を終えてからどれだけの人が自分の問題にもどってくることができるか。学校にいる期間が長くなればなるほど、そしてその後その人が学問を職業にする場合にはさらにむずかしくなる。専門家による学問がそうして成り立つ。

 私たちが生きていること、やがて死を迎えるなかに自分の問題を探しあてることを学問のひとつの道と認めるならば、そこに育つ学問は民間学である。どんな官吏も二四時間官吏であるわけではなく、一日の多くの時間、彼は民間人であり、自分としてすごすからだ。そう考えるならば、一〇〇パーセントの官学は、それをになう当人の暮らしからはみだしている。

 自分の生活を自分の問題の母体としてとらえ、問題を探りあて、それと取りくむことを学問(そのひとつの形)としてとらえるならば、これまでの学問の歴史では顧みられなかった女性の役割を民間学は重くみることになる。トインビーは、自分の歴史学のひとつの起源として自分の母をあげた。学問の形成をその動機からとらえるならば、女性だけでなく、男女を問わず古今無名の個人が学問の視野に入ってくる。民間学の源流にはことわざがあり、ことわざはしばしば、民間学の原初的形態だった。

 


芹沢俊介

民間学は、学校が学問の外におくように仕向けてきた問題を問題とする。その意味で、官学と民間学を分けているのが学校であることを知る。

 「親問題」はつねに自分にとっての、「いま・ここ」における最大の関心事であり、問いである。それと反対に、つねに学校という自分の外から、第一義的に要求されるのが「子問題」である。毎日通学すること、授業を静粛に聞くこと・・・・。学校はこれらの「子問題」を、子どもたちが全力で取り組むべき最優先課題として設定する。子どもは自分の「親問題」に取り組む以前に、超えなければならない「子問題」という壁にぶつかる。しかも、これら「子問題」が子どもの守るべき道徳律になっているのである。現在における道徳律違反の典型が不登校であり、ひきこもりであるということになるだろう。「子問題」の道徳律への変身によって、「親問題」と「子問題」の価値の逆転が生じる。

 字義通りに読めば、民間学は、「親問題」を探し当てる道として成立する、と述べられている。だが、そのためには、これまで述べてきたように「子問題」に専心させられてきた(現に専心させられている)没主体としての自分を認識し、その状態からの離脱を目指すことが必要である。自らが生きて「いま・ここ」において感覚している世界に軸足を置きなおすことが必要である。これを鶴見俊輔は「学びほぐし」という言い方で表現している。

 現代において、民間学とは、「親問題」の取り戻しのことである。右の鶴見俊輔民間学の定義は、自分という固有の経験(痛み=『教育再定義の試み』)を問題の起点として大切にするゆえに、このような主体の取り戻しを不可避のものとして要請せざるをえないのである。
 主体の取り戻しは、「子問題」第一主義から、「親問題」第一主義への価値軸の転換をともなっている。そして、この過程が、「子問題」を価値の主軸に形成されている学校という世界つまりは「学校的なもの」という枠組み=体制の解体を含んでいることが了解できるであろう。
 民間学という言葉が根底にはらむこのような反逆のダイナミズムを、私もまた、私の考える思想としての在野学において共有したいと思う。

 

 <これまでのまとめ>
 フレイレはあと、補章が残っているのでそれをやりたい。教育再定義への試みも、親問題、サークル、学びほぐしのあたりは抽出したが、もしかしたら次回も取り扱うかもしれない。今回、民間学事典や在野学の思想などを府立図書館で借りて読むというところまで行ったが、ぼちぼち整理し、まとめていけたらと思う。とりあえず親問題と自分自身の考えてきたことについては鶴見や芹沢の位置づけで、位置づけられるようになったと思う。昨日、当事者研究大会で配られた冊子に鶴見の親問題と人が回復することの連続性を書いたものを掲載してもらった。そこから大阪のフリースクールコムニタス・フォロの山下耕平さんと話し、その文章を小沢牧子さん(小沢健二の母)と不登校新聞の編集長に送付してもらうことになった。民間学として親問題を取り扱っていくということで、一つのジャンルやムーブメントを作れないだろうかと思っている。