降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

関西当事者研究交流集会抄録 巻末の文章 お題「100年後の価値観」

関西当事者研究交流集会の抄録に書かせてもらった文章を転載します。

---

 

どういうわけかわからないが、中学の時に強いフラッシュバックが始まった。自分の一挙手一投足を始終観察し、馬鹿にして粘着してくる同級生を強く憎み軽蔑し、気持ち悪いと思っていたが、あるとき実は同じなのだとなぜかわかった時があって、それ以後、その人に向けていた憎しみや軽蔑やらが自分に反転して、不意に、電撃的に襲ってきて打ちのめされるようになった。いじめられても自分は彼らと一緒じゃないと思って、自分をたのみにしていたが、そのたのみにしていた自分が壊れた。

 

フラッシュバックがどうやったら緩和するのか、そしてこの自分がどう回復し、生きていけばいいのか。回復するということはどういうことなのか。それを探って確かめてきた。大学は心理カウンセリングを治療技法として用いる臨床心理学の学科に入った。回復のヒントを集めようとしていた。だが、他人を治療することと、自分が回復することが繋がらないように思うようになった。周りの人は、どちらかというと、自分のことを抜きにして、他人を治療するということに意識が向いているようだった。僕は自分を含めて、人が回復するにはどう生きていくのかを知りたかったのに、そういう人はあまり周りにいなかった。

 

やがて思い至ったことは、そこには個人の回復、個人のリカバリー以上の視野がなさそうだということだった。個人の回復とは、社会的不適応の解消であり、それは今の社会の仕組みを前提している。だがクライアントは社会の歪みによってクライアントになっているのではないだろうか。歪みがあるのは社会のほうではないのだろうか。しかしそんなことは周りでは問われていなかった。ここでの回復とは、たとえ明言されなくても、実質は個人が会社であれ何であれ、すでにあるものにはまれるようなればいいというものだと思った。

 

自分の知りたいことはここでは知れなさそうだ。ではどうすればいいか。どこで知っていけるのか。四国八十八か所めぐりをし、旅人にインタビューをして、治療者やカウンセリングルームがなくても回復していく人たちの声を聞いた。人は適切な環境と媒体が用意されれば自律的に必要な行動を選択し、自分を回復させていく。そう思い至った。だから場をつくることが重要なのだと思った。だが自分で企画をし、交流の場を作ってみたりしたが自分の閉塞はそれほど変わらなかった。やりたいことをやっているはずなのに疲弊していった。

 

その時に出会ったのが自分の畑と田んぼで作った野菜や米を定食として提供するカフェの糸川勉さんだった。農に興味はなかったが、糸川さんの言葉に関心を持った。糸川さんは「一年分の米が取れて生きていける感覚と、一ヶ月ごとに給料をもらう感覚はまるで違う」と言った。

 

糸川さんの自給のために考案された農法(自給農法)では、農業として畑をやると出てくる高いハードルがどんどんクリアされる。薬を使わず、鍬と鎌などの最小限の道具で畑をやる。糸川さんの自給は「小さいものを間引く農業とは逆で、作物は大きく育っているものを先に間引きして食べる。すると小さいものが育って、全体として食べる総量が増える。」というように、お金を稼ぐための農「業」とは真逆の発想で、自分自身が生きることが中心だった。「自給の畑は労働と遊びの間みたいなものだ」という言葉にも印象を持った。しんどい労働とそこから離れた遊びの時間という二分法で生きるのではなく、労働と遊びの中間というようなものがあるのか、と。

 

僕は糸川さんの哲学には大きなヒントがあると思った。糸川さんを自分たちの畑に招いて、何年も実習をしてもらうなかで、糸川さんから学んでいった。自給農法を学ぶ前は、畑は大変で水やりも毎日ぐらい必要だというような勝手に想定されている「やらなければいけないこと」に圧倒されていた。ところが自給農法を学んでいくと、自分の求めや必要性に対して、それが満たされれば十分なのであり、むしろ自分に合わせて、このようにもできるし、あのようにもできるということが体験を通してわかっていった。自分自身を中心にするということがどういうことなのかが畑を通してリハビリされていった。

 

ある時、糸川さんに「ツクシを料理するのは、ハカマを取るのが面倒でなかなかできない」というと、糸川さんは「食べながらハカマだけを出せばいい」と言われた。考えてみれば、他の人は知らず、僕としてはそれで問題ない。だがそれまでは「こうでなければいけない」と勝手に自分で設定している思いこみに自分が縛られて動きが取れなくなっているのだ。自給は自分に軸において、自由に考えていくリハビリになる。他の人ではなく、自分にとって最低限必要なことは何かと考えるとき、それを遂行するための高いハードルはなくなっていくことが多い。

 

糸川さんの自給の哲学から学んだことは、自分の生活の実質を決めている枠組み(たとえば食べ物の得方、仕事やバイトの種類、住まいなど)に働きかけ、自分の必要に合わせたものにすることによって、自分がより元気になり、回復や学びのプロセスがよりすすみやすくなるということだった。そして畑であれば、作物を収穫することだけに意味があるのではなく、自分なりにその種まきから収穫、そして収穫からその利用までの過程は、自分が主体となり、自分の感覚や求めを繊細に感じるリハビリになるということだった。

 

前の自分は、どこかにいい場をつくることができれば、そこで人間が回復していけるのかなと思っていた。だが今はそうは思っていない。それぞれの人が、受動的な参加者としてどこかの場で癒されるという考え方だと人は自分で自分を回復していけない。ちいさいところからであっても、暮らしのなかで、自分で自分の必要が何かを感じとり、その求めを自分の持っているもの、関われるものを通して満たしていくことが、人に自分自身を回復させる力を与えていくと思う。そして自分の暮らしをデザインする主体に戻っていこうとすること、その試行の過程自体が他者との関わりをもたらし、生きることを充実させていくと思う。

 

そう思ったとき、今の社会のあり方を見ると、今の社会の個々の人の生活は、あたかもそれぞれがカプセルホテルのカプセルのように閉じ、孤立していると思う。お金を払うかわりに同じように与えられ、同じような決まりがある空間、自分の必要と関係なく、もう決められたことのなかで生きている。そしてお金をかけられて洗練された空間や施設やモノに比べれば、ぎこちない自分の手づくりのものなど価値はないと思ってしまう。あるいは専門家がやっていることに比べて、自分など何もできない、意味がないと思ってしまう。

 

自給やDIYで作ったモノよりお金をかけられてプロに作られたモノのほうが価値があるだろうか。もしモノによって自分の幸せが決まるというならそうかもしれない。だが、自給やDIYにおいて、モノを作ったり育てたりしていても、目的はモノ自体ではないのだ。自給やDIYにおいて、新しく作り出されているのは、モノ以上に「関係性」であるといえるだろう。今まで存在しなかった「私と世界との関係性」がそこに作り出されているのだ。

 

お金を通して得る関わりは便利であっても間接的な関係であるので、お金がなくなった瞬間になくなってしまう。だが私と世界の間に作り出された直接の関係性は、なくならない。信頼関係を育んだ友達のようにいつもそこにいけばある。作り出された一つの関係性はそこで止まることがなく、まるで一本の糸の先から網が広がっていくように、様々な新しい世界との関わりの接点を生み出していく。その接点は自分が育て豊かにしていくことができる。

 

 自分はより自分に必要なものを感じとり、自分なりの方法でそれを自分に引きつけることができるようになる。そしてその感覚が自分に自信や余裕を与える。僕が発見したことは、個々人は決まったものやことに従うもの、既にある枠組みのなかで適応を強いられる受動的存在から、現在の生活の実質を決めている枠組みに対して、自ら働きかけ、その変化を実感することによって、回復を自分で引き寄せる主体になっていくということだ。
 

僕は畑をやっているけれど、食べるものに関して、自分が主導権を持ち、自分の裁量で調整ができるようになると、暮らしのなかで変化することは大きい。食べもののために働く時間というのが減るし、畑を媒介させてイベントや講習を開くこともできる。自給というと、どれだけ自分でモノを得れるか、貯めておけるかというようなことだと思われてしまうことも多いのだけれど、先に述べたように、自給は新しい世界と自分の関係性をつくりだすところに意義がある。あれを100%自給して、次はこれを100%自給するなんて、自給自体を目的化することは、本末転倒だ。自分にとって必要な世界との直接の関係性を作り出していくことが自給の意義だ。

 

今の社会では実質的に多くのものごとが既にあるものから選ばされるようになっていて、それでは、この自分という色々な限界や求めのある存在を満たすことは難しい。そして自分が直接的に関わって変えていけるものがないということは、実は気づいてなくても不安の基盤となっている。しかし、この社会のなかで少しでも自分に必要なものを自分の裁量で引き寄せたり、調整したりできるようになると、それが自分を主体として勇気づけて、自然と世界が広がっていく。

 

環境に働きかけ、世界を自分にとってより直接的なものに変えていく。遠かった世界をだんだんと自分のほうに引き寄せていく。この繰り返しのなかに自然な回復があり、勢いづけがある。カプセルに閉じ込められて受動的になり、生活を変えられないと自覚なく思わされていることに、回復の停滞があると思う。自分の生活の実質を規定している生活様式や枠組みを自分で変えていくことは、周りの環境や社会を変えていくことと自然と連動している。社会全体を変えることはできなくても、自分がいる場所の周りの環境は変わっていく。
 
必要なものは、誰かが提供してくれる間だけ与えられる居場所や癒しではなく、自分が主体化し、世界と直接の関係を作り出していくこのリハビリ体験だと思う。だからこそ当事者研究のような、ちいさな場をそれぞれが考え、工夫し、運営することが重要だと思う。自分のリハビリを自分で調整設定するということをしていくことが、一番重要なことだと思う。

 

最近、ネットで不登校新聞という新聞の編集長の石井志昂(いしいしこう)さんという人のインタビュー記事をみた。石井さんは中学受験の「失敗」から自分を責めて万引き依存症になった。そしてフリースクールに通い、未経験なところから不登校新聞の記者として自分が興味ある人にインタビューをしていった。そのなかで石井さんが気づいていったのは、インタビューをしたそれぞれの人には、「どうやって自分が生きていくのか」ということに対してそれぞれの「答え」があるということだった。「答え」は一つではなかった。

 

bamp.is

 

それまで石井さんは大人が持っている正しい「答え」がある世界しか知らなかった。そしてその「答え」にどれだけ近づけるかという狭い世界しか知らなかった。このことを知って石井さんはほっとした。石井さんは取材という、いろんな大人が、いろんな「答え」を提示してくる場で、石井さん自身は何を「答え」とするのかを考えさせてもらったという。こうしてインタビュー取材は閉塞していた世界に入れられていた石井さんに新しい「開け」を提供した。石井さんが自分を閉塞から抜け出させたインタビューをしようと思った起点は、自分のなかの違和感であり「問い」だったという。石井さんは、その「問い」はとても尊いものであり、自分の後に続く不登校でありながら記者もする後輩たちに自分なりの「問い」を掛け値無しにぶつけて欲しいと思っているという。

 

「どうやって生きていくのか」、誰しもが問われる問いでありながら、多くの人がこの問いを直接に問うことなく、脇において、目先の適応ばかりに没入してしまう。だがそのような問いを持つことなく、多くの人が目先の適応に没入することは、社会をいびつにして、社会からより人間らしさを奪っていくことになっていないだろうか。


哲学者の鶴見俊輔は、問題づくりの主体を自分に取り戻すことが重要であると指摘し、そのための根本的で答えのない問いを「親問題」とよんだ。「親問題」とは、先の石井さんの「どうやって自分が生きていくのか」、「なぜ自分はここにいるのか」というような、答え切ることができない、一生をかけて問われるような問いだ。一方、鶴見は場当たり的な適応のための問いを「子問題」とよび、「子問題」に専心する没主体的状態から出ていくためには、個人のなかにある痛みが必要であるとしている。鶴見はまたこのように言う。

 

自分の傷ついた部分に根ざす能力が、追い詰められた状況で力をあらわす。自覚された自分の弱み(ヴァルネラビリティvulnerability)にうらうちされた力が、自分にとってたよりにできるものである。正しさの上に正しさをつみあげるという仕方で、人はどのように成長できるだろうか。生まれてから育ってくるあいだに、自分のうけた傷、自分のおかしたまちがいが、私にとってはこれまでの自分の道をきりひらく力になってきた。 鶴見俊輔『教育再定義への試み』

 

先の不登校新聞の編集長の石井さんはまさに鶴見の指摘する「問い」である親問題に取り組み、自分の痛み、自分の違和感をもって没主体的状態から抜け出す起点とし、自分の道をきりひらいてきたのだと思える。

 

さて、100年後の価値観というとき、僕は素朴にそれがだんだんによりいいものになっているのかどうか確信をもてない。国の不正や腐敗が大手をふって横行している日本社会で、嫌韓本が売れるようになっているような社会で、もしかしたら時代的な価値観はむしろ後退するかもしれないと思う。だが、もし時代が後退しても、人間は個人としては時代を超えた存在になりうると僕は思っている。100年後の価値観をもっている人も今どこかに存在しているだろう。そして当事者研究のような、自分たちが自分たちの間に作り出した関係性をもっている空間もまた時代の価値観をさきがけ、超えていけると思う。

 

当事者研究でもし自分がある程度「回復」したとしたら、その後、どうしたらいいだろうか。回復には終わりがない。次は石井さんのように、自分の違和感、自分の「問い」をより生きることへと移行することがより大きな回復への道をすすむことになるのではないかと思う。

 

深い痛み、深い傷つきは「問い」を生む。それは痛みを抑圧して向き合えなくなっている人たちが構成するこの社会を変えることができる「問い」であり、自分を支え、生きることを切り開く力を与えてくれるものだ。その力を使い、自分なりのあり方で、世界と関わり、より自分を取り戻しながら世界と直接の関係性を作り出し広げていく。世界がより自分たちに取り戻されたその自律的な空間のなかでは、人は今の時代のずっと先の価値観で生きられるだろう。自分の深い傷つき、痛みこそ深い回復の道をひらき、自分自身と社会を回復させる。そして自分がもつ「問い」に近づき、応答して生きる。その価値観が「100年後」の価値観になればいいと思う。