降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

「自己決定」という手前に  

自己決定というのが何か。

 

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文中の「周囲と違う個人の選択を尊重すること」というのが、周囲の人に向けた言葉なのだろうか、選択をするその人自身に向けた言葉なのか。多分前者のような感じがするけれど。前者なら他人に自分の考えを強制しないほうがいいよというメッセージだし、後者なら他人が自分の進路に関して何か言ってても自分の感性を大事にしたほうがいいということだろう。

 

先の投稿でも書いたけれど、個人が自然に自分の気持ちや意見を言えたり、権威やおどしに負けて決定を引きずられるのではなくて自分の感性で決定できるようになるのは、基本的にそれまでに応答的な環境、対話的な環境、選択が尊重される環境にいたことが前提としてあると思う。

 

「自己責任」とこの「自己決定」との違いもはっきりさせる必要があるだろう。自己決定が大事で、あなたは自己決定したのだから後はあなたの責任でありもう私にまで迷惑をかけてくるな、というのが自己責任の考え方だ。

 

一方、適切な「自己決定」がされるには、それまで周囲との応答的な関係、選択が尊重される環境があったということに加え、ある決定をするその場面においても、個人の感性が尊重されながら様々な情報の提供などのやりとりの結果、自分にないものとの対話を通して形成されることが必要だ。自分の気持ちですら、人や世界との対話的なやりとりのなかで気づかれていくものなのだから、尊重されながら周囲とやりとりすること抜きの「自己決定」は自己決定ともいえないだろう。

 

閉じた自意識が既知の知識や思考で決めるのではなく、尊重される環境での対話がおこったうえで妥当な選択に近づける。「自己」を既に確立されたものと考えるのは誤りだろう。「自己」というのは、常に対話的に更新されていることによって自己たる健康性がようやくあらわれるものだ。

 

自己決定というより、自分のより根源にある求めに応じていくことによって「幸福感」などが増していくということなので、当たり前といえば当たり前だろう。「決定」というよりは、感じていることを見極め、応じていくという理解が重要だと思う。そして見極めには対話的環境が必要だ。

 

自己決定が大事と言われて、自己肯定感増進のために何でも「自己決定しなきゃ」と思って、自己決定自体を目的化したりして、強迫を余計に一つ増やしてしまい、自分の繊細な求めを感じられなくなったら本末転倒だ。

 

研究者の言葉、まだ粗雑だと思う。研究機関とか、こういう権威のあるものが適当な概念化と適当な言葉遣いで誤解を拡散するのだが、当事者はそれを見極めないと翻弄されてしまう。研究者は自分ごとじゃないから部分的、限定的な検証で良しとしてしまって、統合的な文脈を持ってないから、ミスリードな概念化、言葉になる。このことを補うのが当事者研究の意義でもあるだろうけれど。

 


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学歴や収入よりも、自分の進路を自分で決める「自己決定度」が日本人の幸福感に大きく影響しているとの調査結果を、神戸大と同志社大の研究チームが28日、発表した。日本は国連の「世界幸福度報告書」で幸福度ランキング54位に低迷。幸福度を上げる鍵は「周囲と違う個人の選択を尊重すること」と指摘している。

 西村和雄・神戸大特命教授(数理経済学)らは2月、インターネットを通じて全国の20~69歳の男女約93万人に調査票を配信。約2万人から有効回答を得た。約100個の質問への回答をもとに(1)収入(2)学歴(3)自己決定度(4)健康(5)人間関係--の五つの要因が幸福感にどう影響しているかを分析した。

 その結果、健康と人間関係に続いて自己決定度の影響が大きかった。高校、大学の進学先や初めての就職先を誰が決めたか尋ねた質問に「自分で希望を決めた」を選んだ人ほど幸福感が強く、逆に「全く希望ではなかったが周囲の勧めで決めた」を選んだ人ほど不安感が強い傾向がみられたという。

 収入も幸福感を左右していたが、その影響度は自己決定度の約7割にとどまり、世帯年収が1100万円を上回ると幸福感は頭打ちになった。また、学歴による明確な差はみられなかったという。