時間には二つあると思う。一つは自意識によって設定され認識される、あるべきもの、やらなければいけないこと、求めるものと自分との距離としての時間。もう一つはそれらによって圧倒され、止まっていた生の自律的プロセス、動きだした流れとしての時間。
学びとは、本来後者をさすものであると思う。学びと回復は同じことだと思っている。その人の止まっている時間が流れるようにするということだ。
そのプロセスをすすめていくためには、何もわからないところからはじめる探究と対話、そして踏み出しがいる。その繰り返しをしていくことでいのちの時間が流れていく。
橋本花鳥「虫籠のカガステル」では、培養液に浸けられて無理やり生かされている母親と再会した娘はもう物が言えなくなった母に、自分の生きてきたありさまを報告する。羊飼いになったこと、酒場で働いたこと、友達ができたこと、好きな人ができたこと。そして培養を終わらせるボタンを押し、母を生のくびきから放つ。
短い時間のなかに今までの全てを凝縮する。いのちの時間が大きく流れだすプロセスのスタートは、多くの場合、必要としている宛先に対してその経験を語りはじめることなのだろう。
戦争で親をなくした戦争孤児の実態を知りたい。
— NHKスペシャル公式 (@nhk_n_sp) August 12, 2018
NHKでは、この3年間、孤児への聞き取りを続けてきました。
突然の路上生活、餓死の恐怖、生きるための盗み、仲間の自殺・・・
80歳を過ぎた孤児たちが重い口を開きました。
「“ #駅の子 ”の闘い ~語り始めた #戦争孤児 ~」こんや9時。 pic.twitter.com/ppKnDd99Ne