降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

殻と成人儀礼

殻の話しの続き。

 

ネットに川本隆史『共生から』の書評があった。その注部分にまなびほぐしについての記述が興味深かった。

 

「まなびほぐす」とは、本書の「補 講 人間の権利の再定義」で著者の使った三つの道具 だての一つ「編み直しunthinking」の際に参照した鶴見 俊輔が、ウォーラーステインの「unthink」を訳し直す ときに重ねあわせた次のような自身の体験(ヘレン・ケ ラーとの出会いの経験)から借用している。「一九四一 年夏、わたしがまだ一九歳でハーヴァード大学の学生 だった頃、図書館で本を運ぶアルバイトをしていたん です。そこにヘレン・ケラーさんが来たんですね。ケ ラーさんは、目が見えない、耳が聞こえない、しゃべれ ない、三重苦の人です。...その時ケラーさんがわたしに 質問したんです。自分はハーヴァード大学の兄妹校の ラドクリフ女子大学で勉強した。そこでたくさんのこ とを学び、自分の学んだたくさんのことを振りほどか なければならなかった。彼女は、“I learned many things, and I had to unlearn many things.”と言った んです。いや、なるほどなと思いました。ラドクリフ女 子大学はハーヴァード大学の兄妹校ですから、そこで の講義は、耳が聞こえて、本が読めて、しゃべれる人が 対象で、概念の組み立てもそうなっている。しかしケ ラーさんは、そこから離れて生きるようになって、自分 の身の丈に合わせて概念をたちなおさなければならな か っ た 。 こ の 「 概 念 を た ち な お す 」、 つ ま り “ l e a r n a n d unlearn”というのは、一度編んだセーターをほどく、 ほどいた同じ糸を使って自分の必要にあわせて別のも のを編む、そんな感覚ですね。書評 川本隆史『共生から』 児島博紀・宮城哲

 

ヘレン・ケラー鶴見俊輔に”I learned many things, and I had to unlearn many things.”といっている。

 

殻は防衛反応として現状を維持したり強化しようとしたりするから、当然その反応をおこすような緊張状態からは解かれる必要がある。話しの場では、ぎゅっと固まったものを解きほぐすということから自律的な変化のプロセスが浮かび上がってくる。


だが、ただほぐされ、強迫をとっていくだけで何もかもが氷解していくのかという疑問がある。上のプロセスで回復するのは既に壊れたりヒビの入った殻だということなのかもしれない。

ヘレン・ケラーは、学ぶときはただlearnといっているのに、unlearnの時はhad toが入っている。やらなければならなかったといっている。ここにはそれまでに身につけたものを壊していく厳しい闘いがあったようにも思える。

 

成人儀礼が、命を失う危険性までもたせ、強烈な破壊によって受ける人を揺るがすものだったとき、それはそれまで身につけた体勢、殻を破壊しているのだろうと思う。そのような暴力は欧米化させられていくなかでなくなっていくだろうけれど、その代償として別の危機をもたらすことにもなるのだろう。

 

自らを保守し、厚くしていく殻が変容するには本当に死にそうなぐらいの体験が必要そうだ。内面的には、それまでの自分が死ぬのと事実上同じことぐらいのことがおこっているのだろうと思える。そうすると、殻を壊して生き続けるのと、殻を壊さずその結果破綻してしまうことは、自意識にとっては同じことだ。いずれにせよ、死ぬ苦しみは避けられない。