降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

本の作成11 絵本店での企画

何となく過ごしている。


特にやりたいと思っていないことと、やろうと思っていることの違いをはっきりさせようと思う。上滑りしかしないことと、手応えがあること。

 

自転車で街に行く。モーニングを食べに。思っていた店は閉店していた。窓ガラスは板で木貼りされていた。

 

死んだもの、終わったものはそれまでの利用可能性から解放され、それ自体になって、詩になると思った。

 

南に下りる道の途中にモーニングをやっている店があった。一度通り過ぎてそのあたりの店を見回った後、戻ってきて入った。店主と常連の客らしき人が喋っていて、お寺はもらうお菓子が大量で、檀家にバレないようにあげたり捨てたり、無理やり食べたりする、自分も食べさせられたと言っていた。

 

なぜ朝は家で食べるより外に行きたくなるのか。新鮮さが欲しいのだと思う。外に出るとああ外はこのような状態だったのかと気分が変わるときがある。それはいい意味で予想外だったからだ。おきた時は倦んでいるのだろう。外に出るのも嫌なぐらい。寝起きの雑菌が繁殖した口腔みたいに気分が倦んでいる。鮮やかなものを感じたい。陽の光が差し込む座敷に移動して、窓を開けて、外の色の鮮やかさを見る。

 

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卒論を書いて、次どうするかは決めていなかった。四国遍路後、今までに比べれば何となく生きていけるのではないかという感じは出たが、あくまで前と比べてといった感じだった。週5日で働く正社員に自分がなってやっていけるような気はまるでなかった。とりあえず働いたからといってそれで自分がどうなるというのか。働いても行き詰まるイメージしかなかった。

 

通っていた大学は当時臨床心理学と文化人類学の2つの修士課程があったが、友人で文化人類学をやっている人にエリクソンの話しを聞いた。エリクソンアイデンティティの概念を提唱した心理学者だ。人類学でも心理学関連のことをやれないわけではないのだと思った。そしてある日、実家に帰っていた時にNHKの番組でヒマラヤの民族の特集か何かをしていて、そのなかで村の人たちは自分の力ではどうしようもない出来事に遭遇した時、山に祈るのだという。何かわかるような気がした。今まで特に人類学的なことは興味がなかったが、やれるかもしれないと思った。

人類学に入ると周りの人たちにいわゆる心理っぽさがないのは気持ちがよかった。気の通りの良い、健康さを感じる。心理学科のあの雰囲気は何だったのだろうか。心理学科にいた頃は、文化人類学の学生っぽいと言われ、人類学に入ると心理っぽいと言われる。四国遍路をテーマとし、アンケート調査などそれっぽいことをやってみたが、人に取材しに行くとか、あまり得意でない。話しが通じないのは相変わらず。

インターンシップというのをやってみようと思い、夏に宇治の絵本店にインターンさせてもらう。インターン先は自分が勝手に選び、その後コンソーシアム京都というところが一緒にインターン受け入れを頼みにいってくれる。受け入れてもらった。この絵本店は、アドラー心理学などが流行る前から岸見一郎さんのワークショップをしていたり、店員さんの感性がすごいと思っていて、入れたのは嬉しかった。インターン期間は30日ぐらいだった。

大学の実習で酒木保さんという自閉症も専門にしている先生がいた。彼の黄黒交互色彩法という描画法が大変面白く、感銘を受けていた。自閉症発達障害の関心は高くなっており、絵本店のイベントスペースで彼のワークショップをやってみたらどうだろうと思いついた。絵本店のご協力のもと実行すると、30人強の人が来てくれた。初めて自分が考えた企画がこれほど反応があったのは大きな体験だった。次の年は友人たちと一緒に、子供と心理学をテーマにして6回ぐらいのシリーズ企画を絵本店でさせてもらった。

 

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