降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

「中動態の世界」の勉強会 意思は切り替えに

鈴木宣仁さんの投稿をきっかけにグループで中動態のミニ勉強会。

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大澤真幸さんと國分功一郎さんのネット上にあった対談は難解だったけれど、斎藤隆さんの受験生に向けた解説ブログの方の中動態の説明はわかりやすかった。

 

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文法上は何かの行為が現れる時、それは能動か受動で語られる。能動と受動には主体的な意思の有り無しがぴったりと対応している。「私が打った」「私が打たれた」のように。

 

だが何かの自律的な状態が移行するようなことを能動と受動で語ることは難しい。

 

私が「謝罪する」といったとき、形式だけではない謝罪は、本当に悪かったと感じてはじめて成り立っている。それは「なる」ことであり「おこる」ことであり、意思は間接的に関わっているかもしれないが、「謝罪」は直接的な意思による行為とは言えない。

 

歩くという行為は複雑ないくつもの行為を組み合わせて成り立っている。体の各部分がいちいちやっていることを意思できているわけではない。これも能動=意思の行為と言い切れるのか。とても意思などでは把握できない。意思の介入は最低限であり、何か自律的なイメージか感覚のようなものにゆだねることで、歩くことは成り立っているのではないか。

 

よく話しに引用させてもらう例で、音楽家野村誠さんの30cm四方掃除理論(?)がある。毎日、部屋のなかで30cm四方だけは掃除する。30cm四方ならほぼどんな時にもできる。挫折がほぼなくなる。そして30cmでもやり始めてしまうと、今度はやる前の面倒臭さなどふと消えてしまって、30cmで終わらず、もうちょっとやろうとなってしまうのだ。自律的な状態が生まれている。そして部屋は頑張ってやるぞ、全部やるぞと思って気合いを入れようとしている時よりも早々と片付いてしまうのだ。

 

30cmだけやった時に生まれた状態や気分、もうちょっとやりたくなるモードは意思だろうか? むしろ自分が選択するという意思は半分後方にひいていて、何かわからないけれど、多めに掃除をしてしまう衝動に自分が動かされている。

 

明日は早く起きようと思う。しかし朝になるとそんな求めは消え失せている。ちょっとだけSNSしようとする。だがズルズルとやめられない。ある状態の時に思うこと、感じること、できることは、別の状態になったとき、同じようにはならない。

 

それぞれの状態には自律性があり、自分が意思をして行なっているようで、実は意思でやっていることは、切り替えに過ぎないのではないだろうか。30cm四方を綺麗にする時は意思でやっていても、やってしまうと状態は切り替わり、やり始める前とは別の衝動によって自分は動かされるようになる。

 

意思で自分を強制的にコントロールしようとすると、しんどい。コストが高い。そもそもできない場合があり、挫折体験になる。だが最初から最後まで意思をもって無理やり動かすのではなく、意思は状態の切り替えに使い、あとはその切り替えによってやってきた自律的な状態が自分を動かしてくれる。

 

アルコール依存症自助グループでは、自分の状態を乗り越えるための10のステップがあるという。そのうちの一つに自分の無力を認めるというものがある。それは自暴自棄になるのではなく、意思で強制的に自分を管理して何かを達成しようとすることをやめるということ。大変なことを強制的に動かそうとすればするほど反動がきてできなくなる。自分の無力を認めない人は回復できないという。意思は状態の切り替えに使うものであり、使いすぎると逆効果になる。むしろ自分の状態がどうなっているのかという気づきが深まるほうに、回復の順路はあるのだ。

 

意思で頑張ってコントロールできたとしてもそのパフォーマンスは落ちる。グループででた話しがあった。「手をあげてください」といわれて手をあげるのと、「高いところのものを取ってください」と言われて手をあげるのとは、自然さや負担がまるで違うという。強く意思を介在させガチガチにコントロールするのではなく、あるイメージの自律性にゆだねてしまうほうが負担がなく、パフォーマンスもあがる。

 

意思は、自律的な状態を導く切り替えの一瞬にのみ使ったほうがいいのではないか。日常で意思でやっていると錯覚している行為も実は、ある自律的な状態に自分をゆだねてやっているのではないか。もちろんそれは完全な受動とは感じられていないが、完全な能動でもない。両者が入り混じったような感覚だ。大澤真幸さんは、中動態を能動と受動が同時にあるような状態ではないかと指摘している。

 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)
 

 
お題「中動態」