降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

本の作成8 四国遍路2

常野雄二郎さんが亡くなった。

常野さんはつい最近に「不登校50年」というウェブの企画で知ったばかりの人だった。

futoko50.sblo.jp

 

山下 ご自身のなかで、何がそんなにworseなのですか。

常野 精神の病が問題ですかね。あと、バイトは再開するかもしれませんが、現時点で無職で、障害年金はもらっていますが、将来の経済的な心配があります。

 
「将来の経済的な心配」という言葉が残った。インタビューは2017年の8月3日だった。亡くなられたのは今年3月下旬。僕も自分自身、今後どうなるかとも思うけれど、常野さんのように予期もなく1年をまたず死ぬかもしれない。その直前、意識があるならそれまでの自分の今後の心配というのは一体何だったのかと思うだろう。それに悩んで日々思考や行動が影響されていたなら、それは何だったのかと。

 

自分が本当にやるべきは何か。

 

 

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四国遍路2

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高知のその宿で二泊させてもらい、足の調子はだいぶ良くなった。それまでは強迫的に歩いてしまうのを止められなかった。

 

その宿を後にし、駅で野宿しようとした時、虚言癖がありそうな遍路者にあった。訊いてないのに自分は托鉢していくら貰ったとか、1日に何キロ歩いたとか、大げさなことを話す。缶コーヒーをすすめられ、この人からもらうのも嫌で、「寝れなくなるからいらないです」といったけれど、何度も何度も「いや寝れるから」とすすめてくる。とりあえず今日だけ自慢話を訊いて明日は別れればいいかと思って、ずっと続く自慢話を聞いていた。朝に彼と別れ、その日はいつもより長く歩いた。そしてたどり着いた宿にまた彼がいた。縁があるものだとババを引き当てたような気分になった。彼は自分は本当はもっと歩いていたのだが、ここに帰ってきたというようなことを言っていた。

 

次の日別れたが思い返すとムカムカしていた。だが、さらにしばらく経つとあの強迫的に自慢しなければ自分が持たない彼のような性質をどこか持っているような気がしてきた。自分の心のありようを極端に表現したかたちが彼のようだと思った。四国遍路する者は、旅のなかで未来の自分と過去の自分に会うともいうけれど、彼は今の自分の姿だったから出会ったのかなとも思った。

 

そういえば、旅の途中で明るい性格の高齢の遍路者に会った。その人は病気で腸を大部分摘出したという。僕の亡くなった祖父も腸を大分摘出して、余命があまりないと言われていたが、はったい粉を練ったものを作って食べるなど、消化にいいものを摂取することを気遣って長生きした。祖父は経済的なことに細かかったので、他の家族からは少し敬遠されていた。戦争中、軍隊ではある程度の地位にあったからかなのか、人のために行動しても、人の気持ちは考えられず、自分の考えを押しつけてしまうところがあったので僕もやや苦手にしていた。出会った高齢の遍路者とは割とすぐに別れたのだが、別れた後でまるで祖父に出会い直したような気持ちになった。決してこんな気さくな性格ではないけれど、祖父は今はこのように僕に出会いにきてそして自然にお別れした。そんな感覚が残った。

 

遍路は一期一会の世界だ。一箇所にとどまらず、通り過ぎていく世界では、自分の心の世界がわりとそのままのかたちで外界に投影され、そのリアリティが体験される。祖父と出会い直したような体験は多分そういうことだろう。心の中で取り残されたように浮遊し、落ち着く場所を失っているイメージが外に投影され、弔われる。そういったことが旅のなかではおこりやすい。

 

高知は四国の県なかでもっとも遍路道が長い。そしてその大部分が海沿いだ。太平洋から打ち寄せる波の勢いの容赦のなさにはうんざりした。ダダーン、ダダーンとずっとそれだ。僕は愛媛で生まれ、自分にとっての海は静かな瀬戸内海だったのがわかった。高知から愛媛に入ったとき、野宿しようとしたところの裏に若者がたくさんきてわいわい話していて眠れなかった。まだ夜の2時とか3時とかだったが、起きて歩くことにした。ずっと歩いているとだんだんと空が白んでいく。日が昇りはじめた時に瀬戸内海が見えてきた。空のオレンジ色が映る海の穏やかさに強い感銘を受けた。こんなに違うのかと思った。

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